世界でもっとも有名な「呪われた一族」といえば、ケネディ家をおいて他にないでしょう。1963年と1968年に銃で暗殺されたジョンとロバートを筆頭に、悲劇的な死や不慮の事故に見舞われた人数は、なんと15人以上にも及びます。


さて、ここ日本においても、ケネディ家ほどではありませんが、「呪われた一族」が存在するのをご存知でしょうか?
それは俳優として活躍した故・沖田浩之の家系。この一家は沖田本人を含め、祖父・父・兄が自殺するという、なんとも壮絶な負の連鎖に見舞われた家族なのです。

80年代にアイドルとして活躍していた沖田浩之


1980年代前半に社会現象となった「竹の子族」。東京都・原宿の代々木公園横の歩行者天国野外で、ド派手な衣装を身にまとって踊り明かす群れの中に、少年時代の沖田浩之がいました。

「ヒロくん」の愛称で知られ、竹の子族のアイドル的存在だった沖田は、大手芸能プロの目に留まり、そのままデビュー。1980年には『3年B組金八先生』の第2シリーズにおいて、複雑な家庭環境の中で育つ優等生役を熱演して話題を呼びます。

1981年からはアイドル歌手としても活動。
シングル曲はオリコン上位にランクインし、親衛隊も組まれるほどの人気ぶりでしたが、本人は役者志望だったため、早々に歌手業からは撤退。以降は、俳優として時代劇や2時間ドラマをメインに活躍していきます。

36歳で帰らぬ人に……「師」と仰いでいた津川雅彦は絶句


そんな沖田が帰らぬ人となったのは、1999年3月27日のこと。自宅で首を吊って亡くなっているのが発見されたのです。享年36歳。
死亡したのが出演していた『サラリーマン金太郎』の第1部が終了した6日後とあって、所属事務所の代表で、沖田が「師」と仰いでいた津川雅彦は絶句しました。

死の前夜、沖田から役者としての相談を受けていた津川は、酒を酌み交わしながら少々キツめのアドバイスを彼に送ったのだとか。

「自分が厳しいことを、言ってしまったからなのではないか…」。津川は悔恨の気持ちを吐露していたようですが、もちろんこの叱責が直接の原因とは考えにくく、真相はいまだ闇の中です。

祖父、父、兄も自殺で帰らぬ人に


しかし後に、ある事実が判明しています。それが先述した、沖田の祖父・父・兄も自殺したというもの。

時系列でいうと、まず、弁護士だった祖父が、担当事件絡みで自身の正当性を主張するために自殺。続いては会社経営者だった父親が、稼業を継がせた沖田・兄の負債を肩代わりするため、1996年9月に「自分の生命保険で、会社の損失を補填してほしい」と言い残して首を吊ります。次が1999年の沖田本人。
その3年後の2002年4月には兄が、やはり首吊りで死んでしまったのです。

起こってしまった自殺の世代間連鎖


かつて、自身も父親が自殺した経験を持つタレントの北野誠は、テレビでその事実を告白した際に「自分もいつか辛いことがあったとき、“自殺をしたい”と切望するのではないかと思うと恐ろしい」という旨のコメントを残していました。

自ら命を絶った身内がいることで、図らずも「自殺」が身近なものと感じられるようになり、困難を克服する方法として"それ"を選択してしまう……。
沖田一族が、相次いで自らその生涯を終わらせてきたのも、そういった負のバイアスが祖父から父へ、父から子へと受け継がれてしまったからなのではないでしょうか。しかし、もうこれ以上、悲劇の連鎖は続いて欲しくないものです。
(こじへい)