便所サンダルの無頼のロッカーは父に。SuiseiNoboAz...の画像はこちら >>



Text by 天野史彬
Text by 山元翔一
Text by 木村篤史



SuiseiNoboAzが1年8か月ぶりのフルアルバム『GHOST IN THE MACHINE DRUM』を完成させた。個人的な話からはじめてしまうと、10年ほど前に私はSuiseiNoboAzに取材している。



そのときの取材のことはずっと、私の記憶に強く刻まれていた。なぜかというと、その取材の席で石原正晴が「僕は僕が生きているっていうことを、すごく掛け替えのないことだと思っているんです」と言った、その瞬間、その言葉が、この10年間私の頭を離れなかったからだ。



私にとって、この問答無用の肯定こそがSuiseiNoboAzであり、石原正晴という男であり続けた。



あれから10年、ここに送るメンバー全員取材のなかで、石原は新作『GHOST IN THE MACHINE DRUM』を語る言葉として、「祝福」という言葉を使っている。私には、その言葉はとてもしっくりくるものであり、10年前の彼の言葉を思い出させるものでもあった。



「祝福」と言っても、大げさなパーティーのようなものじゃない。

彼らは向き合い、見つめ、潜る。本作の随所に見られる「ゴースト」というモチーフは、都市や家族、そして私たち一人ひとりの個人の「存在」のレイヤーをより深く、色濃く、感じさせるものだ。



SuiseiNoboAzにとって、ロックンロールのダイナミズムは細部に生きている。彼らは細部にフォーカスを合わせ、地層を覗き込む。そうすることで、彼らはこの混沌とした世界を、私やあなたの複雑な命を、祝福しようとしているのだ。



便所サンダルの無頼のロッカーは父に。SuiseiNoboAzが鳴らす、祝福と弔いのロックンロール

SuiseiNoboAz(スイセイノボアズ) / 左から:松田タツロウ(Dr)、石原正晴(Vo,Gt,Sampler)、高野メルドー(Gt,Pf)、河野"Time Machine"岳人(Ba)
2007年夏、東京都新宿区にて結成。

石原正晴を中心に3ピースロックバンドとして活動を開始する。2010年1月、向井秀徳プロデュースによる1stアルバム『SuiseiNoboAz』にてデビュー。以降、『RISING SUN ROCK FESTIVAL』『ARABAKI ROCK FEST.』など、国内の大型ロックフェスティバルに出演するほか、アメリカ・テキサス州オースティンで開催されるアートコンヴェンション『SXSW』にも出演するなど、国内外で精力的に演奏を続ける。2022年8月24日、現メンバーで初となるオリジナルアルバム『GHOST IN THE MACHINE DRUM』をリリース。



-新作『GHOST IN THE MACHINE DRUM』は、全体的に「マシン」や「亡霊」などの通底するイメージが歌詞やタイトルに散りばめられていて、とてもコンセプチュアルな作品に感じるのですが、どのようなところから制作ははじまったのでしょうか?



石原(Vo,Gt,Sampler):うちは毎回そうなんですけど、青写真を決めて綿密に構築していくようなつくり方はしないんです。なんとなく自分のなかで引っかかっているワードが先にあって、作品をつくることで、そのワードの意味がわかってくる、というような制作過程で。



謎かけの謎を解いていくように、タイトルを先に決めたり、あらかじめキーワードを出して、それを軸にセッションや作業を進めていくんです。作品をつくりながら、深層心理を暴いていくような感じですね。



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-今回、その象徴的な言葉が「GHOST IN THE MACHINE DRUM」だったということですか?



石原:“GHOST IN THE MACHINE DRUM”という曲自体は去年の夏くらいにはあったんですけど、要は、無機質なもののなかに宿る霊魂、転じて、音楽のなかに潜む秘密みたいなものだと思います。



The Policeの『Ghost in the Machine』(1981年)とか、『攻殻機動隊』の「GHOST IN THE SHELL」とか、「メカニカルなものに宿る霊魂」というモチーフは昔からあると思うんですけど、種がわかっているもののなかに、えも言われぬ謎が潜んでいる。



最近、家でグルーヴボックス(※)を触って制作を進めることが多いのもあると思うんですけど、そういうところになぜか引っかかった言葉があって、それをメンバー全員で探り当てるようにつくっていったんです。



