人生に迷ったとき、元気がほしいとき、あるいはただ日常を忘れて泣きたくなるとき――そのような瞬間にそっと寄り添う存在がアニメである。アニメには人生のヒントや生きる力が詰まっている。
コラム『アニメ大先生』は、「人生で大切なことはすべてアニメが教えてくれる」をテーマに、アニメを通じて得られる学びや気づきを綴る連載である。

連載第24回となる今回は、八木美佐子アナウンサー(19回目)が、春になると思い出す「クラス替えの緊張感」を回顧。大人になっても消えない居場所への不安というパーソナルな感情を入り口に、第2期の放送が始まった『お隣の天使様にいつの間にか駄目人間にされていた件』の魅力を語ります。
「お隣同士」という物理的な近さが少しずつ心の距離を溶かしていく。そんな本作ならではの甘く焦れったい関係性を、往年のラブコメ作品へのリスペクトや、自分を預けられる”居場所”の尊さという視点から、八木アナがゆったりと綴ります。

◆心ほどける春『お隣の天使様にいつの間にか駄目人間にされていた件』

【関連画像】真昼ちゃんを思い浮かべながらミルクティーを注ぐ八木アナ

新年度を迎えました。4月になると、なぜか決まって見る夢があります。クラス替えの夢です。フィリップ・K・ディックのSFの名作『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』ではありませんが、私の場合はさしずめ、『学生という肩書きを卒業して10年以上が経つ私は、なぜ春にクラス替えの夢を見るのか?』といったところでしょうか。ずいぶん長いタイトルですが、どこかライトノベル風の趣もあります。自分でも不思議なのですが、春という季節はどうやら、あの頃の居心地の悪さや緊張感を、思った以上に鮮明に呼び起こすもののようです。

中高一貫校に通っていた私の学年は、1学年120人、3クラスで成り立っていました。
今思えば、たった3クラスしかない環境では、1年生の時点である程度の立ち位置が決まってしまうところがありました。私は中学デビューに成功したタイプでもなく、ただのオタクとして静かに日々を送っていたので、クラス替えは胸躍るイベントというより、緊張を伴うシャッフルゲームでした。しかも「八木」は出席番号がいちばん最後になりがちで、先生の気まぐれなルール「じゃあ出席番号後ろから」に怯えていたものです。

けれど、大人になった今なら、あの落ち着かなさの正体も少しわかる気がします。新しい教室に入ることも、誰かと同じ時間を過ごすことも、本当はそれだけで小さな勇気がいることなのです。私にとってクラス替えの夢は、単なる学生時代の悪夢というより、「自分の居場所はどこにあるのか」という根源的な問いの裏返しなのかもしれません。だからこそ春の風が吹くたびに、居場所が定まらないあの頃の心の揺れが、条件反射のように夢となってよみがえるのでしょう。

そんな”誰かと距離を縮めること”のぎこちなさや、”同じ日常を分かち合うこと”の尊さを、驚くほど繊細に描き出しているのが、4月から第2期の放送が始まった『お隣の天使様にいつの間にか駄目人間にされていた件』です。同じマンションの隣同士に住む周と真昼が、甘く焦れったい関係を少しずつ育てていく本作。第1期を振り返ると、二人の関係は劇的な波乱ではなく、穏やかな積み重ねによって進んできました。雨の日に傘を差し出したことから始まり、食事を共にし、少しずつ同じ部屋で過ごす時間が増えていく。その歩みは、オーイシマサヨシさんによる第1期OP『ギフト』の歌詞を借りるなら、まさに「それってもしや恋じゃない?」という確信へと向かう幸福なプロセスです。
思わず身を乗り出して見守りたくなります。

物理的な近さが心の距離を変えていくというのは、ラブコメ王道のひとつと言っていいでしょう。古くは1980年代の金字塔『めぞん一刻』や、私と同世代なら多くの人が夢中になった『とらドラ!』が思い浮かびます。手の届く距離にいるからこそ生まれる親密さが、特別な意味を帯びていく変化には、時代を問わない浪漫があります。……とはいえ、本音を言えば羨ましさも相当なものです。はぁ、そんな隣人が私にもいたらいいのに。できれば料理まで作ってくれたら、なお嬉しいところですが。

周は誰かに深く踏み込まれることに臆病であり、真昼もまた「天使様」という完璧な仮面の裏に不器用さを抱えています。けれど二人は、「この人といると少し安心する」という実感を積み重ねることで、ようやく自分を過剰に奮い立たせなくていい「居場所」を見出していきます。誰かに「甘やかされる」ことは、未熟さではなく、自分を預けられる相手を見つけたという強さのかたちなのではないでしょうか。

第2期の1話では、その積み重ねが次の段階へ進んだことが、はっきりと感じられました。これまでは室内での交流が中心でしたが、第2期の始まりでは、二人の関係が「学校」という他者の視線がある場所へ開かれ始めています。
家の中だけで大切に育ててきたものを外へと持ち出す。その甘さと気恥ずかしさ、そして少しの緊張感は、新年度を迎えた今の季節にもふさわしく映りました。

私はまだ、夢の中で教室の中に居場所を探しています。でも、この作品を観ていると、人はたったひとり、安心して隣にいられる相手と出会うだけでも、世界はずいぶん優しく見えるのだと思わされます。「孤独の形」が誰かの存在によってほどかれていくその先に、どんな景色が待っているのでしょうか。真昼ちゃんのあまりの可愛さにすっかりメロメロになりつつも、二人が紡ぐ日常を見届けたいと思います。

『お隣の天使様にいつの間にか駄目人間にされていた件』は、誰かが隣にいてくれることの特別さを、甘く丁寧に描く作品です。
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