浅草「木馬亭」に立つ港家小そめ。チンドン屋と兼業している異色の浪曲師だ

 ビートたけし原作、劇団ひとり監督によるNetflix映画『浅草キッド』(22)は、寄席の世界で生きる師匠と弟子の濃密な関係を描いた実録ドラマとして人気を博した。

同じく浅草にある古い演芸場を舞台にしたドキュメンタリー映画が、川上アチカ監督の『絶唱浪曲ストーリー』だ。知る人ぞ知る大ベテラン浪曲師・港家小柳(五代目)に弟子入りした港家小そめの視点から、浪曲という大衆芸能の世界が魅力的に描かれている。

 浪曲を聞いたことがない人でも、「食いねぇ、食いねぇ、寿司を食いねぇ」「馬鹿は死ななきゃ、なおらない~」といった台詞や節は耳にしたことがあるのではないだろうか。戦前・戦後に大人気だった浪曲師・広沢虎造(二代目)が流行させたフレーズだ。

 戦後の全盛期には3000人いた浪曲師だが、今では100人程度に減ってしまった。それでも、浅草の「木馬亭」で毎月1日から7日の1週間にわたって開かれる定席には熱心なファンが集まり、明治時代初期から始まったとされる伝統的話芸の歴史が今も育まれている。

演目は親子の情愛や親分子分の関係を描いた義理人情ものが多いようだ。

 2013年、そんな浪曲の世界に小そめは飛び込んでいった。女子美術短期大学卒業後はチンドン屋をしていたことから、声質がよく、愛嬌もある。小そめが師匠として仰ぐのは、14歳で弟子入りし、18歳で座長となって旅回りをしてきた港家小柳。小さい体ながら、小柳師匠が体を絞るように発する“節”は、寄席全体を支配するパワーに満ちている。小柳師匠の芸にぞっこんとなり、弟子入りした小そめだった。

 浪曲師には、三味線で伴奏する曲師が欠かせない。小柳師匠につく曲師の1人が、2022年で100歳を迎えた玉川祐子師匠。愛知に自宅のある小柳師匠は、東京での寄席の際にはいつも祐子師匠が暮らす赤羽の団地に泊まる。祐子師匠の団地に小そめも通い、稽古をつけてもらう。

 稽古がひと段落すると、人生の大ベテランたちのガールズトークが花開く。芸はすごいが生活能力は頼りない小柳師匠、そんな小柳師匠を巧みにフォローする祐子師匠。

生きた伝説のような2人の会話に、楽しげに耳を傾ける小そめ。伝統芸を継承する厳しさだけでなく、古き良き時代が残してきたものすべてをカメラは記録しようとする。

 小そめの本音もつぶやかれる。昔ながらのチンドン屋の世界で生きてきた彼女にとって、現代社会は息苦しいものだった。そんな中で見つけたのが、小柳師匠たちがいる浪曲の世界。スクリーンを観ている我々も、昭和時代にタイムスリップしたかのような不思議な感覚に陥る。

客席をエネルギーの渦に巻き込む師匠の至芸

“浅草キッド”の世界は実在する! 芸で結ばれた表現者たち『絶唱浪曲ストーリー』
“浅草キッド”の世界は実在する! 芸で結ばれた表現者たち『絶唱浪曲ストーリー』の画像2
独特のグルーヴ感でファンを魅了した五代目港家小柳

 港家小柳が初めて独演会を開いた様子を追った33分間のドキュメンタリー作品『港家小柳IN-TUNE』(15)に続き、8年がかりで本作を完成させたのが川上アチカ監督だ。小柳師匠に出会うまでは、浪曲を知らなかったという。浪曲の何が、川上監督を魅了したのだろうか。

川上「落語は聞いたことがあるかなくらいで、寄席演芸についてはまったくのビギナーだったんです。詩人で歌手の友川カズキさんのファンの方に勧められて港家小柳師匠を初めて聞きに行ったことで、浪曲を知りました。小そめさんとまったく同じ印象を受けたのですが、『今の日本にこんな人がいたんだ!?』という驚きでした。いい意味で妖怪っぽい存在に感じられたんです。

