『笑いのカイブツ』を上梓した、ツチヤタカユキさんインタビューの後編です。1日2000個のボケを出し続けたことの副作用や、ツラい日々を支えた存在、そして、全てをさらけ出すに至った心境の変化とは。
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質問が全部大喜利のお題に聞こえてしまう
── ハガキ職人のころ、生活費を稼ぐために初めてバイトの面接を受ける場面が印象に残っているんです。8年間、人とまともにしゃべっていなかったせいで、質問が全部大喜利のお題に聞こえてしまうところ。
≪ホストが「なんで坊主頭なん?」と聞いてきた。
その質問をされた瞬間、ボケが大量に思い浮かぶ。
<ご近所におすそ分けしたので>
<父がサンプラザ中野、母が瀬戸内寂聴なので>
<顔面をたまに、ボウリング球として使用することがあるので>
毎日ボケを大量生産しすぎたせいで、まともに答えることすら困難になっていることに気づいた。(P.60-61)≫
ツチヤ もう、会話できないんです。まずボケがバーッと浮かんで、でもそれ言ったら絶対バイト落ちるじゃないですか。ボケを捨てて、普通の答えを無理矢理探して答えるんで、ちょっと間が空くんですよ。面接なんか全部お題に聞こえてしまって。
── 志望動機も「この会社の面接受けようかな。なぜ?」みたいなことに……?
ツチヤ はい(笑)
── 間違った方向のAIですよね。チェスだったら打てる手の中から最善手を考えるように、ボケの中から普通の答えを考える感じ。
ツチヤ脳みそが完全にバグってたんですよね。
── でも不思議なのが、バイトを首になっても、またすぐ次のバイトを始めるじゃないですか。ということは、バグっているのにバイトの面接に受かってるんですよね。これはなぜ……?
ツチヤ 土日絶対は入れるとか、雇いやすい条件もあったんですけど、面接で訊かれることって大体一緒なんで、これ言われたらこう言う、というパターンを一回作ってましたね。あとは応用で、なんとか。
── お題を分析する力がそこで生きてるんですね……。そういえば、バイトのツラさをしのぐために、お酒を飲んでバイトしてたというのはホントですか?
ツチヤ カラオケ屋のバイトですよね。飲んでました。もう、嫌になったらバレへんように客が残したやつを……
── えっ店内で!? それはもう、素面ではいられないと?
ツチヤ はい……。ツラいし、仕事も無いし、カラオケばかりバイト入ってるし、ネタ作っても何も出世もせえへんし……もう……ウワァーッ(飲むふり)っと。
── バイト中にやけ酒なんて初めて聞きましたよ!
ツチヤ いや、お酒は弱いんで、酎ハイ2杯もあれば、もうベロベロなんですけどね。ほんとあかんバイトでした。

ハガキ職人を支えていた岡本太郎
≪生きていてもいいって、言われたかった。
その確認手段は、自分が起こす、笑い声だけだった。
選択肢の中には、もっと安全な道があり、もっと金を確保できる道もある。損得で考えたら、今すぐそっちに行くべきだろう。
だが、明日死ぬとしたら?
自分にしか残せない笑いを残す道こそが、一番進みたいと思う道だった。(P98-99)≫
── 『笑いのカイブツ』には「明日死ぬかもしれない」など「死」のイメージが多く出てきます。ハガキ職人を続ける衝動のなかには、人生がいつ終わるかわからない、いまやらなくちゃいけない、という焦りもあったんですか?
ツチヤ そうですね……。僕、高卒なんですけど、普通にやってても大卒の人には絶対勝てないし、出世も絶対できないだろうと。じゃぁ一発逆転の、ヤバい方向に行くしか無いって、追い込んでやってる感じでした。
── 仕事も無くツラい日々が続くなかで、笑いへのモチベーションはどうやって保っていたんですか?
ツチヤ ハガキ職人って、誰からも理解されないんですよ。何をしてるかわからないから、頭がおかしい奴っていう扱いもされる。そんな時、岡本太郎に支えられてました。岡本太郎の本には「誰にも理解されなくてもいいから自分を貫け」とかあって。
── 岡本太郎は芸人さんにもファンが多いですもんね。では「明日死ぬかもしれない」という考えは今もあるんですか?
ツチヤ 今も……ありますね。いつ死んでもいい、みたいなのは。10代のころはシド・ビシャスに憧れて、21歳で死ぬって思ってたんですけど、そこから憧れの対象がカート・コバーンに変わって……
── 死期がちょっと先になりましたね(カート・コバーンがこの世を去ったのは27歳)
ツチヤ でも28歳になって、今は岡本太郎とか藤山寛美に……
── とりあえず60歳まではセーフになりましたね……ひとまず安心しました……。

この本を出すことが1個のボケ
── 『笑いのカイブツ』はボケを極力入れずに、自分の内面をこれでもかと刻んでいるじゃないですか。あれだけ笑いに取り憑かれて、熱を傾けていた人が、ボケ無しで小説を書くというのは……なんらかの変化があったように思うんですが。
ツチヤ そうなんです。27歳で、価値観が全部ひっくり返ったんです。東京から大阪に帰ってきて、メールで漫才の依頼を受けてたけど、それも辞めて。なにも無くなったときに、お笑いのネタ書けて、センスで生きてる俺は天才だ、って思ってる自分がすごいダサく感じたんです。世の中ではなにもすごくないのに、寄りかかって生きてる。
── 死のイメージを持っていたからこそ、センスを誇っていた自分を殺している?
ツチヤ 殺してます。それまでバカリズムさんとかジュニアさんとか、センスの芸人さんがトップで、江頭さんとかを下に見ていたのが、バーン!ってひっくり返って。「かっこ悪いことがかっこいい」ってなった。めっちゃかっこ悪いことをいっぱい書けるようになったのも、そのせい。6章のタイトル「死にたい夜を越えていく」も、ダサくてもいいから、かっこ悪くてもいいから乗り越えるって意味があるんです。
── じゃぁ、以前のツチヤさんだったらこの本は……
ツチヤ たぶん、以前の僕が読んだら、絶対全否定すると思います。センスの笑いしか認めてないし、すぐボケ書いてたでしょうね。今は、この本を出すことが1個のボケみたいなもんです。馬鹿にして笑うてくれみたいな。ガンガンいじられたいし、来いよと。その笑いでも全然いい。
── 叩かれたとしても全然かまわない?
ツチヤ この本ある意味ルール違反なんですよ。お笑いやってた奴が、苦労している部分を全部さらしてエンタメにしてるので。でも、同業の方からも叩かれて当然やと思います。でも、僕は岡本太郎が好きなんで。岡本太郎って、原色を使ったらあかん時代に使って、同業者からボッコボコに言われてたんですよ。だから、肯定されてもうれしいし、否定されても岡本太郎がいるからうれしい。どっちもうれしいって状態です。
── 無敵じゃないですか!
ツチヤ そうかもしれないです。
── 『笑いのカイブツ』を書き始めたのは、個人のブログがきっかけでしたよね。「遺書」のつもりで、ブログを書いて終わろうとしていた。
ツチヤ そうです。
── でも連載のオファーが来て、こうして書籍化された。
ツチヤだから今、M-1の敗者復活戦で上がったような気持ちです。ここで、見したろうと。

『笑いのカイブツ』(文芸春秋)
ツチヤタカユキ
1988年3月20日生まれ。大阪市出身。三組の芸人の構成作家、私小説連載を経て、現在ニート。エンターテインメントの仕事を全部募集中。
(井上マサキ)