立川談志が起こした波乱
『M-1グランプリ』のルールは極めてシンプルだ。結成10年以内のコンビ(復活後は15年に拡大)ならば、プロアマ問わずエントリー可能である。
決勝戦進出の8組と準決勝敗退者の中から選ばれた敗者復活1組をあわせた計9組の中から、7名の審査員による合計得点が高い上位3組が決勝へ進出する。決勝で審査員の投票がもっとも多かったコンビが優勝となる。
これまで『M-1グランプリ』は、多くの伝説を生み出してきた。注目すべきは2002年放送の第2回大会だろう。審査員席に座った立川談志が波乱を巻き起こしたのだ。
談志節全開だったコメントの数々
立川談志は決勝戦に進出したコンビに対し、談志節全開のコメントを連発した。
おぎやはぎには戦前から活躍する昭和期の漫才コンビである「(リーガル)千太・万吉を思わせるような‥」とコメントし、矢作に「千太・万吉さんを知らないのですが‥」と困惑された。
テツandトモには「お前らここへ出てくる奴じゃない、もういいよ」と言ってのけた。だが、続けて「俺、褒めてんだぜ。わかってるよな?」と加える。これはすでに芸風も確立された彼らは新人ではないと見た、談志なりのエールであったのだろう。
もっとも辛酸を舐めたのは、敗者復活のスピードワゴンである。
だがスピードワゴンは、立川談志から50点をつけられ「うーん、悪かったな、悪かったよ。行っても60かな。ちょっと俺、下ネタ嫌いなんです」とバッサリを切り捨てられてしまう。下ネタといってもネタの一部で、女性の生理を取り上げただけである。なんとも厳しい評価だ。この数字は歴代の『M-1グランプリ』史上において最低得点のひとつとなっている。
シンプルだった立川談志の採点
立川談志はスピードワゴン以外のコンビには、80点と70点の2つしかつけなかった。80点のコンビはますだおかだ、おぎやはぎ。70点のコンビはハリガネロック、ダイノジ、テツandトモ、フットボールアワー、笑い飯、アメリカザリガニである。
この年の優勝コンビはますだおかだ。歴代で唯一、松竹芸能所属のコンビである。決勝戦では立川談志はますだおかだへ投票し、優勝賞金1000万円を贈呈するにあたって「最後に出てきた時、俺は勝ったと思ったはずですよ。そう思わなきゃ芸人じゃない。したたかだよ。見事だよ。褒めてやる」と最大限の賛辞を送った。
『M-1グランプリ』史上、立川談志が審査員となったのはこれ1度のみ。まさに伝説に残る回と言えるだろう。
※イメージ画像はamazonより談志の落語 一 (静山社文庫)