●「完璧な母でなくてもいい」と思えるように
タレントの福田萌が夫であるオリエンタルラジオ中田敦彦との夫婦生活についてつづったFRaUwebのエッセイを一冊にまとめた『「中田敦彦の妻」になってわかった、自分らしい生き方』が7月20日に発売される。書籍内には夫婦カットや家族集合カットを掲載、夫婦対談も収録されている。
福田にインタビューし、中田との結婚生活や2児の母としての奮闘、シンガポール移住後の変化、さらに将来について話を聞いた。

福田は、番組共演をきっかけに交際に発展した中田と2012年6月に結婚し、2013年7月に第1子女児、2017年1月に第2子男児を出産。中田が相方の藤森慎吾とともに2020年12月末をもって吉本興業を退所した後、2021年3月より家族でシンガポールへ移住した。

――結婚生活をつづったエッセイが一冊になりましたが、今どんなお気持ちですか?

中田敦彦の妻で、娘と息子の母という役割に集結してしまっているような葛藤がずっとあったので、そういった思いを赤裸々に書き、シンガポール移住が決まったときのドタバタなども書いてきました。昔悩んでいたことが今はあまり悩まなくなったという成長もここ数年で感じていて、一冊の本になったことで約10年間を振り返ることができ、ありがたいなと思っています。

――ここ数年で成長を感じているとのことですが、どう変わったのでしょうか。


以前は、自分の思い描いている理想と現実のギャップに悩んでいました。3食ちゃんと栄養あるものを作って、習い事など子供がやりたいこともさせてあげて、仕事もやって……という風に思っていたのですが、それが全部中途半端になってしまい、50点以下みたいな自分が嫌でした。でも、完璧な母でなくていいんだなと。今は50点以下の自分も受け入れて、家族がみんなにこにこ幸せでいれば、それに勝るものはないと思うようになりました。

――福田さんが心の余裕を持てるようになって、家族全体の笑いも増えましたか?

増えましたね。また、シンガポールに移住し、いろいろな国の家庭を見ることができ、世界を見渡すといろんな人がいるんだなという発見も大きかったです。


――いろんな家庭を見て、どんなところに影響を受けたのでしょうか。

シンガポールはあまり自分でご飯を作らないんです。だから、私が料理をすると話したら、「なんであなたが料理してるの?」と聞かれて。ヘルパーさんを住み込みで雇っている家庭もあったり、自分がやりたいことを実現するために足りない部分をほかの人の手で補うという考え方が普通で、それを私は全部自分でやってきたんだなと思うと少し自分に自信が持てました。うちはまだヘルパーさんは雇っていませんが、お掃除は週に3回入ってもらっていて、心の余裕が生まれたなと感じています。

――2018年に中田さんが自身の連載で「良い夫をやめる」と宣言され、福田さんも「私も『良き妻、良き母』像に縛られていたんだなぁって思います」とコメントされていましたが、中田さんの宣言も完璧主義から脱却する転機に?

そのときに、今まで自分は「良い妻、良い母でありたい」というのにとらわれすぎていて、夫にも理想を求めすぎていたところがあったなと反省し、完璧でなくてもいいと思えるようになりました。


「私の意見を聞かずに彼が行動した」2つの出来事

――本の中で中田さんが福田さんについて、「あなたの言っていることはおかしいと」と意見を押し返してきたことが面白かったとコメントされていましたが、昔から中田さんに意見を言えていたのでしょうか。

付き合って1カ月ぐらいのときに夫が突然、「別れよう」と言ってきて、そのときに私が「別れると結論づけるの早くない?」と反論したのが彼の中でびっくりしたみたいで。それまでお付き合いしてきた人で自分に意見してくる人はいなかったみたいで、私の反論が面白いというかショックだったと話していました。

――そのとき福田さんの意見に中田さんも納得し、交際継続ということに?

そうですね。別れようと言ったのもすごく些細なことで、「君は僕の家に来ているのに、部屋の掃除をしてくれないし、ゴミ箱のゴミも捨ててくれない」と言われたんです。それに対し、私は「付き合って1カ月ぐらいの人の家の掃除を勝手にしないし、勝手にゴミを捨てたりなんかするわけないでしょ」と返し、「掃除してほしいならやるし、これからの私を見てほしい」と言ったら、「わかりました」と。

――福田さん的に、そのとき別れようとは思わなかったですか?

