1980年、来日したスペイン国王に対し、昭和天皇が語られた驚くべき「記憶」がありました。

「私はあなたのおじいさんにごちそうになったことがあります。
お米の料理でした」

遡ること90年。若き日の昭和天皇が口にした「一皿」の記憶が、時を超えて両国の絆を呼び覚ましました。しかし、その正体はスペイン側にも記録がなく、長年「謎」とされてきたのです。

本記事では、西川恵氏の著書『皇室はなぜ世界で尊敬されるのか』(新潮社)より一部抜粋・編集し、一人の外交官が執念で探し当てた「幻のメニュー」の正体と、皇族の記憶が外交に果たした知られざる役割をひも解きます。

■一外交官の執念
外務省の日本・スペイン両国交流史の資料には、交流の起点として3つの出来事が記されている。

1549年のキリスト教宣教師の聖フランシスコ・ザビエルの日本への渡来。

1584年、天正遣欧少年使節団がローマに向かう途次、スペインの首都マドリードで国王フェリペ二世に謁見し、歓待を受ける。

1615年、支倉常長率いる慶長遣欧使節団がスペイン国王フェリペ三世に謁見。

しかしその後は明治の開国期を除き、両国の交流は一気に戦後に飛ぶ。戦前は全く空白になっていた。

この穴を埋めたのは、昭和天皇が宮中晩餐会で語ったエピソードを聞き逃さなかった一外交官の執念だった。

■戦後に築かれた王室同士の関係
2017年4月4日から7日まで、スペイン国王フェリペ六世(49歳=当時)とレティシア王妃(44歳=同)が国賓として来日した。
フェリペ六世は、国王だった父フアン・カルロス一世の退位に伴い14年、王位に就いた。

皇室とスペイン王室の親密な交流は、両国の友好関係を支える重要な要素となっている。

フェリペ六世は皇太子時代に愛知万博などの機会を利用して3回来日しており、先の天皇、皇后にとっては息子のような存在だ。

国王即位後の初来日に、両陛下は5日、歓迎の宮中晩餐会を催した。フランス料理に最高級フランスワインという宮中晩餐会の定番である。

和気あいあいとした雰囲気で進んだ晩餐会の、約150人の招待客の中に前国連大使の吉川元偉夫妻がいた。吉川氏はこの年の3月に外務省を退官したばかりで、国際基督教大学特別招聘教授になっていた。

スペイン語が専門の吉川氏が国賓であるスペイン国王を歓迎する宮中晩餐会に出席するのは3回目。一国の元首の宮中晩餐会に3回も出席するのは外務省職員でも珍しい。既に外務省を退官していたものの、スペインとの関係の深さから招かれたのである。

吉川氏が戦前の皇室とスペイン王室のエピソードを調べることになるきっかけは、国王夫妻の1回目の来日のときだった。

■「あなたのおじいさんにごちそうになった」
日本滞在中、フアン・カルロス一世と昭和天皇との間で次のようなやりとりがあった。


昭和天皇「私はあなたのおじいさんにごちそうになったことがあります」

国王「いつですか」

昭和天皇「私は若いころ欧州を歴訪しましたが、パリに滞在していた時、あなたのおじいさんから昼食会に招いていただきました。スペイン大使公邸で何を食べたか、今も覚えています。お米の料理でした」

国王「パエリアだったのではなかったですか」

国王の滞在中、昭和天皇は二度にわたって同じ話をしている。

一度目は、迎賓館での歓迎式典を終え、皇居に移動する車中。二度目は同じ日の夜、晩餐会が終わったあと、食後酒を傾けながらの歓談のひとときだ。よほど思い出深い出来事として昭和天皇の記憶に残っていたのだろう。

このやりとりが間接的に吉川氏の耳に入った。

■埋もれていた歴史を追いかけて
昭和天皇は皇太子だった1921年3月から9月までの半年間、欧州を歴訪している。当時のスペイン国王はアルフォンソ一三世(1886~1941年)で、フアン・カルロス一世の祖父に当たる。

皇室とスペイン王室の間に戦前にさかのぼる関係があったことは知られておらず、吉川氏も驚いた。スペイン担当の同僚たちも初耳だった。

国王に同行していたスペイン側の随員にたずねても「両国の皇室・王室がそんな古くに交流があったとは知らなかった」との答えが返ってきた。


このエピソードは吉川氏の頭に強く残った。

なぜ昼食会が持たれたのか。それまでに日本とスペインの間でどのようなやりとりがあったのか、昼食会ではどのような話題が交わされたのか……。

スペインに赴任する外務省の同僚に昼食会のことを伝え、調べてみてはと勧めもした。しかし何の音沙汰もないまま歳月が過ぎた。

吉川氏が自分でこのことを調べようと決めたのは2006年、自身が駐スペイン大使に任命されてからだ。それは氏が大使として自分に課したミッションの一つ、「皇室とスペイン王室の関係を深める」こととも関係していた。

