川口メディアセブンで、日本初の遺品整理専門会社キーパーズを設立した吉田太一さんのトークイベント「遺品整理の現場」が開催された。
遺品整理は「生き様を消す」お仕事
もし自分が死んだら誰にも、特に遺族や知人には見られたくないモノというのは多くの人が持っているだろう。そもそも部屋自体がみっともなくて見られたくないというケースだって多い。
孤立死をする人はコミュニティとのつながりが切れているため、部屋に他人を入れることを想定していない。そんな部屋は遺族や知人だって見たくないし、仮に足を踏み込んだら気まずいのだ。
遺品整理のサービスは、完全なる「赤の他人」だからこそ、そのあたりのモヤモヤを薄れさせてくれる。生者も死者も「生き様を消す」ことでスッキリするのだ。PCのフォルダに大量の個人的データをため込んでいるような人にとっては人事ではないだろう。
吉田さんは全国8か所、年間1600件以上の遺品整理を行っている。いわゆる「悲しい現場」は年間2~300件ほどあるという。漂う死臭、吐血の跡、飛び回る虫といったものが充満した部屋だ。そんな現場には物質的処理だけでなく社会的な処理や精神的処理、感覚的処理など特に多くの処理が必要になってくる。
キーパーズでは引き取り手がない家財はリサイクルやリユース、合同供養も全て行っており、遺品についてのリスペクトの念が込められている。「大切なもの」を使わせてもらう、「大切なもの」を供養させてもらう、そんな気持ちがあるから遺族だって安心して遺品整理を任せられるようになるのだろう。
映像で観る孤独死。ひとりの老人の姿
吉田さんは1つの動画を会場で見せてくれた。息子夫婦を含む人間関係をわずらわしく思う、アパートに一人住まいの「孤次郎」さんという老人が、孤立死を迎えるストーリーだ。幽霊となった「孤次郎」さん視点で、孤立死の現場が淡々と、そしてショッキングに映し出されていく。
死んで腐りゆく姿というのは自分でも見たくないし、蛆虫がわいた身体を他人に処理してもらうというのも申し訳ない気分になる。ストーリーの中で主人公は息子にも見放されてしまう。借金を背負った父親は息子にとっては、相続放棄の対象であった。
しかし、そうなると大変なのは大家さんだ。人が亡くなった「事故物件」になれば他の住民が転居してしまうし、それ以外にもさまざまな要因によって多大な損失を被ってしまう。
年齢を重ねると、だんだんと人間は「わずらわしい」という気持ちが表に出てくる。そしてだんだんと生活も乱れ、他人とコミュニケ―ションをとる気持ちが失せてくる。そうして迎えるのが孤立死というわけだ。
若い人は孤立死を想定済み?
人は死ぬ。これは昔も今も変わらない事実だ。しかし「死に方」については社会の変容に応じて随分と形が変わってきたようだ。
現代の若者は「孤立」の傾向がある。共働きによって所得は個人で管理する家庭も多い。仕事が忙しく30代になっても恋愛しない未婚の層も増加している。そうしたひとが一人っ子の場合、親が亡くなれば身内が存在しなくなるのだ。
数十年たてば今よりずっと孤立死の割合は多くなってくるはずだ。
しかし吉田さんによれば、それは社会の常識が変化しただけであって、良いとか悪いというものではないのだという。確かに個人の生き方が多様化し、自分の有り様を通すことができるようになった分、社会とのしがらみを人が厭うようになった。プラスの面もマイナスの面も表裏一体だ。そうなれば最後の最後に孤立したとしても、それは必然なのかもしれない。
吉田さんの著書の読者には若い世代もいる。30代や40代の世代は、意外と孤立死をしっかり想定しているという。
「どなたが亡くなったんですか?」「アタシ!」
孤立死の定義が社会から切り離された死、ということであれば、遺品整理サービスは最後につながった糸になってくれるのかもしれない。とはいえ難しい点があるという。自分がいつ死ぬかわからない、ということだ。もし亡くなる日にちや時間がわかっていれば事前に対処する事もできるだろうが……。
吉田さんのもとには「自分が死んだら遺品整理して欲しいので予約したい」「私の遺品をよろしくお願いします」といった電話も多いという。
でも吉田さんとしても何年、何十年先になるかもしれない死について責任は負えない。だからこそ吉田さんは根本に立ち返って、孤立死しないようにして欲しいと語っていた。
(光嶋茂/イベニア)