武田一浩に聞くMLBの日本人投手たち 後編
(中編:佐々木朗希の好投が多くなってきた理由を武田一浩が分析 辛口の意見には「長い目で見守って」>>)
メジャー1年目の今井達也(ヒューストン・アストロズ)は、8月13日時点で6勝4敗。支配的な投球を見せることもあれば、制球に苦しむ場面もあり、現在は先発ローテーションを外れてリリーフとして登板している。
一方、メジャー2年目の菅野智之(コロラド・ロッキーズ)は、日本人トップの12勝を挙げている。今井と菅野の現在地について、武田一浩氏に聞いた
【今井は「おそらく調子のよし悪しではない」】
――ここまでの今井投手のピッチングをどう見ていますか?
武田一浩(以下:武田) 僕は悪くないと思っています。MLBのボールにまだ慣れていないというか、馴染んでない感じですよね。(現地時間6月25日の)デトロイト・タイガース戦でのピッチングみたいに、いい時もあるじゃないですか(6回2安打無失点、1四球、10奪三振)。
だから、おそらく調子のよし悪しではなくて、ボールにアジャストできていないんだと思います。今は先発ローテを外れてリリーフをやっていますが、僕が監督だったら、慣れるまで我慢して使うと思います。
――8月3日のトロント・ブルージェイズ戦はリリーフで登板し、3回を無安打無失点、無四球、5奪三振と好投しました。
武田 リリーフで好投したから「メンタルの問題ではないか」という意見もあると思いますが、やっぱりボールへの慣れの問題でしょう。アメリカはすごく乾燥する球場もありますし、日によって感覚も違うと思うので。だから、そんなに心配はしていません。
――今井投手は西武時代も、四球の多いシーズンがあった印象があります。
武田 コントロールは悪かったですよね。ストライクさえ入れば、というタイプだったと思いますが、ここ数年で改善していって勝てるようになった。
ボールが違うとかなり影響がありますからね。(第1回の)WBCで投手コーチを務めた時にバッティングピッチャーをやった時も"抜ける"感じでした。大谷翔平(ロサンゼルス・ドジャース)も最初は滑っていましたし、みんなNPBのボールの感覚が残っているので、慣れるまでけっこうかかるんです。
ボール自体は昔よりよくなっていますけどね。その点で菅野は、ボールが滑るのを前提で投げていますね。それは経験の差でしょう。
――今井投手はチェンジアップも持っていますが、フォーシームとスライダーが中心になっていますね。
武田 それも、たぶん滑るからだと思います。今は慣れるのに必死だと思いますが、ちゃんと投げられるようになれば全部のボールが通用すると思います。表情を見る限りは、自信を失っている感じでもないですし。
――先発に復帰する可能性は?
武田 全然ありますよ。
【菅野のピッチングは「お手本」】
――続いて、菅野投手のピッチングについても伺います。防御率は4.43と高めですが、12勝5敗と勝ち星を積み重ねています。
武田 "勝てるピッチャー"ですよね。技巧派になったというか、うまくモデルチェンジしたと思います。巨人時代よりもフォークが増えましたね。それはボルティモア・オリオールズ時代のキャッチャーのアドバイスと言っていましたが、それがいいほうに作用したんでしょう。
以前よりもさらにコントロールがよくなっていますし、今は三振を取ろうという気持ちがあまりないんじゃないかと。僕も晩年はそうでしたが、ピッチングを楽しんでいる感じがします。スイスイ投げて、球数を少なくしてアウトを取っていったらリズムもよくなりますし、それがバッターの打撃にもつながっていると思います。NPBでの最後のシーズンもよかったですが、アメリカでもいい方向に向かっていますね。
――終始、冷静に投げていて、低めを丁寧についている印象です。
武田 これは個人的な意見ですが、ピッチャーにはああいうピッチングをしてもらいたいですね。スピードがなくても、すごく曲がる球や落ちる球がなくても抑えられるんですから。みんなピッチングをもう少し楽しんでもいいと思うんですが、今はパワー第一という感じじゃないですか。そりゃあ、壊れる投手も出てきますよ。
球団の体質もありますね。「スピードが出なければ使わない」とか、すべて数値で判断してしまうこともある。でも、数値だけではわからないこともいっぱいあります。球速などの数値がよくないピッチャーが、ほかのチームに移籍したら活躍するケースも多いじゃないですか。NPBでは、大竹耕太郎(ソフトバンク→阪神)などがそうですよね。
――菅野投手のピッチングは、多くの投手のお手本になりそうです。
武田 高めのボールはあまり使わず、ほとんど低めですよね。
【プロフィール】
武田一浩(たけだ・かずひろ)
1965年6月22日、東京都生まれ。明大中野高を経て明治大に進み、六大学通算20勝8敗という成績で、1987年にドラフト1位で日本ハムに入団。1991年に18セーブを挙げて最優秀救援投手に輝く。その後、先発に転向して1993年には10勝をマーク。1995年オフにトレードでダイエーに移籍。1998年に13勝で最多勝のタイトルを獲得した。同オフにFA宣言をして中日に移籍し、1999年のリーグ優勝に貢献。2002年には巨人に移り、史上3人目となる全球団からの勝利を達成した。同年限りで現役を引退。2006年の第1回WBCで投手コーチを務めた。
浜田哲男●取材・文 text by Tetsuo Hamada










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