巨人の内野手として17年間プレーし、現役引退後も巨人の2軍監督や1軍ヘッドコーチ、スカウト部長などを歴任した岡崎郁さん(65)=大分B-リングスGM=がこのほど著書「長嶋さん、王さん、藤田さん。ときどき原さん」(カンゼン刊・税込み1980円)を刊行した。

著者インタビューの後編では、岡崎さんの胸に残る「トレード志願騒動」など、前編に引き続き、長嶋茂雄さんのエピソードを紹介する。(加藤 弘士)

 長嶋監督が巨人の指揮官に復帰して2年目の1994年。巨人はリーグ優勝を成し遂げ、日本シリーズへと進出した。相手は5年連続リーグ優勝を達成した常勝軍団・西武だった。岡崎さんは言う。

 「あの頃の西武は、メジャーリーグにいても勝ったんじゃないかな。巨人のV9に匹敵するような固定メンバーでした。中軸に秋山、清原、デストラーデがいて、前後には石毛さん、辻さん、平野さん、田辺、伊東と固めていて。ほとんど固定。強かったですよ」

 実際に戦ってみて、強さの秘訣は何だったのか。

 「例えば、1回表は1番から始まります。で、2回表は4番から始まったり、6番から始まる。

7番、8番とか、下位打線から始まるイニングって、得点率って絶対下がるんですよ。だけど、あの頃の西武は下がらない。西武ってその回の先頭打者は、いつも1番バッターから攻撃が始まるような感じがした。清原から始まると、清原が4番じゃなくて1番打者。1番の仕事をする。5番がそこから繋げる。だから隙がない。ピッチャーがひと息つくところが、ないんですよね」

 そして、こう続けた。

 「当時の西武は、相手を疲労させる野球をやっていたと思います。自分たちが強いだけじゃなくて、相手が勝手に疲れていく野球。当然、強いからできるんだけど、相手のメンタルをダメにするような野球。それが本当の強さなんでしょうけどね。

究極の強さがあったと思います」

 83年、87年、90年…過去3度、巨人は西武との日本シリーズで、一度も日本一になっていなかった。だが94年の日本シリーズ前に、長嶋監督はナインにこう言った。

 「君たちは西武に負け続けているかもしれない。でも俺自身は西武に負けていないし、西武に対して苦手意識もない。だから悲観することなんかないんだ」

 「戦(いくさ)って、大将と大将の戦い。長嶋さんは、相手が森さんだろうが野村さんだろうが『俺の方が上』みたいな雰囲気がありました。大将がそういう位置にいてくれると、兵隊が勇気づくんです。選手はいつも監督を見ている。だから監督がどんな時でも泰然自若というか、堂々としていれば、子分は『大丈夫』と思うんですよ」

 第1戦は0-11と大敗。しかし第2戦以降、息を吹き返した長嶋巨人は4勝2敗で西武を撃破し、5年ぶりの日本一に輝いた。

 「長嶋さんは真の負けず嫌い。『やられたらやり返すじゃダメなんだ。

やられる前にやるんだ』と言うんですよ。『ルールに則った中で、どんなことがあっても勝てばいいんだ。やられてやり返す? 遅いんだよ』と。『俺とワンちゃんはやられる前にやっつけていた』って。王さんもそう。じゃんけんで負けても真剣に怒るような人。あんなに負けず嫌いな人はいない。遊びでも常に勝負師で、何でも勝たないと気分が悪い。だからこそ、V9の巨人は強かったんでしょうね」

 日本一になった直後、長嶋さんから岡崎さんに「よく頑張ったな」との言葉があった。この一言には深い意味があった。岡崎さんは長嶋さんが監督復帰初年度の93年オフ、あるスポーツ紙に「巨人・岡崎、トレード志願」と一面で書かれる騒動を起こしていたのだ。

 「僕の名前が1面にドーンと出ていて。

『え?』みたいな。トレード志願はしていないんだけど、93年は長嶋監督になって、サードのレギュラーから外された年で。悶々としているところに、新聞記者の方々ってプロフェッショナルじゃないですか、そういうところを突いてくるのは(笑)。駒田がFAで横浜に行った時なんですよ。僕はまだFA権を持っていなかったんですけど、カマをかけられたんだね。『近藤(昭仁)監督が岡崎もダブルで欲しいって言ってるよ』みたいなことをちらっと言われて、『横浜もいいな』って、僕も雑談的に言っちゃったんだよね。『取材です』っていう感じじゃなくて」

 翌日、巨人の選手は大阪でイベントがあった。ホテルにチェックインすると、マネジャーから言われた。

 「ミスターが呼んでいる」

 「スイートルームに入った瞬間、ミスターが腕を組んで座っていて。『座んなさい』って言われて。『怖え』と思って。マネジャーさんには『出とけ』と。

1対1になって、『どうなんだ。出たいなら出してやるぞ』って。『記者に真意じゃないことを書かれることはたまにはあるけど、火のないところに煙は立たない。お前、これに近いことを絶対言ってるはずだ』って。『言いました』『本気か?』『本気じゃないです』『分かった。水に流そう』って。『水に流す』って恐ろしい言葉だなと思って。むしろ重い言葉だなって。でもミスターはその件を水に流してくれた。『来年、期待しているから。レギュラーで使うぞ』って言われて」

 大分商3年秋、法大進学に内定していた岡崎さんを、ミスターは79年ドラフト3位で指名。大分の自宅まで訪れて説得し、入団に至った経緯があった。

 「『俺が大分に行って、お前を巨人に入れたよな』って。覚えてるんだなって。『俺には責任がある。あの時にお前を一人前にするって言って、俺はすぐ(監督を退任し)いなくなった。で、俺が10何年経って帰ってきたら、俺が期待していたお前じゃなかった。もっと上手くなっていると思っていた。期待外れだった』って言われたんです。心で言っているから、覚えているんでしょうね。気の利いたこと、その時その時で調子よく言っていることって、忘れるじゃないですか。でも心で言ったことって、忘れないんですよね」

 長嶋さんを始め、本書では監督と選手、コーチという間柄で濃厚な日々を過ごした王貞治さん、藤田元司さん、原辰徳さんの人間味あふれるエピソードがたっぷりと収録されている。4人の偉大な野球人について、あらためてこう結んだ。

 「僕の人生で、一番影響を与えて下さった4人ですよね。影響を受けた人が、この4人って、ものすごく幸せだったなって。この方々からいただいた教えに思いを致しながら、自分を律して、これからも生きていきたいなと思いますね」

 ◆岡崎 郁(おかざき・かおる)1961年6月7日、大分生まれ。65歳。大分商3年時に春夏連続甲子園出場。79年のドラフト3位で巨人の指名を受ける。87年から遊撃のレギュラーとなり、88年から背番号は「5」に。90年には三塁でゴールデン・グラブ賞を獲得。日本シリーズでも敢闘賞を受賞した。93年には第58代4番打者を経験。96年に引退後は、2軍監督、1軍ヘッドコーチ、スカウト部長などを歴任した。現在は「大分B-リングス」のGMを務める。右投左打。

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