小そめさんが小柳師匠が居候する祐子師匠のお宅に通っていらしたので、私もお稽古を撮影させていただくためにカメラを持ってお邪魔するようになったんです」

 浪曲の魅力を、川上監督はラップの世界に例えて説明してくれた。

川上「浪曲は門付芸をルーツに持ち、大道芸から始まったと言われています。ストリートの文化ですよね。ある種の野蛮さも感じさせます。浪曲は戦後に大ブームがあったわけですが、ラップの世界でマイクひとつで成り上がろうとするのに似たものを感じます。浪曲は“一人一節”といって、自分だけの独特の節を身につければ、お客を集めることができたそうです。

ラッパーたちが自分のフロウを生み出すのと同じような感覚でしょうか。特に小柳師匠はバラシがすごいと言われていました。浪曲では構成上の序破急の急の部分をバラシと呼ぶそうなんですが、物語のクライマックスで、小柳師匠が放つ“啖呵”と呼ばれる台詞と、節との畳み掛けはすさまじくて、客席までエネルギーの渦に巻き込まれるような感覚でした」

 ラップがストリートカルチャーから生まれたように、浪曲も生きづらい時代に脚光を浴びる芸能なのかもしれない。

“浅草キッド”の世界は実在する! 芸で結ばれた表現者たち『絶唱浪曲ストーリー』
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玉川祐子師匠の三味線に合わせ、稽古する小そめ

 港家小柳師匠、その相方を務める曲師の玉川祐子師匠。人生の大ベテランのもとに小そめは通い、彼女たちが長年にわたって培ってきた伝統芸を、日々体になじませていく。稽古が終われば、祐子師匠が用意したお茶菓子をつまみながら、リラックスした茶飲み話に。おばあちゃんと孫娘のような、ほんわかした時間が流れていく。

川上「年齢が離れていたこともあったのか、小柳師匠も祐子師匠も、小そめさんをかわいがっていました。他の伝統芸能に比べ、浪曲の師弟関係はよりアットホームだと聞いたことがあります」

 浪曲の世界には「お腹を空かせて弟子を帰さない」という鉄則があるそうだ。決して裕福な生活ではないものの、同じ道を志す弟子たちに対する師匠の温かい気遣いが感じられる。

川上「映画の中にも『君塚食堂』という木馬亭のお向かいにある大衆食堂が映りますが、寄席が終わると師匠方は弟子や若い前座さんたちに声を掛けて、そうした食堂でご飯を食べさせてから帰すんです。私もたびたびごちそうになりました。師匠たちは遊ぶのも大好きで、大衆演劇を一緒に見に行ったり、カラオケにも誘っていただいたこともありました」

 師匠は芸を教えるだけでなく、芸の世界での生き方も伝える。また、弟子である小そめが高齢の師匠たちの日常生活をケアしている様子もうかがえる。世代の異なるシスターフッドムービーでもあるようだ。

舞台で見せる芸だけが、芸人の芸ではない

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浅草にある演芸場「木馬亭」。毎月1日~7日は浪曲の定席となっている

 こんな幸せな関係がいつまでも続けばいいのにと思う。だが、小柳師匠が体調を崩し、舞台に上がってわずか数分で退場してしまうという不測の事態が起きてしまう。その後すぐに病に倒れ、小柳師匠は愛知にある自宅に引きこもることに。

川上「愛知で暮らしている実の娘さんの家で、小柳師匠は療養することになりました。小柳師匠は旅回りをされていた頃、自宅に戻るのは年に数回程度だったと聞いています。娘さんは思春期もひとりぼっちで過ごし、母親に対する憧れと同時に寂しい想いも抱えていらした。本当は小柳師匠がもっと元気なうちに引退してもらい、一緒に温泉など巡って、親子らしい時間を過ごしたかったそうです。でも、小柳師匠は最後の最後まで舞台に上がりたかった。芸人を親に持つのは大変なことだなと感じました」

 ベッドで寝たきり状態となった小柳師匠のもとに、小そめが見舞いに訪れる。寄席に出られなくなった師匠に会うのも、つらそうだ。それでも師匠を励まそうと、カセットテープを再生する小そめ。流れてくるのは、小柳師匠の全盛期の一席を録音したもの。それまで布団の中で固まっていた小柳師匠が、ラジカセから流れてくる自分の節に合わせて体をくねらせ始めたことが分かる。観る人によっては、芸人としての生きざまが感じられる感動的なシーンにも、芸人の老いた姿を記録したシビアなシーンにも感じられるだろう。

