今回の地震では、東日本の鉄道も大きな被害を受けた。岩手・宮城両県では地震後、大船渡線、仙石線、気仙沼線の4列車の連絡が一時つかなくなったが、その後乗客計70数人の避難と乗務員の無事が確認されている。
とはいえ、これら路線も含めいまなお多くの鉄道路線が運休しており、復旧の目処が立たない状態である。

東北地方は、西日本の九州や四国などとくらべると早くから鉄道網が整備されてきた。それだけに、鉄道史のなかで重要な意味を持つ路線も多い。前述の大船渡線(一ノ関〜盛間)などは、政治家が地元選挙区に利益をもたらすべく鉄道路線の建設を誘致する、いわゆる“我田引鉄”の代表例としてよく引き合いに出される。というのもこの路線、大正時代から昭和初期にかけて、政党間でそれぞれの選挙区に有利なよう建設ルートの変更が繰り返された結果、極端に逆U字型を描く線型になってしまったからだ。その形が鍋の弦(つる)に似ていることから「鍋弦線」とも呼ばれた同路線は、現在ではやはりその線型から「ドラゴンレール大船渡線」という愛称がつけられている。

あるいは、仙台と山形市の羽前千歳を結ぶ仙山線は、日本初の交流電化区間として知られる。新幹線の高速運転を実現した技術の一つでもある交流電化は、1950年代に実験線に指定された仙山線で成功を収めたのち、北海道や東北、九州などのJR(当時は国鉄)の各在来線で導入されている。

ついでに言えば東北からはまた、鉄道の歴史にも大きな足跡を残したふたりの大政治家、原敬と後藤新平が輩出されている。現在の岩手県盛岡市に生まれた原が、地方振興のためローカル線の建設促進を主張したのに対し、現在の同県奥州市に生まれた後藤は、幹線鉄道の輸送力の強化ーー具体的には線路の幅(ゲージ)を広げることなどーーを優先すべきだと主張した。ほぼ同世代ながらことあるごとに対立した両者だが、その手法こそ違え、国家の繁栄や人々の生活が豊かになることをめざしていたという点ではいずれも偉大な政治家であることには変わりない。なお後藤は、1923年の関東大震災後に設置された帝都復興院の総裁として、大胆な東京改造計画を提案したことでも知られる。


●永松潔・高橋遠州『テツぼん』
さて、今回とりあげようと思っているマンガ2作のうち、永松潔が描くところの『テツぼん』(原作は鉄道ライターの高橋遠州。エピソードのあいまに入る高橋の鉄道コラムも楽しい)に登場するのは現代の二世政治家だ。前職はコンビニのアルバイトという28歳の青年・仙露鉄男は、国会議員だった父の急死により、選挙に担ぎ出されて当選するのだが、いかにも頼りなさげなボンボンとして描かれている。

この鉄男、所属する派閥の領袖が多大な道路利権を持つことから、表向きにはひた隠しにしているものの大の鉄道マニア=テツである。政治家になってからも、視察にかこつけて地方の鉄道に乗りに行くわ、夜の政界や財界人との酒席を避けて、鉄道ファン同士での集まりを優先させるわ、あげく自身の党が与党から野党に転落したら、陳情や接待が減って趣味に使える時間が増えてよかったとひそかに喜んでいたりする。

本作のキモは、そんな頼りなさげな主人公が、持ち前の鉄道知識を生かして、各地で起きる問題を次々と解決していくところにある。たとえば、廃線になったとある路線について鉄男は大手ゼネコンの社長に、沿線の村の町並みを生かして昭和のテーマパークを建設、そのアクセスのため鉄道を観光路線として復活させることを提案して実現させてしまう(第1巻「第2話 敗者復活」)。

そんなふうに問題を解決しているうちに、有力政治家たちから一目置かれるようになり、鉄男自身も、当初は政治に対する思いは皆無だったのが、やがて「鉄道は権力争いの道具ではなく、何よりも利用する人たちのものでなければいけない」との思いから、意識的に行動をとるようになる。じつは、彼がそうした決意表明を行なう場所こそ、本稿の冒頭で紹介した大船渡線だったりする(第1巻「第8話 攻守交替」)。

この作品が面白いのは、各話に史実や、あるいは現在の鉄道をめぐるさまざまなトピックスがうまいぐあいに織り込まれていることだ。たとえば、第1巻の「第7話 汽車ぽっぽ」(第1巻所収)というエピソードでは、ある鉄道会社の女性運転士から、彼女の祖母の隠す過去を知りたいとの申し入れを受けた鉄男が、あれこれと調べるうちに真相をあきらかにする。そこには戦時下において兵隊にとられた男性の鉄道員に代わり、多くの女性たちが鉄道業務にあたったという史実に加え、謎を解く鍵として、童謡「汽車ぽっぽ」には本来べつの歌詞がついていたという話が出てくる。


現在のトピックスでいえば、貨物輸送をトラック輸送から、CO2排出量の比較的すくない船舶や鉄道での輸送に切り換える、いわゆる「モーダルシフト」についても各所で話題にのぼる。そのなかではたとえば、東名・名神高速道路の中央分離帯などを利用して貨物鉄道を敷設しようという実在のプロジェクト「東海道物流新幹線構想」などもとりあげられている(第2巻「第8話 シフト」)。こうした世間的にはあまり知られていないであろう話題を持ってくるあたり、なかなか渋い。

