◆戦争と「正義の相対性」

 世の中、唯一絶対の普遍性を持った正義はありません。



 にもかかわらず、「われわれの掲げる正義こそは絶対だ!」と説きたがる勢力は多々存在します。



 



 そのような勢力の間で、対立が激化したらどうするか。



 いかなる方法で解決を図るかについて、折り合い、ないし妥協が成立すれば良いのですが、成立しない場合は、しばしば実力行使しかなくなります。



 つまりは武力衝突。



 要は戦争です。



 



 私の記憶が正しければ、映画監督のフランシス・コッポラも、ベトナム戦争を題材にした自作『地獄の黙示録』と関連して、次のような趣旨の発言をしました。



 



 【倫理観は相対的なものだという主張は、パリのようなところでなら、もっともらしく聞こえる(注:1968年より、パリではベトナム戦争をめぐる和平会談が行われ、1973年に協定が結ばれた)。

だがベトナムでは、それが戦争を正当化する論理になるのだ】



 



 唯一絶対の正義が存在しないからこそ、話し合いで対立を解決しなければならないのに、戦場ではまさに同じ理由によって殺し合いが起きるのです。



 裏を返せば、いかなる戦争であれ、その全体像をとらえようとするのであれば、「一方の側が絶対に正義で、他方は絶対に悪」という構図を、安易に当てはめるべきではない。



 ロシアのウクライナ侵攻も例外ではありません。



 



 今回の侵攻、どちらがどちらに攻め込んだかは明確ですし、大規模な人道危機が生じているのも疑問の余地がない。



 情報戦(認知戦)による誇張やフェイクが混じっている可能性を否定はしませんが、そもそも戦争に人道危機はつきものです。



 



 あれだけ大規模に攻め込んだあげく、思い通りに制圧が進まないとき、人道がきっちり尊重されたら、そちらのほうがよほど不思議。



 ロシアへの非難が高まるのは、当然の帰結にして、正当なことと言わねばなりません。



 侵攻の影響で、ウクライナとロシア、双方からの農作物(および肥料)の輸出が滞っている結果、世界では途上国を中心に飢餓が生じる恐れまであるのですぞ。



 





◆ウクライナを見下す黒幕論

 ただしこれは、



 〈平和に暮らしていたウクライナに、悪いロシアがいきなり攻め込んできた〉



 という解釈が成り立つことを意味しません。



 



 「ウクライナ侵攻、ロシアはどこまで〈悪〉なのか」で詳述したとおり、ウクライナはウクライナで、NATOの「高次機会パートナー」になったり(2020年)、アメリカとの「戦略的パートナーシップ憲章」をアップデートしたり(2021年)と、ロシアへの対決姿勢を強めていたのです。



 ここにはNATOやEUの東方拡大を図ることで、ロシアを封じ込めようとする米欧の思惑、すなわち覇権戦略もからんでいる。



 



 そのせいでしょう、今回の侵攻については「ウクライナを使ってロシアを挑発、武力行使にまで追いやった米欧こそが真の問題だ」とする論調も見られます。



 さしずめ「米欧黒幕論」。



 ロシアはギリギリまで耐え忍んだあげく、やむにやまれず剣を抜くにいたったのだというわけです。



 往年のヤクザ映画によく見られた筋立てですね。



 



 むろん、米欧黒幕論にも一理ないわけではない。



 だとしても、二つ大きな問題があります。



 



 まずはウクライナの主体性を無視していること。



 NATOやEUの東方拡大によって、米欧がロシア封じ込めを画策するのはいいとして、肝心のウクライナが親ロシアの姿勢を見せていたら、最初から話にならない。



 しかるにウクライナは2003年いらい、「国家安全保障法」という法律で、NATO加盟による欧州への統合を謳っているのです。



 



 アメリカがウクライナのNATO加盟を提案するのは2008年ですから、それより5年も前のこと。



 2010年代に入ると、親ロシア派と目されたヴィクトル・ヤヌコーヴィッチ大統領までが、EUとの関係強化をめざしています。



 現大統領ウォロディミル・ゼレンスキーなど、2022年3月1日、欧州議会で行ったビデオ演説でこう述べました。



 



 【あなたがた(注:EU)と家族になりたい、あなたがたと対等な存在になりたいという願望のために、われわれは今、最も強くたくましいウクライナ人を犠牲にしています。



 【「ウクライナがヨーロッパを選ぶ」という表現があります。私たちがめざしていたもの、向かっていた目標です。そして、私はあなたがたから「ヨーロッパが選ぶウクライナ」という言葉が聞きたいのです。】



 (読みやすさを考慮し、表記を一部変更)



 



