ともにプレッシャーの中で結果を出してきた山田(左)と小平(右)。初めて会ったのはオランダだったという。(C)Getty Images

 日本女子スポーツ界を牽引する二人のスター。2018年の平昌五輪で日本女子スピードスケート史上初の金メダルを獲得した小平奈緒と、2008年の北京五輪と2021年の東京五輪で金メダルを獲得した山田恵里の豪華対談が実現した。世界の頂点を極めたアスリートたちは、その競技人生でいかなる価値観に触れ、どんな考え方を育んできたのか。計3回に渡ってお届けするインタビューの第一弾では、海外での生活と「現役引退」について話を聞いた。

【美人アスリート小平奈緒×山田恵里金メダリスト対談動画①】初めての出会いはオランダ!世界で活躍する2人のこれからとは?

――お二人はソフトボールの世界選手権が開催されたオランダでお会いしたとお聞きしました。

山田恵里 2014年ですね。世界選手権の時に、小平さんが試合を見に来てくれたんです。お会いしたのは、それが最初で最後でしたが、私はこの前の北京オリンピックもしっかり見ていました。

――当時、小平選手は拠点をオランダに移したばかりでしたね。

小平奈緒 ちょうど、ソチオリンピックが2014年の2月に終わって、その年の春からオランダに住んで、現地のプロチームと一緒にトレーニングをしていました。それで8月に日本のソフトボール代表チームが来ると聞いたんです。私自身、オリンピックで全然成績が伴わなかったので、金メダルを獲ったチームの雰囲気を感じたり、選手の姿を見に行って何かを得ようと思っていました。きっかけ作りの一つとして一人で車を走らせました。

山田 自分で運転してたんですか? オランダで、すでにそういう生活をされていたんですね。

小平 ネットでチケットを取って、会場の近くに駐車場あるかとかも調べました。誰と一緒でもなく、本当に一人で(笑)。練習から見させていただいたんです。

山田 私、小平さんは自転車で来られたと思ってました。近くでトレーニングされていたのかと。すいません、ちょっと勘違いしてましたね(笑)。

小平 当時、住んでいた所からちょうど車で1時間半ぐらいだったかな。結構ど田舎に住んでいたので、部屋は牛小屋を改築した家の屋根裏でした(笑)。

山田 まさか来ていただけるとは思わなかったですよ。ソフトボールがオリンピック種目から外れて時間が経ってましたし、その後に五輪競技に復活するのも全然決まってない状況だったので、本当にすごく嬉しかったです。

――山田選手もアメリカでのプレー経験がありますし、海外で競技生活していたのはお二人の共通点ですね。現地で学んだことは?

山田 勝手なイメージですけど、小平さんのことだから、すぐに現地に適応して、言葉もすぐ覚えちゃったのかなって。何かそんな気がします。

小平 すぐには覚えられなかったんですけど、チームの日常会話がオランダ語だったので、そこで自分が心豊かに過ごすためには、やっぱりオランダ語が必要だというのを1ヶ月ぐらいで感じました。そこから毎日、最低でも3つは単語を覚えるのを自分に課したり、チームメートもたくさん先生になってくれました。常に小さいノートを持ち歩いて、6ヶ月間ぐらい、山田さんの試合を見に行った時ぐらいまでには、オランダ語で少しはやり取りできるようになっていました。

山田 私は通訳さんがいました。だから英語も全然覚えてないんです。専門用語は日本とも共通する言葉が多かったので、プレーする最低限の言葉はわかったんですが……私も1日単語三つとかでやれば良かったですね(笑)。

小平 私も片言ですよ。英語はいまだに喋れませんし。オランダでは完全に1人だったので、必要だったので何とかやってましたけど。

山田 すごいな、なんか自分が恥ずかしいです(笑)。

――小平選手は記者会見で引退という言葉をあえて使わず、「スケートだけが人生ではない」「今後の進路に生き始める」とおっしゃっていました。改めてそうした発表をした理由と、10月の地元での今季開幕戦を競技最後のレースに選んだ理由を教えていただけますか。

小平 もともとオリンピックがどんな結果であれ、最後に地元で滑ることができたらいいな、というイメージを抱いていたのがきっかけです。普通だったら、開幕戦を引退というか、最後のレースにする選手はあまりいないんですけど、やっぱりしっかり夏場にトレーニングしている姿だとか取り組む姿勢を次の世代の選手たちにも見てもらって、そこで開幕戦で結果を残して最後にするっていうのは、本当に次の世代にしっかりとバトンを渡してるのかなって思ったので、そうしました。