-「DRUM MACHINE」ではなく「MACHINE DRUM」であるというところが、響きに独特なものを持たせている気もします。



石原:ElektronのMachinedrumというドラムマシンがあって、残念ながらぼくはそれは持っていないんですけど、Elektronのマシンが大好きで。なにがいいかって、エラーではなく、いい意味でアクシデントがたくさん起こるんです。



「憎いな」と思うのが、Elektronのマシンは、設計上、それぞれにあえて弱点を残しているんです。他はなんでもできるのにパラアウトだけできないとか、こっちはサンプリングができないとか。あれがたまらない(笑)。



あと「ドラムマシン」を引っ繰り返して「マシンドラム」って、カッコいいですよね。

「俺はドラムマシンではない、マシンドラムである。では、マシンドラムとはなにか? ドラムマシンのなかのドラムマシンである。ドラムをやるマシンではなくて、マシンでできたドラムなのである」という…………そういう気概を感じますね(笑)。



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河野(Ba):スタジオに入ると、こういう言葉が飛び交うんですよね(笑)。



-なるほど(笑)。



河野:すごいですよ。

脈絡のない、とんでもないワードが石原くんから出てきて、スタジオ中を飛び交うんです。その宙に浮いたものを具現化するために、メンバーがそれぞれのアプローチで掴みにいく。それが最近のボアズのスタイルなんです。



高野(Gt,Pf):わかりやすいことがひとつもないですよね。石原語みたいな(笑)。普通のバンドだと「ああいうジャンルで」「あの曲みたいな感じで」みたいに参照するものがあると思うんですけど、ボアズはそうではないんです。



-松田さんは昨年加入されたので、今回が初めてのボアズとしてのアルバム制作だったと思いますが、こうしたつくり方に触れてみて、いかがでしたか?



松田(Dr):ひたすら楽しいです。やりづらさも感じないですし、自分に合っているなと思いますね。音楽ジャンルのようなワードじゃなくて、謎かけのように飛び交うワードからインスピレーションを得ることもすごく多いです。



-石原さんはなぜ、こうした創作のあり方を求めるのだと思いますか?



石原:これは「ゴースト」という言葉にも関連してくると思うんですけど、自分というものを超えた領域、自分のなかにある自分も知らない部分にタッチしたい、ということだと思います。



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石原:音楽は自然科学みたいなものでもあって、厳密にルールが決まっていて、「音楽はすでにパターンが出尽くしている」と言う人もいる。特にロックの音楽に関しては、「この先はない」と言う人もいる。



ぼくはそうは思わないですけど、とはいえぼく自身、ロックや音楽の仕組みはある程度わかっちゃっている部分もあって……それでも、自分がつくる音楽に毎回驚かされる。



河野:石原くんは、早い段階で決まることを嫌うよね。すぐに演奏やアレンジが決まりそうになると「このままだと普通の曲になっちゃうから」って、ストップをかけたりする。つねに限定したくない、広がりを持たせておきたいっていうのはあるのかもしれないね。



石原:そうだね。なるべく、いろんなことが起こってほしいんです。ぼくの商売は人前で自作のポエムを絶叫するようなものなので、本当に体重が乗っていないとできないんですよ。なので、自分のなかで底が知れてしまうと、途端に嫌になってしまう。最後までずっとドキドキワクワクしたままでいたいんでしょうね。



-アルバムの5曲目に収録された“亡霊に遭ひし事”は、このアルバムにとらえられた「ゴースト」の存在をひとつ象徴的に描いた曲のような気がしました。この曲の歌詞からは、土地に地層のように折り重なって存在しているさまざまな時代の亡霊が、同じ瞬間に立ち上がってくるようなイメージを与えられます。



石原:本で読んだ話なんですけど、ある渓流釣り師は逃がした魚の姿が見えなくなることを「魚が下の川に入った」と言うらしくて。



目の前にある川の下にも川が流れているっていう、その言い方が面白いなと思ったんです。それって、もしかしたら街や道にも言えるのかもしれないなと。



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石原:街や道というものを語ろうとしたときに、多くの場合そこで語られるのは、作為的に切り取られた街や道だったりするんじゃないかと思うんです。