 米欧に操られるまでもなく、ウクライナは親米・親EU、すなわち反ロシア。



 となれば「米欧がウクライナを使ってロシアを追い詰めた(=ウクライナはもっぱら対ロシア戦略の駒として利用された)」という主張も説得力を失う。



 



 ゼレンスキーのビデオ演説など、ウクライナのほうからEUを利用しようとしているではありませんか。



 現にウクライナは、自国上空を飛行禁止区域に設定するよう求めることで、NATOを戦争に巻き込もうとしました。



 操り人形(であるはずの存在)に振り回されかねないようでは、黒幕の名が泣くというものでしょう。



 



 世界には戦後日本のごとく、アメリカの「極東現地妻」であることを身上として、何があろうとひたすら追従する国もなくはない。



 昨今の追従ぶりたるや、『感染の令和 または あらかじめ失われた日本へ』で詳述したように、じつにうるわしい、もとへ嘆かわしいものがあります。



 だとしても、すべてを自分の尺度で計りたがるあまり、ウクライナを見下すような真似をするのは考えもの。



 地上にはもっと根性のある国も存在するのですよ!



 





◆ロシアはウクライナを放っておいたか

 のみならず「米欧黒幕論」は、ロシアの主体性も無視している。



 つまりここには



 「米欧がウクライナを放っておきさえすれば、ロシアもウクライナを放っておいたはずだ」



 という暗黙の前提がひそんでいます。



 



 けれどもウラジーミル・プーチン大統領は2011年いらい、「ユーラシア連合」という独自の地域覇権構想を提唱している。



 かつてソ連の一部だった諸国を再結集、EUに対抗できるような国際秩序の枠組みを築こうとするものです。



 2015年にはその前段階となる「ユーラシア経済連合」が発足しました。



 



 「ユーラシア連合」の英語名称は「Eurasian Union」ですから、素直にイニシャルを取ればこちらもEU。



 区別のためでしょう、EAUと呼ばれるようですが、まさに「類似品にご注意下さい」の世界です。



 そしてウクライナをこの枠組みに参加させられるかどうかは、ユーラシア連合の勢力がヨーロッパにまで及ぶか、中央アジアから東に留まるかの重大な分岐点。



 ウクライナの地理的な位置から言って、これは明らかでしょう。



 



 ところがウクライナ、プーチンの構想に乗ってこない。



 親ロシア派とされるヤヌコーヴィッチすら、EUとの関係強化をめざしたことが示すように、完全に西側を向いているのです。



 2020年、ユーラシア経済連合創設5周年を取り上げた記事にも、こう書かれてしまう始末。



 



 【ユーラシア経済連合は、本命のウクライナには逃げられ、加盟国も増えず、統合も思うように深まらないと、パッとしない状況にあります】



 



 ところがお立ち会い。



 2010年代後半になって、自由主義諸国では「反グローバリズム」の動きが持ち上がりました。



 ひらたく言えば、アメリカとEUの覇権にたいする反発です。



 ロシアにとっては嬉しい話。



 



 さらに2021年には、ユーラシア大陸におけるアメリカの覇権の後退を端的に示す出来事が起きる。



 8月末、アフガニスタンから米軍が完全撤退したのです。



 



 アメリカの後ろ盾によって、どうにか維持されていた「アフガニスタン・イスラーム共和国」は、撤退が完了もしないうちから総崩れに。



 8月15日には反政府勢力タリバン(正式名称「アフガニスタン・イスラーム首長国」)が首都カブールを掌握、大統領の座にあったアシュラフ・ガニはアラブ首長国連邦に亡命しました。



 あまりにぶざまな顛末のせいか、ジョー・バイデン米大統領の支持率も、この日を境に50%を割り込み、現在にいたるまで回復していません。



 



 アフガニスタンの動静については、中田考さんの著書『タリバン 復権の真実』に詳しいのですが、果たしてプーチンは、この状況でウクライナを放っておいたか?



 どう考えても、答えはノーでしょう。



 



 ウクライナを勢力下に留めておけるかどうかが、ロシアの国家戦略を左右する重要性を持ち、かつウクライナが親米・親EUの姿勢を崩さない以上、米欧の対ロシア戦略のいかんを問わず、今回の侵攻は不可避だった。



 こう結論せざるをえません。



 反グローバリズムの風潮と、アメリカの覇権の衰退、わけてもアフガニスタンでの大失態が、それに拍車をかけた次第です。



 



 というわけで「米欧黒幕論」も、「とにかくロシアが悪い論」と同じく、事態の一面しか捉えていないのですが・・・



 今回の侵攻の全体像をつかむには、さらに考慮すべき点があります。



 この先は次回、お話ししましょう。





文:佐藤健志