巨人の内野手として17年間プレーし、現役引退後も巨人の2軍監督や1軍ヘッドコーチ、スカウト部長などを歴任した岡崎郁さん(65)=大分B-リングスGM=がこのほど著書「長嶋さん、王さん、藤田さん。ときどき原さん」(カンゼン刊・税込み1980円)を刊行した。

“四者四様”の指揮官と過ごした日々を、人間味あふれるエピソードとともに振り返る野球ファン必読の一冊。216ページに込めた思いを、前後編の2回に分けてお届けする。まずは前編をどうぞ。(加藤 弘士)

 長嶋茂雄さんが天国に旅立ち、1年と2か月になる。しかしその記憶は色あせない。岡崎さんが本書でつづったミスターの記憶は、豪放磊落(らいらく)な世間のイメージとはひと味違うものだ。

 「すごく繊細で細やかな人で、その豪放磊落なところも全て計算の上に立ってやっているんじゃないかなっていうぐらい。繊細さと豪快さを両方兼ね備えてるから、やっぱりスターなんでしょうね。どちらかだけの人っていうのは多分いると思うんですが、両方秀でている。自分自身を、誰かプロデューサーがいるんじゃないかなっていうぐらい、プロデュースできる能力がある。スターの人ってみんなそうじゃないですか。その中でも長嶋さんっていうのは、あの時代、飛び抜けていたんじゃないですかね」

 本書では、ミスターと岡崎さんの濃厚な関係が描かれている。

大分商3年秋、法大進学が内定していた岡崎さんをドラフト3位で指名し、大分の自宅を訪れて説得したのが、他ならぬ長嶋さんだった。「巨人・岡崎」の「生みの親」とも言えるミスターに、岡崎さんは86年シーズンの夏、ブレイクしたタイミングで仲人の相談をする。すると、浪人中の長嶋さんがチーム内における岡崎さんの立場を考慮しての答えは「プラスにならないよ」だった。同時にこうも言った。「仲人した時のように、これからの君たちを見守っていく」と。

 「その後、長嶋さんは巨人の監督に就任されるんですが、僕が現役最後の96年に2軍へ落ちた時も、朝からよみうりランドの2軍練習へ行ってることを見計らって、昼頃には自宅の妻に電話をしてるんですね。『いろいろ心配だろうから』って。勇気づけてくれたり、励ましてくれたり。本当に見守ってくれたんです」

 長嶋さんとの思い出の数々が本書には記されているが、中でも筆圧強くつづられるのが、あの「10・8決戦」だ。1994年10月8日、ナゴヤ球場で行われた中日と巨人による「同率首位で並んだチーム同士の直接対決」。中日の先発が左腕・今中慎二のため、左打者の岡崎さんはスタメンを外れたが、落合博満の負傷によって途中からサードのポジションを守ることになった。

 「自分の野球人生の中でも特別な試合でした。

あの試合ほど、勝たなきゃいけないっていう試合はなかった。前日からみんな興奮状態でした。ワクワクでありドキドキであり、いろんな意味でピリピリしてるところで。そこで長嶋さんがミーティングで『勝つ勝つ勝つ!』と。あの言葉で最高潮に盛り上がったんです。言葉でみんなを引きつける。最高の状態に変えたミーティングでしたね」

 瞳を輝かせ、続けた。

 「勝負の世界ですから、不安っていうのは、どこかにあるんですよ。でも負けることなんてない。俺たちは勝つんだって。勝ちたいんじゃなくて、勝つんだ。そこにフォーカスさせてくれた。

不安を一切払拭させてくれたんです。僕らにとって、長嶋さんは神様。その人が『負けることなんかない。勝つんだ』って言えば、『ああ勝つんだ』って。みんながそういう方向に行けたんです」

 巨人は勝った。ゲームセットの瞬間、桑田真澄と村田真一が抱き合うと、岡崎さんもサードから歓喜の輪に飛び込んでいった。

 「漏れそうでしたね。快感っていうか、あの喜びが野球人にとっては最高の瞬間なんですよ。あの喜びのために2月のキャンプから苦しい練習をやっているわけで。何年かに1度、1チームしか味わえない快感なんでしょうけど。ただあの『10・8』の優勝は、本当に特別だったなって思いますね」(後編に続く)

 ◆岡崎 郁(おかざき・かおる)1961年6月7日、大分生まれ。65歳。

大分商3年時に春夏連続甲子園出場。79年のドラフト3位で巨人の指名を受ける。87年から遊撃のレギュラーとなり、88年から背番号は「5」に。90年には三塁でゴールデン・グラブ賞を獲得。日本シリーズでも敢闘賞を受賞した。93年には第58代4番打者を経験。96年に引退後は、2軍監督、1軍ヘッドコーチ、スカウト部長などを歴任した。現在は「大分B-リングス」のGMを務める。右投左打。

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