連続テレビ小説「わろてんか」(NHK 総合 月〜土 朝8時〜、BSプレミアム 月〜土 あさ7時30分〜)
第26週「みんなでわろてんか」第147回 3月27日(火)放送より。 
脚本:吉田智子 演出:本木一博
「わろてんか」147話。濱田岳がますます男っぷりをあげていく
イラスト/まつもとりえこ

147話はこんな話


滋賀県米原の薬草農家に疎開したてん(葵わかな)たちは、日々笑って暮らそうとしていることを、主人・横山治平(西川きよし)に咎められる。だが、治平にもワケがあって・・・。


ギョロ目の鬼さん


大阪で大空襲があってから1週間が経った。
天満風鳥亭に電報を打ったが、風太から連絡がないことを心配するトキ(徳永えり)に、てん(葵わかな)は笑って待とうと励ます。

「わろてわろて ぎょうさん(笑いの神様に)お供えしよ」

福が来るように、福笑いしている飛鳥(花田鼓)と藤一郎(南岐佐)。
「ギョロ目の鬼さん」とは、てんの父(遠藤憲一)のあだ名であった。会ったことのないご先祖さまのことがなんとなく伝わっているようだ。

無邪気な子どもたちにまで治平は厳しい。目下、この人が「ギョロ目の鬼さん」である。

「そんなに笑いたかったらいますぐここから出ていけ」とまで言う。
なぜそんなに頑ななのか。
それにはわけがあった。
孫が兵隊にとられてから笑わなくなったのだと、とりん(堀田真由)から聞いたてんは、治平と話をする。

「ほんまは苦しゅうて苦しゅうて 毎日泣きたいくらいです。けど泣いて、あの子(隼也)が喜ぶとは思いまへん」

そこで、新一兄さん(千葉雄大)の11話での名言を引用するてん。

「人間はお金や地位や名誉を競い合い、はては戦争もする あほな生き物や。人生ゆうんは思いどおりにならん。つらいことだらけや。そやからこそ笑いが必要になったんやと僕は思う」
「つらいときこそ笑うんや みんなで笑うんや」


風太がやって来た


てんの話を聞いて、「笑う門には福来る」の言葉を思い出す治平。
福笑いを見て、久しぶりに笑う。

仏頂面からすっかり好々爺ふうになった治平と、新平(中川浩三)、ミツ(宮川サキ)も
交えて、大根尽くしの晩餐を催すてん。

久々に美味しい料理のアップ。

みんなニコニコしているところへ、風太が命からがら訊ねて来る。
第一声は「なんや食わしてくれ」。

風鳥亭の看板を持ってきた風太。
これだけしか守れなかったからと、すまんと謝る。
「アホ こんなもんのために命を張ったんか」とてんが言うが、
「芸人全員の夢の証や」と風太は返す。


安否がわからない芸人たちが戻って来たときにいないといけないから、すぐに大阪に戻るという風太。
風鳥亭は目印だ、と。

146、147話と、最終週、風太の男気に泣かされ続けております。

さて、時折、新一兄さんのお言葉を思い返すてんだが、この台詞の原型と思われるのが、吉田智子が脚本で参加していた、00年に放送された「伝説の教師」というドラマだということは、69話のレビューで書いているが、ここでもう一度記しておきたい。

「わろてんか」69話「伝説の教師」脚本にも参加していた吉田智子に求められるものを再度考える

原案が松本人志で、「生き物ちゅーのはな、死ぬために生まれてくるんや。次の命の肥やしになるためにイチイチ生まれてくるだけの存在や。
生きるとか死ぬとか考えること自体がアホらしいわ!」などという台詞があって、単なる泣ける感動学園ものではなく、捻りのあるビターな味わいのドラマだった。
「人間が許された唯一の特権は笑うことや。笑いながら生きるってことは人間としての証なんや」という台詞もあった。

学園ものといえば、濱田岳が先生で、葵わかなが女子高生役で、徳永えりが濱田岳の同僚の女教師のドラマがあったらなんだかしっくりきそうだが、濱田岳はその昔、「3年B組金八先生」第7シリーズ(04年)では生徒を演じていた。そのとき、卒業式で生徒たちが泣くなか、ひとり泣かない芝居に挑んでおり、どうやら、この俳優は、つねにひとりで踏ん張る役割を背負わされる宿命のようだ。
(木俣冬)