1980年代にシーンを形成したバンド
ECHOESが日比谷野外音楽堂でのライヴをもって解散したのが1991年5月で、辻仁成(Vo&Gu)が『海峡の光』で第116回芥川賞を受賞したのが1997年。現在までのところ、彼の著作は小説だけでも50作を超えているのだから、辻仁成にロックシンガーのイメージを持たない人たちも多くなっているかもしれない。爆笑問題が所属する事務所、タイタンが彼のマネジメントを行なっているからと言って、コメディアンと思う人はいないだろうけど、タレントや文化人の枠に入れられている気がする。少なくとも平成生まれ…いや、昭和60年代以降に生まれた人にとってはそういうイメージではなかろうか。
今や大型ロックフェスは日本の夏の風物詩と言っていい。今年はコロナ渦でそのほとんどが中止、あるいは延期となってしまったが、中止や延期がニュースになったことが、それが定着した何よりの証左あろう。
1985年頃には有頂天、ウィラード、ラフィン・ノーズの所謂“インディーズ御三家”がNHKに取り上げられて話題を呼んだが、これにしてもロックバンドがメジャーではなかったゆえのこと。
サウンドも冷静と情熱の間!?
ECHOESのデビューは1985年。前述の通り、1991年5月に解散したわけで、まさに今ほど日本のロック史、芸能史においてかなり重要だと指摘した時期を駆け抜けたバンドである。それだけでもECHOESの功績は十分であったと言えるが、今回、彼らのアルバムの中で最高売上を記録した6th『Dear Friend』を聴いて、そのサウンドやスピリッツが後世に与えた影響も決して小さいものではないことがよく分かった。
例えば、M5「ZOO」辺りは、跳ねたピアノや根底に流れるオルガン、間奏で聴こえてくるブルースハープは見事にR&Rのマナーに準拠しているように思うし、アウトロでのゴスペル風のコーラスはブラックフィーリングがあって、ブルース、ソウル、R&B──つまり、R&R以前の音楽への敬愛も隠していない。
それは──これも言うまでもなく、当然のことだが、彼らがソロアーティストではなく、バンドであるからだろう。M8「年頃」の間奏に注目してみた。これも跳ねたピアノが印象的で、乾いたギターもいい感じのナンバー。何度聴いてもこの間奏はサックスでもいい気がする。いや、それが正解だとか、収録されているアコースティックギターのソロ演奏が合わないとか言いたいのではない。ベタにやったらそうなるということ。おそらくソロアーティストであったら、8割方、サックスにするのではないかと想像する。サックスが似合うメロディー展開、コード展開だと思う。M9「駅」ではサックス(じゃないかもしれない…)を使っているので、外音に抵抗はなかっただろう。もちろん当のメンバーにとって、「年頃」の間奏をアコギにしたのは極めて自然なことで、そこに何か大きな狙いがあったわけではないかもしれない。そう言われればそこまでだが、そんなところにもECHOESらしさ、他アーティストとの差別化を感じてしまうのである。(※そもそもこのコラムは個人の感想ですので、悪しからずご了承ください)
歌詞の表現方法は流石に独特
『Dear Friend』の歌詞について記そう。辻仁成、さすがにのちの小説家。比喩表現が独特である。川村かおりに提供し、のちにセルカバーしたM5「ZOO」は、やはりその代表ではあるとは思う。
《僕達はこの街じゃ夜更かしの好きなフクロウ/本当の気持ち隠しているそうカメレオン/朝寝坊のニワトリ徹夜明けの赤目のウサギ/誰とでもうまくやれるコウモリばかりさ》《白鳥になりたいペンギンなりたくはないナマケモノ/失恋しても片足で踏ん張るフラミンゴ/遠慮しすぎのメガネザルヘビににらまれたアマガエル/ライオンやヒョウに頭下げてばかりいるハイエナ》《見てごらんよく似ているだろう誰かさんと/ほらごらん吠えてばかりいる素直な君を》(M5「ZOO」)。
シニカルでユニークな動物の擬人化も見事ではあるが、それだけではなくて、こちら側が一方的に見ているのではなく、あちら側からも見られているという視点の主客逆転が根底にあるのも大きなポイントであろう。この辺は“のちに映画監督になるだけあるなぁ”と思わせるところでもある。比喩表現の独特さで言えば、M9「駅」もなかなか面白い。凡百の作詞家なら駅での出会いや別れといった、そこでのシチュエーションを描きそうなところ、辻は駅を女性(パートナー)に例えている。(※以下は歌詞カードが入手できなかったため、ヒアリングで書き起こしたものです。実際の歌詞とは異なっている可能性がありますことを予めご了承願います)。
《いつも幸せのひとつ手前の駅で降りてしまうのは何故だろう/いつも2人はさよならの終着駅まで乗ってしまうのは何故だろう/STATION IN MY HEART いくつもの駅を通り過ぎた/STATION IN MY HEART 乗り換えるだけの名もない駅を》《愛に急いで行先の分からない電車に飛び乗ってしまうのは何故だろう/だからいつでも降りたい駅を横目に通過する急行の中にいる僕/STATION IN MY HEART 急行は君の駅を飛ばす/STATION IN MY HEART 各駅停車の小さな駅を》《STATION IN MY HEART 手を振るだけの君が悲しい/STATION IN MY HEART 見送るだけの僕が悲しい》(M9「駅」)。
今見ると、若干態度に問題があるような気もしないでもないが、かといってそれがその独特の表現を貶めるものでもなかろう。
最後に──1985年から1991年にかけて活動したECHOESのスピリッツは後世に影響を与えた…と書いたが、その証拠(?)とも言うべきものをM12「ビーズの指環」に見つけた。この歌詞にこうある。《抱え切れずに/こぼれたものは/君かもしれない》。これを聴いて、GLAYの「BEAUTIFUL DREAMER」を思い出した。《時の速さに流されぬよう 強く握り過ぎて壊したものは/オマエだったかな…》の箇所である。似てると言えば似てるし、似てないと言えば似てないので、“それほど関係はないのだろうな”と半信半疑で調べてみたら、GLAYのリーダーでコンポーザーのTAKUROは中学生の頃、ECHOESのファンで、初めて観たロックバンドのコンサートがECHOESだったというエピソードに辿り着いた。何もGLAYがECHOESをパクったとか、師弟関係にあるとか、そういうことを言いたいわけではない。TAKUROが「ビーズの指環」を意識して「BEAUTIFUL DREAMER」を書いたとは思えないので、無意識下での類似だったと思われるが、冒頭で述べたロックバンドの広がりを考えると、それはそれで素敵な話ではないか。
TEXT:帆苅智之
アルバム『Dear Friend』
1989年発表作品
<収録曲>
1.Dear Friend, Gentle hearts
2.Brother
3.Dear Friend
4.デラシネ
5.ZOO
6.片想い
7.アンカーマン
8.年頃
9.駅
10.神が作ったシナリオ
11.コスモス
12.ビーズの指環