そうではない「野生の街」や「野生の道」のようなものがあって、「それはこういう姿をしているんじゃないか?」と思って書いたのが“亡霊に遭ひし事”です。



いろいろな時代のいろいろなあり方が未整理のまま、同時にオーバーラップしているような、そういう野生の街の姿を一度書いてみようと。



-「野生」や「未整理」というのは、このアルバム全体に感じるリアルさのようなものを言い表す言葉として、とてもしっくりきますね。



石原:このアルバムの制作は1年間かかっているんですけど、これは自分たちの感覚でいうと、すごく長い。そのぶんこのアルバムには、その長い期間のさまざまな生活が未整理のままアーカイブされているところがあって。



ある解があって、それによってストンと腹落ちするのではなく、1年間という時間の細部、都市の広がりの細部に、グッと視点が寄っていくようなイメージがある。それが、『GHOST IN THE MACHINE DRUM』なんじゃないかという気がします。



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-アルバムリリースの前にシングルとして世に出た“THE RIDER”と“群青”はメロディアスで、開放感のある楽曲です。リリース時のコメントによれば、昨年、石原さんに息子さんが生まれたことが、この2曲に影響を与えているそうですね。



石原:『ノマドランド』(2020年)などを撮ったクロエ・ジャオ監督の過去作に『ザ・ライダー』(2017年)という映画があって、ロデオライダーの話なんですけど、壮絶にいい映画なんです。



それを見て映画自体にも感動したんですけど、同じくらい「ザ・ライダー」という言葉にも感動したんですね。「こんなに明け透けな言葉があるか?」と思って。



石原:それで、そのときつくりかけだった曲に“THE RIDER”というタイトルをつけたんですけど、つくっていくうちに「どうやら、これは子どもについての歌なんだな」ということがわかってきたんです。



「ライダー」は子どもで、自分は乗りものなんだなということがわかってきた。“THE RIDER”は、自分が主役じゃないというか、「歌い手が主役じゃない歌」という新鮮さがありました。



これまでの自分の歌詞は、私小説的というか、独我論的と言っていいくらいの感じだったと思いますけど、それが、他人に対して開けていくような感じがありました。



-“THE RIDER”は最後の<BORN TO BE LOVED / BORN TO BE WILD>という肯定的なフレーズも印象的ですね。「WILD」という、まさに「野生」ということも歌っていますし。



石原:この部分は、「ライダー」といったら『イージー・ライダー』(1969年)だろうというところで歌ったんですけど(笑)、<BORN TO BE LOVED>は、祝福というか。甘いだけではなく、世界の残酷さのなかで祝福するイメージですかね。



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-「祝福」という言葉について最近よく考えるんです。人や世の中に向き合う態度として、自分がいますごく求めているもの、という感じがして。



石原:いいですよね、祝福って。人生やその人そのものを「よきもの」として認識してあげる、ということだと思う。



さっきも言ったように、このアルバムはいろんなものをなるべく未整理のまま描こうと思ったんですけど、よく考えたら自分は昔から一貫してそうなんです。作為的に大きな物語を描くのではなく、細部をなるべく未整理のまま描いていって、そこになにか流れを立ちあがらせたいとずっと思っている。



石原:そのなかで、「祝福」というのはぼく自身、明確にイメージしているところがあって。野生の街、野生の人生、野生の道……「野生の」というのは「ありのままの」ってことですけど、それらは、それ自体、意味は持たないわけです。



それを「よきもの」と認識してあげる。そういう心構えだけがあるっていうんですかね。それが祝福な気がするんです。このアルバムは未整理のまま羅列しているけど、間違いなく、祝福はしている。そういうアルバムなんだと思います。



-“群青”の<小さな子供の頃に / 誰かに / 抱きしめられたことなど / 忘れてしまっても / ああ、夜が明ける / ああ、夜を行く>という歌詞も印象的でした。



石原:生後5~6か月くらいの頃は息子の夜泣きがひどくて、夜中に抱っこして外をウロウロしないと寝なかったんです。そのまま明け方になっちゃったりするんですけど、“群青”は夜の青さのなかで子どもを抱いて歩いていたときのイメージですね。



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石原:“THE RIDER”と同じで、親は乗りものなんだということ。同時に、自分もかつてはライダーであったということでもあるんですけど。乗りものは、乗り潰して捨ててもらうところまでなのかなと思います。自分もいつか乗り潰されて乗り捨てられるけど、それでも構わないよ、という。



この曲は、親から見た子どもの歌ともいえるし、子どもから見た親の歌ともいえるし、自分が子どもの頃の歌ともいえる。“群青”もタイトルが先に決まっていてつくりはじめたんですけど、これも祝福の歌にしたいなと思っていました。世界の残酷さのなかで、にもかかわらず人生を祝福したいと思った。



