
もはや説明不要かと思うが、視聴者の共感と読み解きを誘うストーリー、数々の刺激的なセリフ、芸達者たちの演技合戦、的確な演出などが、熱狂的なファンをどんどん生み出しているドラマだ。
先週放送の第7話の視聴率は、再びV字回復して8.2%。なお、雑誌『ザ・テレビジョン』がSNSなどから独自に集計している視聴率ならぬ“視聴熱”ランキングでは、ドラマ部門のウィークリー1位を堂々獲得した。ちなみに2位は『奪い愛、冬』、3位は『嘘の戦争』。順当なランキングだと思う。
再会した夫婦の愛と逃亡
第7話は、巻真紀(松たか子)と幹生(宮藤官九郎)の夫婦の物語、後編。第6話では2人がどのように結ばれ、どのように夫婦が崩壊していったかをじっくり描いたが、7話では2人の再会と幹生が殺してしまったと思い込んだ有朱(吉岡里帆)の処理をめぐるドタバタ、真紀からの幹生への気持ち、そして正真正銘の別れが描かれた。
失踪した夫・幹生と再会したとき、驚きのあまり顔を覆う真紀の愛情がいじらしい。夫の体の心配をし、転んで抱き合ったときは微かに笑みを浮かべ、鏡の前では髪型と化粧を直す。真紀は今でも幹生の妻であり、彼の前では女でありたいと思っている。
そして夫の殺人(死んでないんだけど)という罪に直面したとき、夫婦の形が表れる。夫は妻を巻き込まないために離婚届を出そうとし、妻は夫と一緒に逃げようと決心する。
真紀「逃げよう。逃げて誰もいないところで一緒に暮らそう。
カルテットドーナッツホールの4人の中では現実的に物事を捉える真紀が、こんなことを言い始めるとは。「やったの俺だから」と言う幹生に「まだ夫婦だから」と言い返す真紀。
真紀「いいよ、自分の人生なんか。面白くないもん! こんな人間の人生なんかいらないもん」
彼女の人生において、夫婦という家族はかけがえのないものだった。演奏家として自信がなく、生計を立てることもできなかったことも関わっている。人は、自分を必要としてくれる人を愛する。夫が自分の元から逃げ出した翌日、パーティーで馬鹿騒ぎしてみせたのは夫への怒りの表れであり、愛情の裏返しだった。
真紀は今また、夫が自分を必要としてくれるチャンスに巡りあった。だから、縛られたすずめ(満島ひかり)を放置して懸命に働く。しかし、そんな真紀の思いも夫には届かない。罪を一人で被ろうとして「じゃ」と去っていく。

「幸せになってほしい」は最大級の別れの言葉
おでんを食べながら、楽しげに語り合う真紀と幹生。しかし、幹生は自首を決心する。そのことを告げたときの、松たか子の表情の演技が胸に迫る。真顔で聞き、一瞬目を瞑って夫の決意を受け止め、もう夫婦は元に戻らないんだと諦めを浮かべる。そして、真紀は「だって私はまだ、何も言われてないんだよ」と夫の言葉を促す。
幹生「真紀ちゃんのこと、ずっと考えてた。忘れたことない」
真紀「そっか、どんな風に?」
幹生「2年間夫婦だったし」
真紀「うん」
幹生「ここで一緒に暮らして、楽しかった」
真紀「うん」
幹生「いい思い出いっぱいある」
真紀「うん」
幹生「本当に大事に思ってた。いつも。今も。大事に思ってる」
真紀「うん」
幹生「だから、幸せに」
真紀「うん」
幹生「幸せになってほしいって思ってる」
本当にせつない別れのシーンだ。「『幸せになってください』だって。
すさまじい余談だが、巻夫婦が離婚届を出した文京区役所の時間外受付は、筆者が婚姻届を出した場所(夫婦で見ていてひっくり返った)。その後、真紀さんが着信に気づく場所は我が家の真ん前だった。
夫婦は愚かなほうが長続きする
真紀は幹生と食事をしながら、別荘の仲間たちのことをこう振り返る。
真紀「みんな面白い。みんなの面白いところを、みんなで面白がって。欠点でつながってるの。ダメだねー、ダメだねーって言い合ってて」
幹生は「いいね」と話を合わせているが、心から同意しているようには見えない。ついさっきまで、誰よりもダメだった男なのに。
思えば、真紀と幹生は欠点でつながっていなかった。
「二人が睦まじくいるためには 愚かでいるほうがいい 立派過ぎないほうがいい 立派過ぎることは 長持ちしないことだと 気づいているほうがいい 完璧をめざさないほうがいい」
これは吉野弘の「祝婚歌」という詩の有名な一節である。夫婦はお互いの愚かさを面白がるぐらいのほうが長続きするらしい。『カルテット』の佐野亜裕美プロデューサーはインタビューで「もともとウディ・アレンの『マッチポイント』をやろうとしていたら、いつの間にかコーエン兄弟の『ファーゴ』になっていった、という感じです」と語っていたが、『ファーゴ』はまさに雪に包まれた街で愚かな人間たちが右往左往する悲喜劇だった。

人生はわからないから面白い
第7話では「巻き戻り」がクローズアップされていた。オープンニングとエンディングが入れ替わっていたり、有朱(吉岡里帆)が何度もバックで車を走らせたり、諭高(高橋一生)が「巻き……戻ってる感がありますね」と繰り返したり。そのあたりはすでにツイッターなどでたくさん指摘されている。
『カルテット』というドラマには時間軸にずれがあるのではないかとファンが盛り上がり、佐野プロデューサーが公式に否定したが、時間軸に関する話題の盛り上がりにはこの「巻き戻り」が一役買っていた。
『カルテット』というドラマには解釈の面白さ、深読みの楽しさが用意されている。繰り返して見れば見るほど面白い。だが、細部に気をとられすぎると大切なことを見落としてしまいそうになる気がする。(これは以前も指摘したが)『カルテット』は普遍的なことを描こうとしていると思う。
7話の終わりで、久々にカルテットドーナッツホールが別荘に集い、同じ食卓を囲んで、真紀とすずめは合奏した。4人はひとまず「巻き戻った」ように見える。だが、『カルテット』は家族からはぐれた人たちが居心地の良い居場所を見つけて良かったね、という物語ではないだろう。
ラストで、真紀は幹生からもらった詩集を暖炉の火にくべる。
真紀「こんなに面白くないもの、面白いって言うなんて、面白い人だなって。よくわからなくて楽しかったの」
よくわからないことは楽しい。すずめが真紀に置き去りにされた後、涙を流しながらチェロで弾いた曲は、ジョニ・ミッチェルの「青春の光と影」という曲だ。原題は「Both Sides Now」。
今夜放送の第8話からは、ついに“最終章”に突入。まだ嘘をついてる人がいるの? 誰と誰が片思いなの? この先を知りたいけど、終わってほしくない! という気持ちが両方ないまぜになる。あと、WBCの延長に注意!
(大山くまお)