バブルと不景気に翻弄された装丁家・斉藤啓氏がその想定外な仕事人生を振り返る、シリーズ「どーしたって装丁GUY」第9回。21歳の斉藤青年。
■神宮前サイバーパンク
モラトリアムのぬるま湯からや~っと重い腰を上げたぼく(前回コラム参照)。案ずるより産むが易し、まずはグラフィックデザイナーになってみようじゃないか。
ぼくがむかったのは、アートディレクター奥村靫正おくむらゆきまささん率いる、ザ・ステューディオ・トウキョウ・ジャパン。
YMOの一連のアートワークや、細野晴臣、山下達郎、サディスティック・ミカ・バンド、ムーンライダーズなど、錚々たるミュージシャンのレコードジャケットのデザインのほか、村上龍やウィリアム・ギブソンなどイケてる小説の装丁など、アーティスティックかつ、来たるデジタル時代を遥かに先取りした超サイバーパンキッシュな作品を数多く手がけている奥村さんは、感度の高い若いデザイン好き・サブカル好き・テクノ好きの間では憧れの的。当時40歳そこそこだったと思いますが、もはやレジェンドa.k.a. 天上人な存在でした。
当然ながらツテも何もありませんので、ブ厚く高価な【広告年鑑】を買い込み、その名簿から奥村さんの住所と電話番号をストーカー行為。「入社したいんですけど!」と電凸したところ、「じゃ、ま、とりあえず作品持って遊びにおいで」と、電話口の奥村さんご本人。
まだAPEもNeighborfoodもなかったプロペラ通りをすり抜け、神宮前の古いマンションの最上階にある事務所へ。昼でも薄暗くやたらと広い事務所の壁には、奥村さんが手がけた大小のポスターが無造作に貼り付けられ、並べられたパーテーションにはスケッチや進行表などがピンやテープでとめられ、デスクには資料や校正刷りなどがモリモリと山積みされたジャンクな空間。その奥、ギシギシ音がしそうな事務椅子を“玉座”にして、伝説のグラフィックデザイナーは静かに座していました。
そのあと奥村さんと何をお話ししたのかは、まるで覚えていません。
ぼくの持参した作品のほとんどは、美大生のころから作り溜めていた、オリジナルのポスターやらコラージュやらスクラップブックやら。あとは東電広告バイトで作ったポスターやフライヤー(チラシ)やらがちょっとだけ。今から思えば、ノリと勢いだけで有名作家の模倣をツギハギしてこしらえた、“作品”としての体裁も整わないもの。それらに、じっくり目を通してくれた奥村さん。履歴書を見返しながら、
「君はもう21歳なのだから、もっと焦らなきゃダメだよ」
そう仰られたことだけはハッキリ覚えています。
そのピリッとした様子を、奥のデスクから遠巻きに覗いていたのは、元プラスチックスのメンバーでロックミュージシャン、ここでグラフィックデザイナーもしていた立花ハジメさんだったのかも。
けっきょく、とゆうか、あたりまえに入社は叶わず。今日初のにっこり笑いで「また、おいで」と、軽く手を上げる奥村さん。どこの馬の骨ともわからない若者をこころよく招き入れ、率直な意見をくださった奥村さんには、今も尊敬と感謝しかないのです。しかし、根拠なき自信の塊であったぼくは心底ガッカリ。
ともあれ、どうやらぼくは今「焦らなきゃダメ」なポジションにいるらしいのはわかった。
■Fランデザイン事務所
憧れのデザイン事務所にフツーに即入社できるものだと考えてたぼくですが、いきなり道を断たれてしまって、「あれぇ?おっかしいな?」。
奥村さんストーキング用の【広告年鑑】のことを思い出し、作品と名簿を照らし合わせつつ「この人の下でなら、まぁ働いてもいいかな?」と謎の上から目線で、わりかしイケてそうな有名デザイナーを数人ピックアップ。
いざ、入社希望!と電話をかけてみたものの、「いま社員は募集していません。募集広告が出たらご応募ください」と、自動音声ばりの事務的な案内をされるばかり。世間は買い手市場のバブル期ではありましたが、さすがにエリートデザイン事務所となると競争率高めの圧倒的な売り手市場。
早くもくじけてしまいそうなぼくですが、こちとら焦んなきゃダメなんだからよ!とゆうわけで、「イケてるデザイン事務所はいったん置いて、ともかく実践経験を積むことが優先」という方針にアッサリ180度変更。
1万円もした【広告年鑑】をぽいっと捨て置き、近所の本屋さんで【フロムA】(当時のメジャーなバイト求人雑誌。100円。)を購入。デザイナー募集のページをパラパラとめくりはじめました。
当時、こーゆう一般バイト雑誌に募集広告を載せるのは所謂“Fラン”デザイン事務所ばかり。有名人気デザイン事務所は、広告・デザインの専門書(コマーシャル・フォト、ブレーンなど)にしか募集を出さなかったのです。今はどうなのか知らないですけどね。
ともかく、どんなアホでもヘタクソでも入れそうな会社に目星をつけて、公衆電話のダイヤルを回したら、当然一発ビンゴ。申し訳程度に面接があったような気がしましたが、面接官である役員さんたちはロクに履歴書も作品も見てなかったような。
その会社、なんでも、大手事務機&文具メーカーのカタログの仕事を受注しており、これが電話帳レベルにブ厚いシロモノ(アスクルのカタログを想像してください)で、在籍デザイナーのキャパ的にとても捌ききれない量なので、急遽、カタログ専門の分室を設置、デザイナー大量増員が必要になったよう。つまりはデザイナーなんぞ質より量。その他大勢のモブデザイナーとして、ぼくはここに初就職したというわけ。
その社名は【クリエイティブ・ファースト】w。本社は月島でしたが、ぼくの勤務地は錦糸町の分室となりました。
■スピードこそ上手さ?
