そのキャラクターも愛されたディアス氏は、穏やかな表情で広島時代を振り返った(C)産経新聞社、左は本人提供写真
「広島カープのユニフォームを着ることができて本当に光栄でした」
日本で4シーズンにわたりプレーした、エディ・ディアスは当時の想いをそう振りかえった。1999年に広島に加入、2001年シーズンには32本塁打をマーク、タイトル争いを演じベストナインにも選出されている。
【画像】ディアスの自宅に飾っている広島時代の写真
プロ入り前から、MLBと日本でプレーすることが夢だったというディアスは、1997年にブルワーズでプロデビューを果たし、その後、広島入りを決意する。メジャーリーグでもプレーしたディアスは、日本では多くのことを学び、選手として成長できたと語る。
「私の母国であるベネズエラを含め、アメリカ大陸の多くの国の選手は、真っすぐの打ち方を中心に教えられます。しかし、日本では変化球への対応も重要だったことで、広島のコーチ陣が一生懸命、指導してくれました。カーブ、フォーク、シュートなどの変化球へ対応できるバッティングフォームへの変更にも取り組んでいただいたんです」
1年目から主力としてプレーし、コーチ陣の指導やディアス本人も日本の投手の研究も怠らなかったことで、来日3年目には3割・30本という実績を残す。
「本塁打王争いに加わっていた2001年シーズン、ある試合で自分が出塁した時に、スタンドにベネズエラの国旗を見つけたんです。日本のファンがベネズエラの国旗を振りながら、自分に声援を送ってくれていました。国旗に気付いた途端、驚きと共に言葉が出なくなるほど感動してしまい、思わず審判にタイムを要求する程でした」
他にも、「ガンバレガンバレ、ディアス、ディアス」と当時のファンの応援を日本語で説明するなど、懐かしそうに振り返る。また、カープ在籍時のファンとの交流では、グラウンド外でも驚いた出来事もあったという。
「日本の焼き肉が好きで、よくお店に食べに行っていましたが、食べ終わって帰りの支払いの際レジに行くと、すでにファンの方が払っていてくれたということが何度もありました。
インタビューを通して、ディアスは広島球団関係者や日本のファンへの感謝の想いを語っていた。また、2001年から2シーズンを共に戦った指揮官、山本浩二氏に対しても特別な感情を抱いている。
「この場を借りて山本監督にお礼を伝えたいです。日本とアメリカのスタイルの違いなども詳しく教えていただきました。いつでもどこでも声をかけてくれて、自分にやりやすい環境を作ってくれていました。
充実の4年間を送ったことは、発せられるコメントやにこやかな表情が物語っていた。そしてその想いを伝えるには「いくら時間があっても足りない」と話しながら、さらに言葉を続けた。
「勝っていても負けていても、常に皆さんは応援してくれました。まるでベネズエラにいるみたいでした。野球人生で最高の4年間だったと言えます。
[文/構成:ココカラネクスト編集部]