それも頭をよぎりましたが、付き合っている中で極端な人だなと思っていましたし、内容的にもそれで別れるというのは納得できなかったので反論しました。


――初めて中田さんに意見を言える女性だったということですが、おかしいことをおかしいと言ってくれる人がそばにいるのは大事なことですよね。

そうですね。私の意見は聞いてくれることが多いです。全く私の意見を聞かないで彼が勝手に行動したことが今までに2つあって、1つは「PERFECT HUMAN」を作っていたときで、もう1つは、松本(人志)さんへの提言です。「PERFECT HUMAN」は、「nakata」と言っている曲を妻に聴かせるのは恥ずかしいと思ってこっそり作っていたみたいで。彼の中で迷わず、これだ! という信念があるときは私に相談しないです。


――今年5月にYouTubeで公開された「松本人志氏への提言」動画は大きな注目を集め、いろいろな意見が飛び交いましたが、中田さんとその件についてお話されましたか?

彼の中で煮詰まっていた思いがあったのかなと思っていて、それが言えたんだねという気持ちになりました。私も世間と同じタイミングで動画を見たのでびっくりしましたが、気持ちは伝わってよかったねと。藤森さんもそれを受け入れて動画を出してくれて、コンビで一緒に活動するという結論に至ってよかったなと思っています。

――「これはおかしい」と中田さんに意見し、それを受け入れて変わってくれたことがありましたら教えてください。

夫の中で芸人は24時間365日いつでも働けますという状態でいなければいけないと思っていたみたいで、長女が生まれてからもそうだったのですが、私が「休みを取って家族と過ごす時間を作ってほしい」と言ったら、吉本に交渉して週に1回休みを作ってくれました。彼のポリシーを変えてまで家族に寄り添ってくれたという姿勢がすごく信頼できるなと。


――お互いに意見を言い合える夫婦ということですが、喧嘩はしますか?

どっちかが怒るというのはあります。夫は感情的になるので言葉でボコボコに殴られているような気持ちになりますが、そういうときは無でいることが一番だと思っていて、落ち着いてから「それはどうなのかな?」と意見するようにしています。

――感情的に怒ってきても、とりあえず受け止めてあげるんですね。

思っていることを全部感情に出してしまう人で、そこが弱点というか、改善してほしいと思うところでもありますが、逆に思っていることを全部言ってくれるからこの人は嘘がつけないし、信用できるなと思う部分でもあります。

――福田さんも怒ることはありますか?

私は冷静に怒るから怖いっていわれます(笑)。でも、お互いに本音を言える関係だから信頼があって、海外移住しようと言われたときも受け止められたのだと思います。良くも悪くも、お互い本音で話せているということが、いざというときに力になるのかなと。

――夫婦円満の秘訣は、「本音で話すこと」ですね。

そうですね。そうするとお互いの悩みも見えてくるので、コミュニケーションは大事だと思います。

シンガポール移住で「家族で過ごす時間が増えた」

――中田さんと結婚してよかったなと感じる瞬間を教えてください。

自分1人では見られなかった景色を見せてくれるところですかね。シンガポールに住むというのは、自分1人だったら絶対見られてなかった景色ですし、そういったところに躊躇なく飛び込んで連れて行ってくれるというのが、ジェットコースターみたいで楽しいですし、いつも刺激をもらっています。

――出会った頃は、中田さんのことを「ティラノサウルスのような人だ」と感じていたそうですが、その印象は今も変わらず?

オンオフが激しいタイプで、オンのときはティラノサウルスみたいに木をなぎ倒して進んでいる感じですが、オフは仙人かなというくらい静かです。いろいろな本を読んでYouTubeで発表しているのですが、勉強しているときは本当に静かで、ギャップが激しいです。

――家族で過ごしているときの中田さんはどんな感じですか?

