90s

宮沢りえの波乱人生を振り返る かつては激やせ報道も

最近まで『ヨルタモリ』にレギュラー出演し、昨年は主演映画『紙の月』で日本人としては11年ぶりとなる最優秀女優賞を受賞するなど絶好調の宮沢りえ。しかし彼女の人生はとても波乱に満ちたものでした。

【伝説の写真集『Santa Fe』】


それは10代の頃からでした。17歳のときには『ふんどしカレンダー』、18歳のときにはヘアヌード写真集『Santa Fe』と話題作を相次いで発売します。特に『Santa Fe』の方は人気絶頂時でのヌード写真集ということで社会現象となり、写真集としては現在も歴代1位の150万部の大ベストセラーとなりました。
これらの仕掛けの陰にはマネージャーを務めていた母親"りえママ"の存在がとても大きかったようです。一卵性母子とも言われたように常に行動を共にし、宮沢りえに対しては「ステージママの操り人形」との批判も聞かれました。

【貴花田と婚約もすぐ破局】


1992年の11月には、貴花田(現在の貴乃花親方)との婚約を会見で発表します。当時、国民的人気を誇っていた2人の婚約は「世紀のカップル誕生」と呼ばれ、週刊誌やテレビなどでかなり大きく報道されていました。しかしわずか2か月後、婚約解消を発表してしまいます。
この破局の原因になったのもやはり"りえママ"の影響によったものが大きかったそうです。美川憲一は後に、"りえママ"に頼まれて宮沢りえに貴花田と別れるよう説得したと語っています。二人を別れさせた理由はもし貴花田と結婚したら、相撲部屋のおかみさん仕事で女優業がほぼ出来なくなってしまうからだと言われました。
編集部おすすめ

あわせて読みたい

90s チョベリーの記事をもっと見る

トピックス

今日の主要ニュース 国内の主要ニュース 海外の主要ニュース 芸能の主要ニュース スポーツの主要ニュース トレンドの主要ニュース おもしろの主要ニュース コラムの主要ニュース 特集・インタビューの主要ニュース

もっと読む

90s チョベリーニュースランキング

90s チョベリーランキングをもっと見る
お買いものリンク