ポニーテール禁止校則は女子の人権侵害と男子教育の放棄
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「うなじが男子の劣情を煽る」という理由で、ポニーテールを禁止した中学校があると、とあるTwitterユーザーが投稿し、インターネット上で大きな話題となっています。

その投稿ではどの学校かは明示していないため、本当にそのような理由で禁止決定に至ったか否かは分かりません。
ですが、インターネット上で「ポニーテール 中学校 禁止 filetype:pdf」と入力して検索してみると、実際にポニーテールを禁止にしている学校の校則や生徒指導規則等が多数ヒットすることから、ポニーテール禁止が教育の場で平然と行われていることは事実のようです。

男性の問題を女性の問題に転嫁する社会


ポニーテール禁止はそれ自体が問題ですが、今回インターネット上で最も注目を浴びたのは、「うなじが男子の劣情を煽る」ということが禁止の理由とされた点です。これに関しては投稿者の情報以外のファクトが無いために、断定的なことは言えませんが、本当であるならば大変由々しき事態です。

個人的には「そんな禁止理由ありえない!」と思うわけですが、ポニーテールを禁止する学校の校則や生徒指導規則等を見ていると、女子の下着も白限定という校則や指導基準を設ける学校も少なくないようで、本気でそのような視点で禁止を決めている可能性はゼロではないのかもしれません。

ポニーテールに性的な感情を抱くか否かはあくまで男子の問題なのに、なぜ女子がそれによって自由を規制されなければならないのでしょうか? 全身を覆い隠す格好のイラストを掲載して、ポニーテール禁止を皮肉った以下のTwitterの投稿が人気を博しましたが、性的な感情という理由で禁止にするのであれば、女子から全ての服装の自由を奪わなければ成立しなくなってしまいます。

セクハラ、痴漢、デートDV、レイプ等をはじめとする性暴力に対するセカンドレイプが典型的ですが、この社会には男性加害者の問題を女性被害者の問題かのように転嫁する言説が至る所に溢れています。

男性加害者が100%悪いはずなのに、「そんな破廉恥な恰好をしているなんてけしからん!」「安易にお酒の席に行ったor部屋に上げたほうも悪い!」と、まるで原因や責任が女性被害者にもあるかのようなセリフが、犯罪者ではないごく一般的な人たちですら当たり前にしているのがこの国の現状です。



女性性を肯定的に捉えられない女子を育てる社会


そして、予防にしても、「男はオオカミなのだから」という理由から、女性への自粛要請ばかり行い、加害者男性や潜在加害者男性への働きかけはほとんど見受けられません。これらは明らかに「加害者放任主義」であり、女性への言説的な暴力と自由な意思決定への侵害だと言えるでしょう。

今回のポニーテール禁止のケースは加害者・被害者という関係ではないですが、男子を放任して、女子への自粛を強制していることには何ら変わりありません。そのような構造を学校側がなぞってしまえば、女性への暴力を学校が助長しているとも言えますし、自粛を強制された女子は大人になってからも「男子はオオカミだから自分が自粛をしなければいけない」と自己を抑圧し続けてしまうのではないでしょうか?

これでは女子が自分の女性性に対して肯定的な感情を抱けなくなってしまいますし、現にそのような人は本当にたくさんいます。そして実際に嬉しくない性的な感情が自分に向けられた際には、「感情を惹起させた自分が悪いのだ」と思いこんでしまい、泣き寝入りという選択をしてしまいがちです。

このように、女子に対して「男はオオカミだから女子はかくあるべし」と押さえつけるのは、女子に対する人権侵害教育だと言えます。


日本の学校は適切な男子教育を放棄している


また、このような学校で育った男子も、ある意味被害者でしょう。本来、異性愛者であれば、男子が女子に性的な感情を抱くことはありうることで、何ら悪いことではありません。
大切なのは、感情の対象者(ここでは女子)が少しでも嫌悪感を抱いた態度を示した際にはそのスイッチを切ってそれ以上性的な視線を向けないことであり、相手やTPOに応じてしっかりとコントロールできるようになることです。

ところが、「男子が発情しないように」という理由で女子に禁止を押し付けているような学校は、裏を返せば適切な男子教育を放棄しているわけで、男子が自己管理能力を鍛える機会はありません。

そしてコントロールする機会を学べなかった男性が多いからこそ、日本社会にはセクハラ、痴漢、デートDV、レイプ等をはじめとする性暴力が依然として蔓延しているのではないでしょうか?


