「早く、私の走りを見てもらいたい」

女子100メートル予選。オリンピック・スタジアムの大観衆の中、憧れのパラリンピックの舞台に立った高桑早生(さき)選手が感じたことだ。
「パラリンピックが見たいと思って来てくれている観客。場内を見渡すと観客の表情からその様子が伺えてとても楽しかった」と笑顔がはじけた。進んだ決勝のスタートライン。「セットの瞬間に心臓の音がドクドク聞こえ、緊張した」。結果は14秒22、7位入賞を果たした。

親に心配をかけるぐらい行動的。
子どもの頃からバレーボール、テニスと、とにかく体を動かすことが好きな女の子だった。小学校6年生のとき、そんな彼女を骨肉腫が襲い、3度の手術を受けたあと、左足を切断した。「体育の授業で50メートルを走る機会があって、短距離は好きだし、どうしても見学したくなかった。初めて義足で走ってみたらうまく走れた。『私も走れるんだ』と嬉しかった」

高桑選手の義足を作る義肢装具士の高橋将太さんが、彼女の「運動好き」を知っていて、切断者のスポーツクラブに誘った。そこで、義足の選手たちが「とても綺麗な走りをしていることに感銘を受けた」のが陸上を始めるきっかけ。


「とにかく、何でもやってみること」がモットー。中学3年生から毎日3キロの道のりを自転車で通学した。「ちょっと頑張ってチャレンジしたら、行動範囲が広がる。それからは『駄目でもいいからやってみよう』と思うようになりました」

現在、慶應義塾大学、総合政策学部2回生だ。「色んなことが学べる学部。義足のデザインを研究している方のお手伝いをしています。
障害者の世界にデザインがどう影響するのか。色々なもののデザインについて考えていきたい。人の手に届くモノっていいですよね」。どの発言からも真剣で真っ直ぐな思いが伝わってくる。練習以外で好きなことを聞いてみても、「映画が好きで、休みの日には掃除をしたり……」というものの、結局は陸上の話に戻る。高校時代は毎日、大学では週5回、約3時間トレーニングを続け、パラリンピックのことばかりを考えてきた4年間だった。


競技の魅力は「体一つで走るという人間の基本的な動きを極めることができること」。彼女の走りは堂々としていて美しい。100メートルをトップスピードで走り切れるよう、彼女を指導している埼玉大学大学院生の高野大樹さんと二人三脚、フォームの改善、スタミナの強化など様々なトレーニングに励んできた。陸上を始めて4年、めきめきと記録を伸ばし、昨年9月のジャパンパラリンピックでは100メートルで13秒96を叩き出し日本記録に0秒12に迫った。

競技を終え海外のトップ選手と対戦し、「4年後はもっと記録を伸ばしてくる選手が増えているはず。100メートルではコンスタントに13秒台を出さないと代表にもなれない。
目指してきた夢にたどり着いて、やっとここまできたが世界は遠い。4年後のリオを目指す理由ができた」と力強く語った。200メートル予選では、自己ベストの29秒37で決勝に進み、7位入賞を決めた。決勝を終えた陸上界の期待の新星は「もっと早くなりたい。一生懸命やってきて幸せ」と涙を光らせた。

大事にしている言葉は恩師がいった「初志貫徹」。
「どこにいっても、初めて体験することばかり。私は常に『チャレンジャー』なので、最初に義足で走ったときの純粋な気持ちを忘れないでいたい」
(山下敦子)