これを書店でみて、びっくり。
混浴ってまだあったんだ?と。
旅行好きなので混浴自体は何回か入ったことあるけど、地元の人しかいなかったしなあ。もうそういうのもないだろうなあと思っていたら。
多分真逆で「混浴絶滅の危機かー」としみじみする温泉ファンの方もいると思います。
ストイックすぎる表紙の通り、中身も今までの温泉紹介本では語られなかったような内容が赤裸々に、ざっくり書かれています。写真は少なめ。
温泉ライター覆面座談会でも「この業界、狭いんすから。だいたい『温泉批評』なんて名前の雑誌に関わる事自体、ヤバいでしょ?」なんて話が出るくらい。
ゴシップでなく、かつ宣伝でもなく。
現実の温泉の実情を語る本です。
さて、日本の混浴事情はというと、この20年で40%以上の混浴が失われたとのこと。
生き残っているというより「なんとか生きている」という風前の灯火状態。
混浴が激減した理由が、いくつか挙げられています。
まず旅館業法の問題。
今まで風情のある混浴だったのに、改修しようとしたら保健所の許可がおりない。一度でも混浴をやめたら、二度と戻れない。
んなアホな。
「旅館業法」には「原則として」男女別に入浴設備を設けることが義務付けられており、混浴一切NGというわけではない。このへんが実に曖昧。
それと別にある都道府県別の「公衆浴場条例」では、だいたい10歳以上の男女を混浴させてはいけないことが義務付けられています。
ん? じゃあ家族は? 10歳とか入れるでしょ。
ある施設では身分証を出して家族ならOKとしているそうです。
なんか……くつろぎに行ったのに風情もへったくれもない。
次に貸し切り風呂ブーム。
混浴で入りたいとなれば、やはりカップルや家族なわけで、それならヘタに面倒事の多い混浴よりは、貸し切り風呂にしてしまった方がいい。もっともです。
「『じゃらん』など集客力のある媒体が大々的にキャンペーンを張り、”貸切露天にすれば客を呼べる”と宿側に使用変更を進め、拍車をかけたんです」とあるライターは語ります。「じゃらん」って言っちゃった。
ブームが2000年くらいにやってきて、一度改修してしまったら混浴に戻せない。
そして、これが最大の問題ですがマナーの悪さ。
これについての温泉ライター覆面座談会が、ズバズバと事実を出していきます。
最も問題視されているのがワニと呼ばれる男性の存在。
何かというと、混浴に女の人が入ってくるのを見るため、陣取ってジーっと見ている男たちのこと。
「露天の真ん中あたりに女性の出入り口があるんですが、その方向に向かって、15人以上の男性が取り囲むようにして、ほぼ全員の視線はその入口に……。それも真っ昼間です。
ひー……そんなとこ、入れるわけがない。
ワニ問題はかなり昔からあったようで、この本でも何度も取り上げられています。
逆に、露出プレイ好きなカップルが頻繁にくることも問題になっているのも語られます。
あるライターが「知る人ぞ知る埼玉の混浴温泉に行ってきたんです」と言ったら全員が「ええっ!?」というあたり、かなり有名な様子(場所は書かれていません)。
混浴温泉でワニがたむろう中、エッチをしてしまう。
それが暗黙の了解になっている温泉。さすがにこれはもう混浴とはいえない。
両方とも極端な例だとは思いますが、さすがにこういう問題があちこちである状態で「法律が悪いんだ」とは言えなくなってしまいます。
混浴でジロジロ見てくる男性に対し、女性ライターが「そういうときって、人間として見られてる感じじゃなくて、ただの肉体というか物体として見られている感じがする。すごく虚しいんです」という発言をしているのは、至極もっとも。
それでも混浴に入りたいと願うのは、老舗の場合混浴や男湯の方が断然いいお風呂だからで。決して見られたいわけではない。
一応ぼくも男性の立場から感想を書いておきますが、男だからそりゃあ女性の裸は見れるなら、見たいですよ。
でも電車の痴漢冤罪みたいな恐怖がものっすごいある。
ジロジロ見ていると思われたくないから顔を伏せるし、迷惑にならないかなとこそこそしてしまう。他に入っていたのはおばちゃんでしたが、沈黙があまりにも気まずくて風呂から出ちゃった時もあります。
そういうもんです。
かつての、昭和初期から1970年代の混浴温泉だって、決していいものばかりではなかった。
「温泉なんて嫁入り前の娘がかかわる仕事じゃぁない」と言われたと、昭和12年生まれの旅行作家は語ります。
男女の密会の場所だったり、男の欲望の遊び場だったり、女の一人旅は自殺願望だと勘違いされたりと、もう散々。混浴のトラウマも書かれています。
昨今になって、女性が温泉にのんびり入れること自体、先人たちが頑張ってきた証でありすごいこと。
「全室露天風呂付き」を謳い、ラブホテルみたいなもんだ言い放つ宿に対しての怒りも書かれています。
いやあまあ、確かに実質そうかもしれないけど、言っちゃだめだよね。
読んでいると「ならもう混浴いらねーじゃん!」とも思ってしまうわけですよ。
ここからが、この本の本領です。「批評」たる所以です。
確かにマナーとか法律とか経営を考えたら、混浴は難点が多いし、減るのもやむなし。
ではなぜ昔から混浴があり、今も生きているのか。
日本人は決して、あけっぴろげに混浴に入っているわけじゃないです。
海外のホットスプリングではヌーディスト的な側面もあるのも書かれていますが、日本人はそういう開放感を求めているわけではない。
例えば湯治として人と人が交流し、支えあう文化が日本にはある。
また恥じらいをお互いが持ちつつ、相手にどう気遣いながら交流するかが、混浴にはある。
その、実際体験しないとわからない「文化」や「考え方」を、この本は問います。
「混浴が日常である東北の年寄りは(中略)、泰然自若おして温泉と一体化している。
(「おばあちゃんの混浴論」竹村節子)
自分が宿主なら、「混浴を守るとかめんどくさいなあ」って思いそうですが、こういう話を聞くと、日本人の文化を守るのって大事なのかな?と考えてしまいます。
果たして、混浴文化は守られるべきなのか、それとも淘汰されてしかるべきなのか……。
実際に老舗旅館の方が、なぜ混浴温泉を守り続けているかのインタビューもあり、考えさせられる部分はとても多いです。
この他にも「全国の「温泉資格」は取って得なのか?」「旅行雑誌の温泉記事を、どう正しく読み取るべきなのか?」「宿経営の大変さをどう乗り切るか?」と、かなり切り込んだ内容の多い一冊。
ただ、混浴温泉を撮り続けることがライフワークのライター、大黒敬太の記事が、若い女の子の入浴シーンばっかりなのはちょっと気になるところ。
いや、見たいよ。見たいけど、混浴問題取り上げておいて、それってありなの?
ところがあとがきでも「編集部では温泉撮影の読者モデル、モデライターも募集しています。18歳以上の健康な女性で温泉に興味のある方はどなたでも結構です」とあって、おおらかすぎて大笑い。
混浴でワニになる前に、これを見て心を落ち着かせろよ、賢者の気持ちになりましょうってことですね!
切るところはバッサバッサ。問題点も多いけど、読んでいて希望も持てる、この感覚は気持ち良い。
『温泉批評』はナンバリングがないので、売れたら二号を作る方向でしょうか。
おもろいので続き待ってます。
『温泉批評』
(たまごまご)