川上「ベッドで横になっている小柳師匠にカメラを向けるつもりはなかったのですが、カセットテープの音に反応して小柳師匠の体が動き始め、師匠の体に浪曲が蘇ったことが感じられて、カメラを回したんです。窓から射す陽の光と、ラジカセから流れるエコーのかかった曲と相まって、私にはとても神々しい瞬間に感じられました。芸人さんの中には、舞台で見せる芸だけが芸ではなく、生きていること自体も芸であるように感じられる方がいると、私は思うんです。一瞬の芸の輝きには長く体に染み込ませた芸のエッセンスが詰まっていて、とても美しかった。小柳師匠が小そめさんに見せてくれた最後の舞台だったのではないかと思っています」

 2018年5月、五代目港家小柳は亡くなった。佐賀県出身、1945年に14歳で浪曲の世界に入ったことは分かっているが、はっきりした生年月日は不明なままだった。ここから『絶唱浪曲ストーリー』は第二部へと突入する。

“浅草キッド”の世界は実在する! 芸で結ばれた表現者たち『絶唱浪曲ストーリー』
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玉川祐子師匠が暮らす赤羽の団地。「長屋っぽい雰囲気」(川上監督)だそうだ

 ドキュメンタリーの醍醐味は、シナリオがないことに尽きるのではないだろうか。『絶唱浪曲ストーリー』は、川上アチカ監督自身も考えていなかった方向へと進んでいく。小柳師匠を失い、ひとりぼっちになった小そめの面倒を、曲師である玉川祐子師匠が引き継ぐという意外な展開が待っていた。100歳を間近に控え、初めて弟子を持つことになった祐子師匠が後半パートの主人公となっていく。2022年には100歳となり、「百寿記念公演」を成功させるなど、祐子師匠は芸人として今、キャリアハイ状態を迎えている。

川上「もともとお元気だった祐子師匠ですが、モチベーションを持つことでここまで輝くことができるのかと驚きました。祐子師匠は浪曲界の生き字引的存在。あの広沢虎造(二代目)が活躍していた時代を体験しているんです。多くの浪曲師たちと組んできた豊富なキャリアがありながら、それまであまり脚光を浴びることがなかった。それが100歳近くになって、小そめさんを預かり弟子として引き受け、一人前にしようとすることで、祐子師匠自身が最高に輝くことになったんです。小そめさんも『祐子師匠を輝かせたい』という想いがあったようです」

 100歳にして最高の三味線を奏でるようになった祐子師匠の言葉は、ひと言ひと言が金言だ。中でも小そめに向けた台詞は、至高の名言として胸に刻まれる。

「私たちは血はつながっていないが、芸で結ばれている」

 弟子として、こんなにもうれしい言葉はないだろう。川上監督が撮り上げた本作は、浪曲という世界を通して、血縁とは異なるコミュニティーが存在することを映し出した作品となっている。

川上「小柳師匠が亡くなり、小そめさんは“親”がいない状態でした。本来なら名披露公演は師匠がお膳立てするものですが、小そめさんの名披露公演は祐子師匠が親代わりを務めたんです。他の師匠や関係者たちも、浪曲界の若手の門出を成功させようと尽力し、お客さんたちも温かく応援する。もちろん血のつながった本当の家族も大切ですが、普段から一緒に過ごしている師匠や兄弟弟子たちと芸事で結ばれているのは、素晴らしいことだなと感じます。私自身が寂しがり屋なもので、理想のコミュニティーの在り方を自然と追っていたのかもしれません」

 川上監督いわく「小そめさんの姉弟子になる港家小ゆきさんは、声楽がベースにあり、新作浪曲で注目を集めています。東京藝大を卒業した天中軒すみれさんという新世代の浪曲師もデビューしています。小そめさんは古典を継承しようと奮闘しています。若い浪曲師たちがそれぞれの道を進んでいて、今の浪曲界はすごく面白い状況」とのことだ。

 日本人のメンタリティーを心地よく刺激するものが、浪曲の世界にはある。義理や人情といった忘れていた言霊たちが、心の奥底で疼いているのが感じられた。

『絶唱浪曲ストーリー』
監督・撮影・編集/川上アチカ
出演/港家小そめ、港家小柳、玉川祐子、沢村豊子、港家小ゆき、猫のあんちゃん、玉川奈々福、玉川太福
配給/東風 7月1日(土)より渋谷ユーロスペースほか全国順次公開
©Passo Passo + Atiqa Kawakami
rokyoku-movie.jp

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