「ラブラブ♡偉人伝」今回のテーマは、「毛利元就と妙玖(みょうきゅう)夫婦」です。
今回は中国地方統一に村上水軍も活用した、戦国一の智将・毛利元就の恋愛事情を探っていきます!

三本の矢どころではなかった!? 意外と子だくさんだった毛利元就
毛利元就と言えば「三本の矢」の話が有名ですね。一本だと簡単に折れる矢でも三本束ねれば折れない。元就が3人の息子に説いた結束の話としてよく知られています。しかし、実は毛利元就の子どもは3人ではなく15人。9男6女の大家族の父だったのです。ちなみに、この三本の矢の話をしたと言われているのが、長男・隆元、次男・元春、三男・隆景。
毛利元就は1497年安芸国(現在の広島県)の城主の次男として誕生。兄や嫡男が急死したため、27歳で家督を継ぎます。
妙玖夫人は、安芸国国人の吉川国経の娘で、政略結婚により元就の元へ嫁ぎました。結婚した正確な時期は分かっていませんが、長男・隆元を産んだ年は1523年。元就27歳、妙玖夫人25歳の時でした。

石碑に刻まれた毛利家のスローガン!「百万一心」とは?
郡山城にまつわるこんなエピソードがあります。毛利元就がまだ幼い頃に厳島神社を参拝した際、そこで泣き続ける小さな娘を見つけました。事情を聞くと、一緒に巡礼の旅をしていた母親がさらわれ、人柱にされてしまったとのこと。元就はこれを気の毒に思い、娘を郡山城に連れて帰り家臣に養わせることにしました。

月日は流れ郡山城拡張工事をする際、石垣を何度積んでも崩れるため、普請奉行が何かの祟りかもしれないと人柱を埋めようと言い出します。そこで元就が以前助けた娘に白羽の矢が立ちました。
人柱を埋めず、人命を尊ぶことを元就は家臣たちに教えたのです。「百万一心」の石碑を埋めた後は石垣が崩れず、無事に工事ができたそうです。
この「百万一心」は「百万の人が心を一つに力を合わせると、何事も成し遂げられる」という意味です。さらに、百万という字を縦に読むと、「一日一力」という風にも読めることから、日々の積み重ねが大切という意味も込められています。
心優しい毛利元就のエピソード。

亡き妻への愛情たっぷり 毛利元就の手紙♡
毛利元就は領地拡大のため、自分の子どもを中国地方の大大名の元へ放ちます。長男・隆元は大内家の人質に。次男の元春は妙玖夫人の実家である吉川家に、三男の隆景は小早川家に養子に出して家を継がせます。この作戦が見事に功を奏し、毛利家は領地拡大に成功。これには、妙玖夫人の力添えが欠かせませんでした。妙玖夫人からすると、結婚して授かった大事な息子を人質や養子に出したりすることは、いくら毛利家の繁栄のためとはいえ、とても寂しく辛かったことでしょう。
1545年、妙玖は病に倒れ、47歳の若さでその生涯を終えました。
元就は筆まめで、子ども達にたくさん手紙を送っており、妙玖を亡くしてから、度々手紙に妙玖のことを書いています。
元就が長男・隆元へ送った手紙がこちら。
「……いつも妙玖の事ばかり考えています。一人になってしまい、内外の事は全て一人でしなければならない状態です。
愛する妙玖を失い、一人寂しく余生を送っている元就の様子が伝わります。自分がしんどい時に語り合える相手がいないこと、妙玖が生きていたときは、苦しいときも二人で手を取り合って頑張っていたのでしょう。自分の寂しい思いを包み隠さず息子に打ち明ける元就の姿勢も好感が持てますね。この手紙が恥ずかしいので、読んだらなるべく早く戻してくれというところはなんだか可愛いです。
日本人は国民性もあってか、素直に「愛してる」とか「好き」という表現は恥ずかしくてなかなか伝えることができませんよね。さすがに「愛してる」は無理でも、毎日の「ありがとう」など感謝を伝える言葉は夫婦間、恋人間でなくしてはならないように思います。男女どちらの場合もあると思いますが、掃除に洗濯、ご飯を作ってもらうことが当たり前になり、感謝の言葉を伝えられていないケース、多いと思います。女性がご飯を作った時に、好きな人の「美味しかった〜!」の一言があれば、嬉しくてもっと頑張ろうという気持ちになります。ぜひ現代の男性も褒め褒め作戦を実行してください!
毛利元就が、妙玖が生きている間に直接、手紙に書いたような愛の言葉を伝えられていたかはわかりませんが、妙玖が生きている間は側室を持たず、妙玖一筋の愛妻家だったことは間違いありません。この愛妻家DNAは息子達にも受け継がれ、隆元・吉春・隆景の毛利3兄弟も側室は持たなかったそうです。
相手のドジも許せる仏のような優しさが魅力♡
独り身となった毛利元就には、近隣の大名達から娘の側室の申し出が絶えませんでした。その中に、最近になって毛利家の家臣となった者がおり、ぜひ自分の一族の娘も元就の側室に迎えてほしいと思っていました。しかし、ちょうど良い年頃の娘がおらず、唯一側室として迎えられるかもしれないと思ったのは、幼い娘でした。ただ器量が良かったため、その娘の父親は、元就と娘を会わせることにし、船遊びの場を設けました。船の上で二人きりになった元就と娘でしたが、娘はもじもじして落ち着かず、元就が話しかけてもソワソワするだけで沈黙するばかり。ついにその空気に耐えられず、船から飛び降りてしまいました。娘を助けようと元就も海に飛び込み、二人とも水浸しに。

元就に無礼な事をしてしまい、もう側室になれないだろうとあきらめていた父でしたが、意外にも元就は高評価で娘を側室に迎え入れました。そこで父が理由を聞いたところ、元就はこう答えました。
「あなた達は、娘がまだ子どもで、女になっていないと言ったけれど、娘は私と対面している間、始終恥じらっていた。実はそれは、尿意を我慢していたからだよ。娘が子どもであれば、私を気にせず慌てて厠へ飛んで行ったことだろう。娘は、立派に女である。そしてついに娘は辛抱が出来なくなってしまい、このまま垂れ流すよりはと考えて、船から水へと飛び込んだ。これは咄嗟の機転から生まれた行動で、娘には才智が備わっている。何よりも心を打たれたのは、船に救い上げた時に私に抱きついていたのだが、恥じらうだけではなくて、私の着物を濡らしてしまった事を気にかけていた。あれは気立ての良い娘だよ」
元就は、周りが気づいていなかった本当の娘の姿を見抜いていました。娘が恥じらいからとった行動を気遣って思いやれる優しさ。そしてこのエピソードから元就は年齢や見た目で女性を判断しないということも分かります。

若いからとか、歳をとっているからとか、その人の中身を知りもしないで人を判断することは良くないですよね。人によって態度を変えず、誰に対しても敬意をもって接する人はとても素敵ですし、信頼できます。現代女性もそういう男性を求めているはず! 現代男性の皆様も元就の女性に対する優しさや素直な心を参考にしてみてはいかがでしょうか!