オフモードのことが多いです。私がどこか行こうって言うと、「いいよ」とぬぼーっとついてくる感じです(笑)

――家庭や子育てに関しては、福田さんが引っ張っているのでしょうか。

子育てに関して「こうしたいんだけどどう?」と聞くと、「いいんじゃない」と返ってくることが多く、言いそうなイメージがありますが、実はあまり言ってこないです。「俺はシンガポールという良い環境を与えている。こんな良い環境はないと思うから、ほかの細々としたことは大差ない」って(笑)

――シンガポールがお子様たちにとって最高の環境だなと感じている点を教えてください。

小さいときから多様な文化に触れられるというのは大きいのかなと。私は岩手県の小さな村の学校の中の世界しか知らなかったですが、そうではなくいろんな国から来ている友達がいるっていうのは、子供の人生にとっていい経験だなと思います。

――英語も話せるように?

英語の学校なので英語は自然と身についていますし、シンガポールは中国語も公用語なので、毎日1回中国語の授業もあって、子供のうちから日本語だけでなく英語も中国語も触れているというのはアドバンテージだろうなと思います。

――シンガポールに移住して、中田さん変わったなと思うところはありますか?

シンガポールでは家が職場なので、ほぼ家にいるキャラになったというのが一番大きい変化だと思います。日本にいるときは家にいないことが多く、子供たちが寝た後に帰ってくる感じだったので、子供たちは家に帰るとママもパパも「お帰り」と言ってくれるのがうれしいって。家族で過ごす時間が増えて家族の絆は深まったと思います。

――将来、お子さんたちにどうなってほしいという願いや期待はありますか?

自分自身が楽しいと思うことを人生にしてほしいと思うので、住む国もどこでもいいですし、好きにやってほしいなと思っています。夫とよく話すのですが、自分たちは大学まで出させてもらったのに芸能の道に来て、自分たちを見ていれば、子供の人生を親がデザインしようなんて無理だなと感じます。

――中田さんを見てお子さんがYouTuberになりたいとは言っていませんか?

娘は冷静で、「私が大人になる頃にはもうYouTuberという仕事はないかも知れないから、その時代に合った仕事がしたい」と言っています(笑)。夫がよく、「パパが小さい頃はYouTuberなんて仕事はなかった」と話しているので、そういう考えになったのだと思います。

夫婦対談で「絆を再確認」 目指す未来像も語る

――今回の本で夫婦対談もされていますが、新たな気づきなどありましたか?

旦那さんは日本、奥さんはシンガポールに住んでそれぞれ仕事している人も周りにいて、私も子育てが落ち着いたら、自分のやりたいことをやって好きなところに住むのもいいなという話をしたら、夫が「俺無理だから。俺1人じゃ生きられないタイプだから」と焦っていて、「そういう人だったんだ」って知りました(笑)。夫婦の絆も再確認できたなと。

――今38歳ですが、この先どのように人生を思い描いていますか?

可能性がいっぱいあるなと思っていて、子育てもいつかは終わりが来ますし、そういうことを考えると無敵のパワーみたいなものが湧いてきてきます。自分1人で行動できるだけでいろいろできそうだなと。何がしたいかなと今エッセンスを蓄えています。

――タレント活動が中心になるのでしょうか?

今、出身地である岩手の南部鉄瓶の販売を細々とやっていて楽しいですし、児童虐待防止の活動もしているので、タレントにとどまらず、いろんなことに挑戦できたらなと思っています。

――最後に、夫婦として目指す未来像と中田さんへのメッセージをお願いします!

これからもたぶん私は振り回されることになると思いますが、それを楽しんでいけたらいいなと。11年一緒に過ごしてきて夫婦の絆は強いと感じているので、幸せな老後を目指して一緒に生きていけたらと思っています。

■福田萌
1985年6月5日生まれ、岩手県出身。横浜国立大学卒業。2006年ミス横浜国立大学。同年、「ミスオブミスキャンパスクィーンコンテスト」をきっかけに芸能界にデビュー。2012年6月にオリエンタルラジオの中田敦彦と結婚し、2013年7月に第1子女児、2017年1月に第2子男児を出産。2021年3月より家族でシンガポールへ移住した。FRaUweb連載「自分の人生を歩く」、YouTubeチャンネル「もえチャン」など幅広く活動中。

ヘアメイク:田中裕子 スタイリスト:大瀧彩乃 衣装:ワンピース HUNDRED COLOR