まー会社のランクはどうあれ、とにもかくにもグラフィックデザイナー“には”なったぼく。ここは単なるスタート地点、ここから「おれのデザインで世界を変えるぜ!」、
なんて勢いこんでたのは入社初日の最初の2時間くらい。
とにかく来る日も来る日も、事務機&文房具カタログの本文デザイン。1000ページはあるであろう見開きデザインの指示書の束を、ぼくを含めた大勢のデザイナーがよってたかって1枚ずつデザインして潰してゆき、チーフデザイナーのOKをもらっては、使用写真のポジを添えて、印刷所にブチ込む。入社前に夢みてた、キラキラして意識高い系クリエイティブとはほど遠い、地味~で事務的な単純労働でありました。
でも、入社して一週間も経たずに、あることに気づきました。
デザイン部の広いフロアに、15~20人ほどのデザイナーが机を並べ、みな等しい環境でデザイン業務を行ってるのですが、どーやらぼくの作業スピードが突出して早いっぽい。皆が半日かけてるデザインを、ぼくは1時間で仕上げてしまう勢い。
これが上司のチーフデザイナーには「便利」だったようで。
カタログといえども、目玉商品をドンと見せたい派手なページと、淡々と商品を並べる捨てページの2種類があり、その前者のデザインがぼくに集中。ぼくがそれらを多少荒っぽくどんどんデザインを上げてゆくそばから、同僚のデザイナー数人が荒さゆえのミスをフォローし、細部の整合性をとってチーフに上げてゆく、みたいな効率的ラインが自然にできあがってゆきました(最初の頃はフォローされてることに全然気づかなかったんですけどね)。
デザインにおいて、スピードは、それだけで大きな武器になる。この頃から「斉藤くんはフツーのデザイナーの3倍早い」と言われ続けてきましたが(大袈裟と思いつつも悪い気はしないので否定せず)、マジメな話、例えば3倍速ければ、同じ時間で3倍の仕事量がこなせるとゆうことになるし、デザインの完成度を上げる時間がフツーの3倍確保できるとゆうことになるのです。
入社前、東電広告バイトでたった1人でデザインをしていたときは、常に時間に追われ、自分のスキルの限界をイヤでも突破しなきゃならない状況ばかりだったので、そこで後天的にこのスピードが身についたんだと思われます。スピードは、デザインの上手さと必ずしも同義ではありませんが、状況把握力と対応力の結果であり、「要領がいい」とか「カンがいい」ってのはこのことです。
■不穏in月島
数ヶ月後、年は明け、1991年。
事務機カタログの仕事はすでに終了し、錦糸町の分室は引き払い、社員全員が月島の本社に戻っていました。
そんなある日、社長以下、経営陣が揃った集会がありまして。ずらりと揃う社員(50人くらいはいたはず)を前に社長はこう言い放ったのです。
「我が社は今後、量より質。優れたクリエイティブ性で広告デザイン業界をリードする!ことにする!」
は?いきなり?
具体的には、有名な広告賞を受賞経験アリのアートディレクターはじめコピーライター、デザイナー他4名のクリエイティブチームをまるっと我が社に招聘し、クリエイティビティに特化した部署を新設。国内外の有名広告賞(音楽業界でいえばレコード大賞のようなもの)を狙えるよう、社の体制を大きく変換するとのこと。
その新設クリエイティブ部に、デザイナーはぼく、コピーライターは同い年の女子の佐藤さんが抜擢。が、その他のデザイナーには(一部の古参を除いて)大幅なリストラ予告がされました。どーやら事務機カタログ人員として無闇やたらに入社させた大量の社員をサクッと切り捨てる模様。ひどっ。
自主退社を迫られた同僚たちと呑むと(ぼくも堂々とお酒を飲める年齢になりました)はじまるウワサ話。なにやら、経営陣が株だか不動産だかゴルフ会員券だかの運用で大損したとか。
しかし言うても時はバブル時代で売り手市場なので、退社組の仲間たちもほどなく次の就職先が決まってゆき、あぁよかったなと思いつつ、ぼくはぼくで新設クリエイティブチームの一員として、最新の広告のイロハを叩き込まれ、いままでの我流スタイルとは全く違う、効率的でシステマティックな広告製作スキームに毎日刺激を受けていました。
数ヶ月後、このバブル経済がいともたやすく弾ける、とは思いもせず。
絵と文:斉藤啓
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