女子への性的感情は「劣情」ではない


さらに、投稿者の指摘した学校が本当に「劣情」と表現を用いたのかは分かりませんが、それが本当であれば、学校側の性に対する認識にも大きな問題があります。この言葉は「性的感情」を「劣った感情」と捉えている言葉であり、それを使用するということは、すなわち女子に性的な関心を持つことを悪いことのように教育者側が捉えていると考えられます。

そのような人々のもとで育てば当然、男子生徒自身もそう捉えるようになっても不思議ではありません。それによって、自分自身の持つ男性性に対して嫌悪の意識を持つようになったり、好きな人に対して性的な感情を向けることができず、傷つけても構わない人にしか向けることができなくなったり、将来セックスレスの原因になることが本当に多々あります。

このように、男子側の問題を女子側の問題のように転嫁することは、女子にとっても男子にとっても悪影響を及ぼす方法であり、教育課程において決して行ってはいけないことではないでしょうか?


子供たちを将来不幸にする校則


最後に、ポニーテールを禁止にする教育的意義についても触れておきます。ポニーテールに加えて、お団子も合わせて禁止にしている学校も散見されますが、特定の髪型を禁止にすることが、子供たちが将来幸福を得られることに繋がるというのでしょうか? もちろんそんなことは無いでしょう。


「ルールの中身ではなく、ルールを守ること自体が実際に社会に出てから役に立つからだ」という反論が聞こえてきそうですが、別に勤務先がポニーテールやお団子を禁止にしているわけではありません。大人の社会で禁止だから子供のうちから守れるように教えるというのなら理論上は分からなくもないですが、今回のケースはそれに該当しません。タバコのように子供のみ禁ずる科学的な根拠があるわけでもありません。

むしろ、ポニーテールやお団子を禁止するような無茶苦茶なルールを子供たちに課して従わせているほうが、子供たちの未来にとってマイナスではないでしょうか?

以前のエントリー「『地毛証明書』が教育的に間違っている3つの理由 」でも触れましたが、子供たちがこのようなルールに従うことから学べることは、「取り繕うことの重要性」「とりあえずパフォーマンスをしておけば良いというウワベを重視する社会に迎合すること」です。子供たちを縛り上げるタイプの教育は「社会の歯車らしさ」を育てているに過ぎません。

そして「その場のルール」に従うことを覚えた人は、ブラック企業の理不尽な要求にも我慢して従うばかりではなく、学校で教わったようにそれに応えることが社会人の常識だと認識してしまいます。
「ブラック企業生産工場」と言っても過言ではないでしょう。


先生はポニーテール禁止指導をしたいですか?


また、ブラックの問題は子供たちの話だけに限りません。近年、教員のブラック労働がようやく社会問題として認知されるようになりましたが、このような無用な校則や決まりも、生徒指導という無駄な仕事を発生されている要因の一つでしょう。

現場で本当に子供たちの将来を考えている先生であれば、自分の貴重な時間を本当に子供たちにとって役立つことに使いたいはずです。ところが、それをポニーテール禁止のようなくだらない生徒指導に時間を割かれるならば、たまったものではありません。

今回の投稿も該当するのだと思いますが、困ったことに「社会の歯車らしさ」を育てようという先生や子供たちを縛り上げる教育をしたい先生が意思決定権限を牛耳っていると、このようなルールがすんなりと出来上がってしまいます。
そして一度できたルールは前例主義のもとなかなか廃止されず、因習と化していつまでも残り続けるわけです。

大人が転職するように、子供たちは学校を選ぶことはできません。子供の頃は世界が狭いために、自分が実は人権を蔑ろにされているということにも気が付くことが難しいです。そのような状況の中でこのような「人権無視の校則」が蔓延ったままで良いのでしょうか? 

変な校則がネタになることはよくありますが、教育課程にいる子供たちのことを考えればネタでは済まされません。個々の学校の内部改革は当然ですが、トップダウンでメスを入れて欲しいと思います。
(勝部元気)