■見つからなかった“昼食会の謎”
皇太子のスペイン訪問、国王夫妻の来日、戦前における皇室とスペイン王室の交流の解明と、日西両国の友好に小さくない役割を果たした吉川氏だったが、解明できないことが一つあった。

どのような料理がスペイン大使公邸の昼食会で出されたのかだ。これはスペイン側資料からも出てこなかった。

昭和天皇は「お米の料理」と言い、フアン・カルロス一世は「パエリアではないか」と推測した。

しかし吉川氏には「国王主催の昼食会で、パエリアのような庶民料理が出るだろうか」という疑問があった。


同氏はスペインでの調査と並行して、宮内庁の書陵部に連絡し、この昼食会のメニューを調べてくれるよう依頼していた。書陵部では『昭和天皇実録』のための資料整理が行われていた。

メニューが見つかったと連絡があったのは国王の訪日から4年後の2012年、吉川氏は経済協力開発機構(OECD、本部・パリ)の日本大使をしていた。

■見つかった90年前のメニュー
フランス語で書かれたメニューで、日本側が保存資料としてメニューの上部につけた注記には「西班牙國大使館ニ於ケル御會食ノ御献立」とある。

・卵、プリンセス風
・オマール海老のアメリカ風、カレー味のお米
・骨付き仔羊、グリンピースとジャガイモのシャトー
・肥育鶏の冷製、五月のバラのジュレとアイーダ風サラダ
・チョコレートの冷たいスフレ
・チェスターケーキ

おそらくスペインの公邸料理人が作った料理と思われるが、興味深いメニューである。

デザートまで入れて6皿で、肉料理が仔羊と鶏の2種類出されているのはいかにも戦前のメニューだ。今日、2種類の肉料理が同一メニューに載ることはない。

前菜についてだが、プリンセス風という名前がつけられた料理にはアスパラガスの穂先とトリュフの薄切りが用いられるのが特徴だ。ホワイトアスパラガスに半熟卵の黄身をからませながら食べる一品だと思われる。6月はフランスではホワイトアスパラガスの季節である。おそらく香りづけにトリュフの薄切りが散らされていただろう。

昭和天皇が語ったお米の料理は、次のオマール海老の付け合わせで出されている。


米をカレー味でバターで炒めたもので、吉川氏が予想した通りパエリアではなかった。〈オマール海老のアメリカ風〉はトマト、エシャロット、ニンニク、パセリなどをバターで炒め、白ワインとコニャックを注いでソースとして、オマール海老にかけた料理だ。

〈ジャガイモのシャトー〉は角切りにしたジャガイモをバターで炒めたもので、仔羊の付け合わせ。肥育鶏の料理は、おそらくバラの香りのトロリとしたジュレをかけたものだろう。

デザートも2種類。最後は英国のチェスターケーキ。アルフォンソ一三世の王妃はビクトリア英女王の孫娘で、英国との関係が深い。そのあたりを忖度したキニョネス大使が気を利かせて、公邸料理人に指示したのだろうか。

なおメニューには残念ながら飲み物が記されていないが、シャンパンと白赤のワインだったであろうことは想像に難くない。

■交流の歴史が明らかにしたもの
吉川氏はメニューが明らかになった2012年6月、外交問題に関するスペインの雑誌に、裕仁皇太子とアルフォンソ一三世の昼食会のエピソードを6ページにわたって紹介。

これはスペインで2015年に発行された『20~21世紀におけるスペイン対外政策史』(2巻本)の西日関係史の中でも引用された。

『昭和天皇実録』の第3巻でも、昼食会の模様は24行にわたって詳しく紹介されている。


吉川氏が解明した内容が多く盛り込まれていることは言うまでもない。なお同氏は昼食会のメニューのコピーを先の両陛下と皇太子に渡したという。
この書籍の執筆者:西川 恵 プロフィール
1947(昭和22)年長崎県生まれ。71年毎日新聞社入社。テヘラン、パリ、ローマの各支局、外信部長、専門編集委員を経て、2014年から客員編集委員。仏国家功労勲章シュヴァリエ受章。『エリゼ宮の食卓』(新潮社)でサントリー学芸賞。『ワインと外交』(同)、『知られざる皇室外交』(KADOKAWA)など著書多数。
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