『テツぼん』は、一種の成長物語だともいえる。最新刊である 2巻の終わりでは、〈全国の赤字ローカル線の大半は、永続的に存続するのは厳しいと思ってるんです〉〈だったら いっそ発想を変えて、地域の人たちが自分の足を守るため、ボランティアで維持していく鉄道もあるんじゃないかと思うんです〉ときっぱり発言するなど、その考え方、方針もかなり固まってきたことがうかがえる。

こうなったらぜひ、彼が国土交通大臣、さらに総理大臣になるところまで描いてもらいたい。いや、私としては、ここらで一度、大きな挫折を経験した鉄男が、それをバネにさらなる成長をとげるといった話も読みたいところだけれども。

●中村明日美子『鉄道少女漫画』
首都圏の私鉄のなかでも、小田急ほど全国的にイメージが浸透している会社はないように思う。少なくとも愛知で育った私には、資本面でいえば日本最大の私鉄である東急よりも、あるいはプロ野球球団を傘下に持つ西武よりも、特急ロマンスカーを走らせる小田急のイメージははるかに絶大だった。

小田急はまた、さまざまなエピソードや音楽や映像などを通じたイメージにも事欠かない。コンビ時代の藤子不二雄は、『オバケのQ太郎』のアイデアを仕事場に向かう途中の小田急の電車内で練ったというが、“オバQのアイデアをオダ急で”という語呂合わせになっているあたりできすぎである(ちなみに小田急沿線には、ことし9月に「藤子・F・不二雄ミュージアム」がオープンする予定)。また、テレビドラマ「金曜日の妻たちへII」(1984年)では、古谷一行や板東英二演じる登場人物たちが通勤にロマンスカーを利用している様子が描かれていたし、音楽でも、「シネマ見ましょか お茶飲みましょか いっそ小田急で 逃げましょか」と歌われた昭和初年の流行歌「東京行進曲」(1929年)をはじめ、村下孝蔵の「ロマンスカー」(1992年)やいきものがかりの「SAKURA」(2006年)など小田急が登場する曲は多い。


そういえば、ロマンスカーが東京メトロに乗り入れたときのポスターでは、「いっそ、箱根へ。メトロから。」というキャッチフレーズが躍っていた。おそらくその元ネタとなったであろう「東京行進曲」といい、どうも小田急には“逃避行”のイメージがつきまとう(「金妻」も不倫ドラマだったわけだし)。中村明日美の作品集『鉄道少女漫画』もまた、ある男が、自身の妻と弟がロマンスカーで不倫旅行に出かけるのを尾行するというエピソード(「浪漫避行にのっとって」)からはじまる。女子高生のスリを狂言回しとしたこの話は、時刻表トリック的な要素も盛り込みつつ、意外な展開を見せる。

これにかぎらず、収録されたどのエピソードにも意外な展開が待っていていちいち驚かせる。「立体交差の駅」という、小田急小田原線とJR相模線が立体交差する厚木駅を舞台にしたエピソードでは、失恋した女が恋人に渡そうとしていた荷物を怒りのあまり小田急のホームから投げ捨てる。が、それを高架下のJRの踏切で女子高生がキャッチし、とんでもない怪力で先ほどの女へ投げ返してしまう。後日、二人はあらためて駅で再会し、女子高生は野球部員であることを明かす。それだけでも意外なのだが、女のほうも思いがけない秘密を抱えていた……。あるいは「夜を重ねる」という話では、ある晩、竜宮城を模したユニークな駅舎で知られる片瀬江ノ島駅(小田急江ノ島線)にて、終電を逃した2人の女が、おたがい彼氏に浮気されたばかりと知ってタッグを組むようになるだが、これまた意外な結末を迎える。

いずれのエピソードも小田急だからこそ物語が成立しているのだけれども(作者の中村があとがきで大の小田急好きと明かしているだけあって、駅の風景や電車の描き方も丁寧だ)、それでいて、鉄道で通勤・通学したことのある人なら誰でも共感できそうな普遍性を持ち合わせている。


ここでふと、似た雰囲気を持つ作品として、有川浩の小説『阪急電車』を思い出した。阪急今津線の宝塚〜西宮北口間を舞台に、さまざまな人々のエピソードがリレーするように物語られつつ、最後に環を描くように話が完結するという同作品は、まもなく映画版も公開される予定だ。くわしいことは、映画公開のおりにもまたとりあげるとして、『阪急電車』に出てくる次の印象的な場面をぜひ紹介しておきたい。

それは、いつも同じ時間の電車に乗り合わせる若い男女が初めて言葉を交わすシーン、電車が武庫川に架かる鉄橋を通るとき女が、川の中洲に石を積んで「生」という漢字をかたどったオブジェが見えることを男に教えるのだ。じつはこのオブジェは、宝塚市在住のアーティスト・大野良平が阪神・淡路大震災から10年を経た2005年、「街と人の心の再生」という願いを込めてつくったという、実在の作品だった。いったんは自然消滅した「生」の文字だが、映画化に際して昨年末、大野と宝塚市の呼びかけで集まった学生や市民ボランティアの手によりふたたび姿を現している。今年1月16日、震災16周年を迎える前夜にはライトアップもされた。

今回の震災では被災地に向けて道路や空路が少しずつ復旧しつつあるのに対し、鉄道の復旧にはもうしばらく時間がかかりそうだ。それでも、一日も早く、列車がいつものように走り出し、その車窓から文字通りの“生”が眺められる日が訪れることを願わずにはいられない。(近藤正高)
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