間もなく発売予定の三菱自動車「デリカD:5」が結構な話題だ。12年ぶりというマイナーチェンジにも驚きだけど、超ド派手に激変した「顔」がスゴイことになっている。



 道具感溢れるボディのD:5は、機能的でとてもまとまりのいいスタイルだった。それが一転、悪趣味の限りを尽くしたようなギラギラ顔になったのは、「ダイナミック・シールド」と呼ばれる独自のデザイン言語の反映にあるらしい。

 たとえば、パジェロの強靱なバンパーやランサーエボリューションの攻撃的なグリルなど、同社を代表するクルマの特徴をとらえて自車のヘリテージ(遺産)とし、新たなデザイン展開をするという現デザイン本部長の提案だ。

「シールド=盾」の名前のとおり、実際、最近の三菱車のフロントは厳つい表情が多く、その流れがD:5にも波及した格好。けれども、そもそもD:5のボディに盾は必要だったのか?

 で、最近この手の「デザイン言語」的なものがちょっとしたブームになっていて、トヨタ自動車の「キーンルック」、ホンダの「ソリッド・ウイングフェイス」、日産自動車の「Vモーション」など、「顔」をテーマにしたものだけでも実にさまざま。そして、なかにはD:5同様の残念な案件が少なくなかったりする。

 たとえばトヨタ。上下左右に引き延ばしたランプやアッパーグリル、「アンダープライオリティ」と称する大口を開けたアンダーグリルの組み合わせが「キーンルック」で、やっぱり同社のデザイン担当役員が提案したもの。

 この「キーンルック」による最近の残念案件といえば、やっぱりプリウスかと。アッと驚く縦長ランプの顔がどうにも不評、昨年末に大幅な手術を受けて「ふつう」の顔に近づいたのは、読者の皆さんもご存じだろう。

●言語を採用したこと自体が重要視される状況

 今、なぜこんなことになっているかといえば、そうしたデザイン言語の多くが短絡的で魅力がないうえ、クルマ全体の造形云々より、その言語を「採用」したこと自体が重要視されるという、実にトンチンカンな状況にあるからだ。

 厄介なのは、この手の言語にはコンセプトらしきものが掲げられており、実にそれらしかったりすること。
だから、担当デザイナーに話を聞いても「この形にはコレコレの理由があって……」などと、理路整然としていて破綻がない。ところが、肝心のクルマを見ると「アレレ?」という本末転倒状態なのだ。

 もちろん、デザインには「意図」や「狙い」が必須だ。けれども、それは滔々(とうとう)と説明できるから優れている、ということじゃない。

 たとえば、ダイハツ・ブーンのデザインテーマ(モチーフ)は「六角形」で、実際に内外装の随所に六角形が施されている。担当デザイナー氏もそれを嬉々として語り、その説明に破綻はない。ところが、ブーンのスタイルと来たら……という具合。

 けれども、だ。多くの自動車メディアでは「今度の三菱アウトランダーはダイナミック・シールドが採用されているので、実にスタイリッシュ」なんてことが平気で書かれている始末。まさに、言語のひとり歩き状態。

 欧米ではデザイナーの転職はごく一般的で、各社間で才能の交流が進んでいる一方、基本終身雇用の国産メーカーはデザイン責任者も社内人事の都合で決まる。しかも、デザイン業務のインハウス化が進んで、外注もすっかり減った。
そこで昇任した責任者がおかしな提案を――と僕は考えている。

 1980~90年代の日本車が、メーカーの色を出しつつも個性に富んでいたといわれるのは、グッドデザインに対してニュートラルな姿勢があったからじゃないか? つまり、優秀なデザイナーが、より自由に力を発揮できていたと思えるのである。
(文=すぎもと たかよし/サラリーマン自動車ライター)

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