韓国芸能界の黎明期には、芸能マネージャーがタレントを発掘し、コネを使ってレコード会社やテレビ局に売り込みを図るという状況であったが、日本市場でチョー・ヨンピルをはじめ、歌手を売り込む企画を中心としたビジネスモデルが成功したことで、音楽産業界は企業として成立できる状況が生まれつつあった。
とはいえ韓国国内ではいまだ「トロット」と呼ばれる韓国演歌が主流を占める世界であった。これでは新しく生まれた世代の需要に応えられず、韓国の音楽・芸能市場に拡大は見込めない状態だった。
韓国では社会が豊かになるにつれて、若者層が消費者として登場してきてはいたのだが、日本の大衆文化が制限されていたこともあって、後にJ–POPと呼ばれる日本の新しい音楽状況が十分伝わっていなかった。
したがって、若者世代は相も変わらず、古い世代を中心とした楽曲には言い知れぬ不満を抱いていた。当時の韓国の音楽業界には、これらの若者の欲求不満に応えられなかったのである。
1980年代当時の日本では、松田聖子、小泉今日子、堀ちえみなどのアイドルブームが起こり、「80年代アイドル」と呼ばれていた。一方で、安全地帯や五輪真弓、荒井由実などの新しいタイプの音楽シーンが主流となり、演歌の世界は狭められていた。
アイドルブームの中で、新しいタレントの発掘に『スター誕生!』などの、テレビでのオーディション番組が登場した。
こうした動きは、ホリプロ、サンミュージック、田辺エージェンシーなどの新興プロダクションへのタレント供給源となった一方で、テレビの草創期から黄金時代を築いていた渡辺プロダクションの影響力が薄まりつつあり、芸能事務所の新旧交代を招いていた。
芸能事務所関係者には「3分で作れるカップ麵が受けたのだから、昨日の素人がアイドルやスターになれる時代だった」と言う人もいて、素人を斬新な企画とともに売り出すというビジネスモデルが、巨額の利益を得るような時代になっていた。
■ジャニーズを参考にしたK‒POP1977年には、韓国でも新しいタレントを生み出す、テレビ番組がスタートした。それが韓国地上波テレビ局MBSが主催した「MBS大学歌謡祭」である。
この番組がたちまち若者の支持を得るようになり、国民的イベントとして大衆社会に受け入れられていった。
この番組で大賞を受賞すれば、その年を代表するヒット曲となる。同番組は大勢のスター歌手や人気バンドを輩出していった。
この一連の流れは、日本の芸能界の新しいトレンドを真似たものだが、目新しい傾向を持ったアマチュアの若者が、若いリスナーに受け入れられるようになった。
それにともなって、芸能事務所も組織的に動くようになり、エンターテイメント産業として巨額な利益を上げる企業に成長していったのである。
次々に登場してくる若いアーティストたちの中から、自らが作詞・作曲して売り込みをかけるセルフプロデュースで成功するケースも出てくるようになった。彼らは芸能事務所を脱した、新しいタイプの業界を創成するイノベーションを打ち建てたと言えるだろう。
これまで古いタイプの歌謡曲しかなかった韓国音楽芸能界では、個人芸能事務所が放送局などを回って仕事をとってくるのが普通の状態であった。しかし、セルフプロデュースとなると、企画から楽曲の制作まで歌手及び事務所が行わなければならなくなる。つまり楽曲自体が個性を持つパフォーマンスとなり、それを総合的にプロデュースする新しいイノベーションが必要とされたのである。
このノウハウを日本のジャニーズ事務者などからつぶさに研究し、韓国流にアレンジメントして実際のビジネスとして作り上げることに成功したのがSMエンタテインメントなどの新しいシステムを持った総合芸能プロダクションであった。SMエンタテインメントの創設者であるイ・スマンなどは、日本独特のアイドルシステムや企画などを徹底的に研究し、ジャニーズの影響を受けたことは広く知られている。
このスタイルが若者に人気となり、ビジネスとしても新しいマーケットの開拓につながったのである。
その結果、SMエンタテインメントでは、日本のジャニーズなどのアイドルをプロデュースする方法を韓国に輸入し、ダンスや演出などをアジア人の体型に合わせたパフォーマンス方法とアメリカンポップスを融合させた。要はアメリカ人的な雰囲気をフィーチャーしたアジア人独特のパフォーマンスをアメリカンポップス調の楽曲とコラボさせ、新しさを演出したことがK–POPが世界で認知される要因になったのである。
この方法は、韓国内で音楽業界の基本戦略となったが、一定水準以上の発展をした後には、この手法には先がないと見越し、2000年以降は北米をターゲットとした事業展開を企画するようになったという。
業界が発展し、ビッグビジネスとして成功するにはやはり韓国内の市場は狭すぎたのだ。
ジャニーズのタレントを中心とする日本のアイドルはロックミュージックを基調とする楽曲が主流だが、韓国の三大芸能事務所は特徴があり、YGとJYPでは黒人系アメリカンポップス、SMがユーロポップ系だとされている。
世界的な展開を企画するには、このような幅広い音楽性が、K–POP全体として有利に働いたと思われる。
日本のアイドル界はその市場の豊かさから、主に国内展開を中心にしてビジネスを成立させているが、先細り感はぬぐえないだろう。その意味では将来的には韓国のビジネスモデルを日本も取り入れるべきだろうと私は思っている。