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松田:俺はボアズに入って2年も経っていないですけど、 “THE RIDER”と“群青”ができあがったときに「こんな情景の曲、SuiseiNoboAzで聴いたことがなかったな」と思うくらい開かれているなと思ったんです。歌詞の内容も、うるっとくるような瞬間があって。



河野:個人的に思うことで言うと、今回のアルバムは「対比」のアルバムかなと思っているんです。それは肉体と霊魂もそうだし、親と子とか、夜と朝とか、いろんな対比があると思うんですけど、そういう対比の色彩が、前よりもどんどん鮮やかになっている。



昔の歌詞は、モノクロとは言わないけど、何色かわからないようなトーンという印象で。でも、最近は、鮮やかになったと思います。それは、お子さんが生まれたのも大きいと思いますし。



石原:……このアルバムをレコーディングしているときに、2ndからずっと録ってくれているエンジニアの池内(亮)さんと思い出話をしていたんですけど、「あの頃はめっちゃくちゃ尖ってたよね」って言われて。たしかに尖りすぎて、わけわかんなくなってたんですよね(笑)。



なんというか、ものすごく物騒なノームコア、みたいな(笑)。『フジロック』(2009年)の「ROOKIE A GO-GO」も便所サンダルで行ってましたね。



河野:そうだった。あの頃、ずっと便所サンダルだったよね。



石原:髪も伸ばしっぱなしで、働いてもなかったし。どうやって家賃払ってたのかわかんないですけど(笑)。いまは、多少しなやかにはなったなと思いますね。



-河野さんがおっしゃった「対比」に関しては、石原さんとしてはどうですか?



石原:精神と肉体、都市と人間、あるいは、現在と過去、現在と未来……さまざまな対比がこのアルバムにはあるのかなと思います。



このアルバムで最初につくった曲が“Y.O.M.I.”なんですけど、この曲は、前半はボコーダーで歌っていて、後半はエフェクトのない声になっていく。前半と後半でゆるやかにキーも変わっている。そういうところで、「これはマシンと霊魂だな」と思ったんです。



―対比される物事同士のあいだにある、境目が曖昧な部分から「マシンと霊魂」という着想を得た?



石原:霊魂を持たないはずのマシンが黄泉の国を爆走していて、「なぜ、俺はここにいるんだろう?」と自問している、という漠然としたイメージが最初にあって。胡蝶の夢で、どっちが夢でどっちが現実かわからないところもあるんですけど、恐らくこの対比がずっと引っかかっていたんだと思います。



“THE RIDER”と“群青”にしても、わかりやすく「家族の曲」としてシングルカットしましたけど、いざアルバムのなかで聴くと、ゴーストが宿っている曲なんです。魂の連続についての歌なので。



そうやって、このアルバムには細部にゴーストが宿っている。もちろん、ゴーストと対になるものも宿っている。過去が宿っていたら、現在や未来も宿っている。そういうところで、対比というのはあると思いますね。



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-アルバムの最後に収録されている“Y.O.M.I.”が、今作で最初につくられた曲というのは少し意外でした。



石原:もともと自分は「“Y.O.M.I.”が1曲目かな」と思っていたんです。でもトラックが出揃ったときに、河野さんが「“Y.O.M.I.”は最後がいいな」と言ったので最後に置いてみたら、すごくアルバムがまとまった感じがあって。



このアルバムは<午前6時>と歌い出す“GHOST”ではじまり、“BARCELONA”で夜を迎えて、“群青”で夜明けを見て、“Y.O.M.I.”でもう一度朝になる。時間軸で綺麗に並んでいたんです。



“Y.O.M.I.”のあとにもう一度“GHOST”に戻ると、意味が変わってくる。それは、世界自体が変容するというよりは、世界をとらえる意味が変容してしまうような感覚なんですけど、狙ってやったわけではないので自分でもびっくりしました。



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-“BARCELONA”は本当に美しい歌の曲だと思ったのですが、この曲はどのように生まれたのでしょうか?



