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北条時政(坂東彌十郎)|ドラマ公式サイトより

 17日放送の『鎌倉殿の13人』第27回は「鎌倉殿と十三人」と題され、いわゆる“タイトル回収回”となることがわかっています。尾上松也さん演じる、大人になってからの後鳥羽上皇も初登場と、なかなか濃い内容になりそうですので、簡単に予習しておきましょう。

 正治元年(1199年)1月13日、53歳の源頼朝が亡くなると、その嫡男である頼家が18歳の若さで二代鎌倉殿(将軍)に就任しています。ドラマ第27回では、十三人の合議制の導入に先駆け、まず頼家の未熟さが描かれるのでしょう。予告映像には北条政子が「頼家はまだまだ若い」と言っている場面がありました。

 実際、この当時の頼家の言動は、頼朝亡き後の鎌倉の混乱に拍車をかけてしまっています。政所(公文所、行政を司る機関)、問注所(訴訟事務を所管する機関)、侍所(軍事、警察関係を取り扱う機関)といった幕府の諸組織の頂点に立つ存在が鎌倉殿であるという認識は、頼朝時代からありました。しかし、若年であることを理由に御家人たちから軽く扱われることを恐れたのでしょう、頼家は意気込みばかりが先に立ち、父・頼朝よりもはるかに多くの事案に首を突っ込んだものの、そこで適切な対応ができなかった例が目立ったようです。

特に訴訟関係での判断ミスが多かったようで、頼家の将軍就任からわずか約3カ月後の4月12日、鎌倉幕府重鎮の13人が彼に替わって訴訟の裁断を行うことになることが決定しています。

 この十三人の合議制は、誰の主導でスタートしたのかは記録上よくわかっていません。しかし、北条家から時政・義時の二人が含まれていることから、おそらくは時政が主導したのでは、と考えられます。なぜ義時ではなく時政かというと、ドラマと史実とで大きく異なっている点として、史実の義時は、この当時でもまだ北条の庶家である江間家の人間として世間的には認知されており、北条本家の当主である時政の決定に従うばかりだったと見られるためです。

 そもそも十三人の合議制の導入は、わずか3カ月で頼家の能力を見限ったところで誰からも咎められないほどに強い権勢の持ち主でなくては、とても言い出せないようなことでしょう。このことから、ドラマで描かれている以上に、史実の北条時政は大きな権力を持ち、また鎌倉中の信頼を勝ち取っていたことが推察されます。

 こうした御家人の動きに対し、頼家側もそれなりの対策を講じたようで、ドラマでも第27回には「源頼家の近習となり、頼家を支える」と公式サイトで説明されている比企時員(成田瑛基さん)などのキャラが登場するわけですが、合議制が導入されたということは、やはり専制体制を敷くには経験と能力不足は否定できなかったのだと思われます。

 頼家の近習となった比企時員は、十三人の合議制のメンバーにもなった比企能員(ドラマでは佐藤二朗さん)の息子ですが、初代鎌倉殿・頼朝の乳母である比企尼の養子であり、二代鎌倉殿・頼家の乳父母にあたる能員をもってしても、頼朝の義父にあたる北条時政の権勢に対抗できず、合議制のメンバーに入るのがやっとだった……と考えることもできますね。

 この十三人の合議制の登場によって、頼家は専制君主として幕府に君臨する権利を早々と失ってしまいました。当然、そんな状況は頼家には面白いものではなく、彼は女に溺れるしかなくなったのでしょう。以前のコラムでも触れましたが、合議制の導入からおよそ3カ月後に「安達景盛討伐未遂事件」という騒動を起こしています。

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『鎌倉殿の13人』いよいよタイトル回収! 合議制導入は北条時政が主導した?
『鎌倉殿の13人』いよいよタイトル回収! 合議制導入は北条時政が主導した?
日刊サイゾー2022.06.26

 これは頼家が、頼朝に長く仕えた安達盛長の嫡男・景盛の愛人女性を奪っただけでなく、景盛が謀反を企てているとの罪をでっちあげ、御家人たちに景盛討伐を命じるという悪辣なことをしでかしてしまったという事件です。

衝突を回避するために母・北条政子が景盛の屋敷に自ら乗り込んだことで、頼家は攻撃することができなくなり、内乱の危機は避けられました。しかし、このことで鎌倉殿としての頼家の信頼度は大きく下がってしまったのでした。