――山田選手は引退についてどう考えていますか?小平選手の会見を見て、自分に重ね合わせるところはありましたか。

山田 プレーで貢献できなくなった時が引退のタイミングなのかなとは自分の中で思っていて、去年のオリンピックが終わった時点では、まだ貢献できるなと思ったので今年は続けています。ただ、今年のリーグは始まったばかりなんですけど、もうそろそろだなっていう気はちょっとしていて……。やっぱり結果を出すためには準備や過程の積み重ねが必要ですが、毎日のルーティンがだんだん身体的にしんどくなってきたのは感じています。ただ、私も長年ソフトボールをしてきて、取り組む姿勢とか、こうやって結果を出すんだっていうことは後輩に伝えてから終わりにしたいなっていうのはすごく思っています。

引退後は……今までずっとソフトボールしかしてこなかったので、いろいろ勉強したいなと思っています。例えばソフトボールってまだ世界的にメジャーじゃなかったりするので、広げていくための広告戦略だったり、マネジメントだったりとか、そういうのも学んでいきたい。選手以外の形でもソフトボール界に貢献できるのかなと。

――引退が頭をよぎったのは、身体的な理由か、メンタル的なものか、どちらが先でしたか?

小平 私はどちらでもなくて、まだ体も全然できますし、心もスケートをやっていて楽しいなって、まだまだ全然思えています。ただ、このタイミングを区切りにしたのは、スケートだけで人生を終わらせたくないっていう思いが本当に強かった。もっともっと自分の知らない世界を見てみたい、行動してみたいと思ったのが、きっかけです。だから体がつらくてとか、メンタルがやられてとか、そういう終わり方ではなく、スケートを通じて豊かな人生の時間を駆け抜けて、その先も自分の興味関心を見失わないようにまだまだ駆け抜けていきたい、という思いでいます。そんな1つの区切りが、今年の10月っていう、ただそれだけかなと思っています。

山田 私もやろうと思えばやれる気はしているんですけど、そこまで突き抜けた結果は出せないなっていう感じもあるので、そうなったら貢献はできないなと。ただ、どちらかといえば、体はまだできそうなので、気持ちのほうが大きいかもしれません。

――小平選手は北京五輪前に足首を怪我して、思うような結果を残せなかった悔しさもあったと思います。だからこそ、もう一度チャレンジしようとは思いませんでしたか?

小平 それはなかったですね。自分の中ではオリンピックの結果がすべてではないと思っていたり、スポーツの結果だけがその人を評価するものではないというのをすごく感じているんです。たとえば金メダリストになったとしても、その人が素晴らしい人間かというのはメダルの色では決められない。やっぱり他の人と違いが、社会で生きていくときに価値のあるものになると思うので、結果だけではなく、自分がどうしたいか、どう生きたいか、を社会に還元していくところに自分の価値を見いだしてやっていきたいと思っています。シンプルに、自分がこの先の人生でどんなことができるんだろうっていう期待に、今はすごい満ち溢れてます。

――「社会の中の自分」を強く意識するのは、スケートから学んだ考え方ですか。

小平 そうだと思います。まったく結果が残せないオリンピックもありましたし、結果が残せたオリンピックもあったんですが、街に出ると、結果を残したからもてはやされる、みたいなところがありました。それが、すごく自分の中で違和感があって。スポーツをやることが、社会の中で生きていくための豊かさにつながるはずなのに、もてはやされることで社会と少し距離が開いてしまうような、そんな雰囲気を感じてしまったんです。だから、そこは距離を縮めたいというか、アスリートとしてのストイックなところばかりではなく、スポーツをやっていない人にも寄り添えるような人間でありたいなと思いました。あまりガツガツとポジティブを押し付けずに、「こういうこともあるよね」と共感できるような、そんな存在でいられたらいい。自分がその社会の中で生きていくにしても、すごく楽というか、豊かなのかなと感じています。

山田 小平さんの話を聞いていると、自分は本当にソフトボールしかしてこなかったんだなって、すごく思います。小平さんは人生を豊かにってお話をされていますけど、自分は競技者として一番いい結果を出すことしか考えてこなかった。結果を出すことで、少しでも誰かに勇気を届けたり、とかっていうことしか考えてなかったので、東京オリンピックでも金メダルじゃなくて、もし銀メダルだったら誰も喜んでくれなかったんだろうなって思ったりとか。結果で人の価値は決まらないって小平さんはおっしゃっていたんですけど、私は世間からは結果で判断されるんだろうなって怖さを常に持ちながらやっていたんです。結局、人の目を気にして生きてきていたんだと思います。結果にとらわれすぎていたって、小平さんの話を聞いてすごく感じますね。何かもっと、自分のやりたいことをやったりしていいんだなって思いました。ちょっと楽になりました。

≪第2回に続く≫

[文/構成:ココカラネクスト編集部]