石原:2019年の10月に妻とバルセロナに行ったんです。時系列的には前作の『3020』(2020年)よりも前なんですけど、なぜ行ったのかというと、遅めの新婚旅行だったんです。



そのとき、バルセロナに着いたら激しいデモが起こっていたんですね。カタルーニャの独立デモで、日中は平和的なデモだったんですけど、夜になると火炎瓶が飛び交うような状況で。混乱に乗じて過激なことをやろうとする連中が混じってくるんでしょうね。



石原:ただ、この曲自体は、カタルーニャの独立デモを主題としているということではなくて。そこにまったくよそ者の自分たちが紛れ込み、そして、カタルーニャの独立という土地に深く根差した問題を通して、その都市に沈殿しているものやアーカイブされているものを目撃しているということなんだと思います。



-この曲にも、都市の亡霊がいる。



石原:バルセロナにはひとり友人が住んでいて、彼と会う約束をしていたんですけど、本当にホテルからも出られない、地下鉄にも乗れないって感じで、会うどころの騒ぎではなくて。そんななかやっと会えたんですけど、別れのときに、ほんの5メートルくらい脇でフードを被った怪しげな男が放火をしていたんです。それがすごく印象に残っていて。



暴力というものが一度転がり出したときに、さまざまな細部を置き去りにしたまま、ものすごく膨れあがっていってしまう恐ろしさを感じた。そういうことも、この曲には入っていると思います。



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-なるほど。裏を返すと、細部を置き去りにするがゆえに、暴力が現れてくる危険性があるという感じもします。



石原:あと、“BARCELONA”は、『3020』の前日譚のような曲なのかもしれないなと思います。



……この話は近しい人間以外には話したことがないんですけど、2019年の1月末に、私は第一子を亡くしているんです。娘だったんですけど、正確に言うと、生まれてくるはずのほんの直前に亡くしてしまった。



『liquid rainbow』(2017年)のツアーが終わった頃で、そこからかなり苦しい時間があったんですけど、自分たちの気持ちを慰めるためのバルセロナへの新婚旅行という意味合いもあって。



それからずっと、娘のことやさまざまなことを自分なりに考えてきたんですけど、答えが出るようなことではないですよね。わかりやすい回答は得られない。でも、それでも生きていかなければいけない。そういうなかで、ごくパーソナルな意味合いで『3020』というアルバムをつくったんです。



そして『3020』が発売になって、“それから”という曲のミュージックビデオを公開したときに、息子が生まれることがわかったんです。



石原:ただ思うのは、私が娘を失った悲しみや苦しみは、私と娘の関係を他の誰とも置き換えることができないように、誰とも交換することのできないものなのだということなんですよね。本当の意味では誰にも理解されないものだし、自分も、自分と同じような境遇の人に出会ったとしても「わかる」とは言えないと思う。



でも「交換できない悲しみ」であるということが大切なんだと私は思います。それは人生のなかにものすごく大きなものをすでに得ているということだから。そのことを思うことで、私はエネルギーが湧いてきます。他の人がどうかはわかりませんが。



―“THE RIDER”と“群青”の話で「魂の連続」とおっしゃった背景には、そうしたこともあったのですね。



石原:“それから”を経て、息子が生まれて、この『GHOST IN THE MACHINE DRUM』というアルバムには、娘のことと息子のこと、そのふたつが入っているんだと思います。



もちろん、息子は亡くなった娘の代わりに生まれてきたわけではない。誰も娘の代わりにはなれないし、息子の代わりもどこにもいない。誰も誰かの代わりにはなれない。それでも、それだからこそ、すでに色々なものをお互いに与えたり受け取ったりしていて、遠い未来のことを考えたときに、輪廻とかの話でなく、どこかで混じり合う地点があるような気もする。



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-最後に、あえてアルバムの内容とは切り離した質問として伺いたいのですが、石原さんは、こうして作品をつくり続けているご自身の存在を通して、下の世代の人に見せたいもの、伝えたいことはありますか?



石原:ご期待に沿えなくて申し訳ないですけど、「誰かになにかを伝えたい」と思ったことすらないかもしれないです。自分は自分のためにやっている。



ただ、趣味的にやっているかというとそういうわけでもなくて、生業としてやっている。ひとつあるのは、自分が作品をつくることと、そのことによって得られる結果を混同しないように、警戒しています。



自分が曲をつくることを、なにか結果を得るためのことなんだと考えはじめてしまうと、もっともっと前の段階で濁りが生じてきてしまう気がするんです。音楽は、ありのままに、よきものを生む。それに集中しているだけですね。



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