 将軍に就任してわずか3カ月でその能力に疑問符を突きつけられ、十三人の合議制を押し付けられる形で有無を言わさず権力を奪われてしまった18歳の頼家には、もはや臣下の妾を奪うくらいのことしか、鎌倉殿としての威厳を見せつける機会がなくなっていたのかもしれません。頼朝が長生きしていたら、頼家にも成長する時間がもっとあったはずですし、もう少し幸福な未来が彼にも開けていたと想像もできます。頼家には不憫なことでした。

 しかし、さらに「安達景盛討伐未遂事件」から2カ月後の10月にも大事件が起きました。

梶原景時の失脚です。(1/2 P2はこちら

『鎌倉殿の13人』いよいよタイトル回収! 合議制導入は北条時政が主導した?
梶原景時(中村獅童)|ドラマ公式サイトより

 かつては頼朝に讒言し、源義経を貶めることに成功したとして知られる景時ですが、失脚のきっかけとなったのは、頼朝から特に強い信頼を寄せられ、寝室の警固も任せられていた結城(小山)朝光という武士を“ターゲット”としたことでした。

 『鎌倉殿』には頼朝の乳母は比企尼しか登場していませんが、実際は複数人おり、結城の母はそのうちのひとりで、寒河尼(さむかわのあま)と呼ばれている女性でした。そして、乳母である寒河尼に頼まれ、頼朝は彼女の息子である朝光を取り立てて側近くに置いていました。余談めいた紹介になりますが、寒河尼の縁故の一人が、『鎌倉殿』では装束の前がいつも大きく開いているワイルドな姿が印象的な八田知家(はった・ともいえ/市原隼人さん)です。八田も十三人の合議制のメンバーのひとりになっていますね。

 『鎌倉殿』では、畠山重忠(中川大志さん)に「寂しいお方です。心の底から嘆き悲しんでいるのは、お身内を除けばごくひと握り」と、頼朝が亡くなっても御家人の中には本気で悲しむものはほとんどいないと言われてしまっていましたが、史実では朝光らが頼朝の死を深く悼みました。正治元年10月には、結城は「夢でお告げを得た」として「亡き頼朝公のため、一万回の念仏を皆で唱えよう」と侍所の面々に訴え、念仏を唱和しています。この時、彼が「忠臣は二君に仕えずというが、私も頼朝公逝去の際に出家していればよかった」などと涙ながらに口走ったのですが、景時は彼の言葉を「頼家には仕える意思がない」などと“拡大解釈”し、「結城が謀反を企てている」と頼家に讒言してしまったのです。

 ちなみに景時の讒言を朝光が知ったのは、阿波局(ドラマでは実衣)が彼に告げ口したからでした。困った朝光が三浦義村に相談したことで、多くの御家人VS梶原景時の構図が出来上がっていき、景時追放へと傾いていくのですが、この裏には、北条一族を総動員してライバルである景時を権力の中枢から追い出そうという時政の意向があったのではとも思えますね。

 朝光はもともと「容貌美好、口弁分明(=美しい顔つきで、弁論も達者)」の人気者だったので、鎌倉中から多くの同情を集め、先述のとおり三浦義村を含む66人もの有力御家人たちが「景時糾弾訴状」を頼家に提出し、景時は鎌倉を追われることになりました。この時、景時はろくに弁明もしなかったそうです。

 景時は、自身の領国である相模国一宮(いちのみや)でしばらく謹慎していましたが、翌年(正治2年=1200年)1月、京都を目指して旅立っています。一説に景時は、京都の反・鎌倉幕府勢力と結託し、頼朝の一族ではなく、甲斐源氏を源氏の棟梁の座に据えようとしていたともいわれますが、いずれにせよ彼が京都にたどり着くことはありませんでした。景時は、鎌倉から送られてきた軍勢や地元の武士団と駿河の地で激しく交戦し、現在の梶原山山頂にて息子たちとともに自害しています。駿河の地は北条時政の領国でもあるので、何らかの政治的意図が働いたことは容易に想像がつきますね。

 策士として知られる景時にしては、あまりにあっけない最期だと思われるかもしれません。景時が結城(小山)朝光を讒言したのは、頼家の鎌倉殿としての威信を回復させる狙いがあったという見方もあります。梶原にとってもライバルの一人であったはずの朝光に謀反の疑いをかけ、頼家に討たせることで、失われつつあった頼家のカリスマ性が取り戻せると考えたのでは……という見立てによるものですが、実際のところの景時の目的は不明です。『鎌倉殿』では高橋侃さんが結城朝光を演じるということで、この事件がドラマでどう描かれるか楽しみですね。

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日刊サイゾー2022.06.12