宮藤官九郎作の大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」(放送は毎週日曜、総合テレビでは午後8時、BSプレミアムでは午後6時、BS4Kでは午前9時から)。先週2月17日には第7話が放送された。


一番おかしいのは四三でも弥彦でもなく、やっぱりあの人


1912年のストックホルムオリンピックのマラソン日本代表に選ばれた東京高等師範学校の金栗四三(中村勘九郎)は、尊敬する校長・嘉納治五郎に言いくるめられ、自費で遠征することになった。1800円もの旅費を郷里・熊本の実家に用立ててもらうべく、家長である実兄の実次(中村獅童)に恐る恐る手紙を送ると、意外にも快諾の返事が。実次は、弟がオリンピック予選会で世界記録を出したことを誇りに思い、ぜひ力になってやりたいと思ったのだ。

しかし没落した造り酒屋である金栗家にそんな大金が簡単に用意できるわけもない。兄からはそれ以後、手紙が途絶える。果たして無事に1800円は工面できるのか……四三は不安を抱きながらも、ストックホルム行きに備え、米国体育学士の大森兵蔵(竹野内豊)の妻・安仁子(シャーロット・ケイト・フォックス)からテーブルマナーの猛特訓を受けることに。このとき、同じく日本代表となった短距離走の三島弥彦(生田斗真)と初めて引き合わされる。

弥彦は弥彦で、旅費はすぐ用意できる身分にありながら(何しろ亡父は官僚、兄は日銀総裁という名門である)、兄の弥太郎(小澤征悦)や母の和歌子(白石加代子)からオリンピック参加の許しが出ず、いったんは辞退していた。出自は対照的だが、オリンピックに行けるかどうかという点では同じ境遇に立たされた四三と弥彦。第7話はサブタイトルどおり、この「おかしな二人」を軸に展開した。

もっとも、「いだてん」で一番おかしいのは、ほかでもない日本のオリンピック参加を決めた嘉納治五郎であることは、本作のファンにはもはや言うまでもないだろう。何しろオリンピックのためなら誰彼なしにカネを借り、そのうえ辛亥革命で苦境に陥った清国の留学生たちにも学費の建て替えを約束してしまったのだから。ついに借金は10万円を超え(現在でいえば数億円におよぶ)、「10万の男」を自称し出す始末。


四三に旅費を出すとかえってプレッシャーを与えるという珍妙な理屈で、自腹を切らせたのも、そもそもは嘉納が資金繰りに行き詰まったがゆえの苦肉の策だった。まったく困った校長だが、ときにはいいところも見せるから油断ならない。

ある日、四三を呼び出した嘉納は、質屋へ同行させる。その道すがら、嘉納は自分の着ているフロックコートは、嘉納が青年時代、欧米視察に行くに際してある人から贈られたものだと言って、その裏地を見せる。そこには大きく「勝」の文字が刺繍されていた。そう、そのコートは、かの勝海舟から贈られたものだったのだ。これには語り手を務める若き日の古今亭志ん生=美濃部孝蔵(森山未來)も驚き、「“大河”っぽいのでもう一回」と勝海舟の名を繰り返し口にする。ちなみに今回、1960年の志ん生(ビートたけし)は、“調整日”と称して控えめの出演であった。異なる時代を行ったり来たりする構成が、慣れない視聴者にはわかりづらいとの評判も聞かれる「いだてん」だが、今回の話はわりと付いていきやすかったのではないだろうか。

それはともかく、嘉納が勝海舟と親交があったのは史実である。その関係は兵庫の豪商であった嘉納の父の代に始まった。父・治郎作は幕末、江戸幕府の廻船方御用達を務め、幕臣だった勝海舟と協力して、和田岬や西宮の砲台築造工事を請け負っている。
勝はこれと前後して神戸に海軍操練所を設け、のちの日本海軍の基礎を築いた。嘉納の創始した柔道が海軍で比較的早く導入されたのも、勝との関係によるところが大きかったようだ(クリストファー・W・A・スピルマン「嘉納治五郎」、筒井清忠編『明治史講義【人物篇】』ちくま新書)。

嘉納はその勝から譲り受けた大事なコートを惜しげもなく質に入れると(カネに困るといつもそうしているらしい)、それで借りたカネをそっくり四三に渡した。これでストックホルムに行く際に着る洋服をつくれというのだ。さっそく四三はその足で日本橋の三越に行くと、立派なフロックコートと背広を仕立ててもらう。

「裏・おかしな二人」のたくらみ


嘉納にとって借金は、ひょっとすると大きなモチベーションにもなっていたのかもしれない。ランナーズハイという言葉があるが、どうやら借金もあるレベルを超えると気分を高揚させ、常人離れした行動を可能にしてしまうことがあるらしい。たとえば明石家さんまが、離婚後、自宅を売却したもののなおも多額のローンが残ったため自殺するか仕事をするかの二者選択を迫られ、後者を選び、ついには声が枯れてしまうほどテレビに出続けたことはよく知られる。先ごろ亡くなった作家の橋本治も膨大な仕事を残したが、それも住宅ローンを返済するためだったという(やっと借金を完済した直後に亡くなったというのが惜しまれる)。あるいは、劇作家・演出家の平田オリザは、劇場運営のためやはり億単位の借金を抱えたが、そこで銀行相手に資金繰りを続けてきたことが、意外にも演劇活動で国や自治体から助成金を得るうえでも役立ったと語っている(「ワンダーランド wonderland #10 平田オリザ(青年団、アゴラ劇場)」)。

「いだてん」で東京高師の助教授・可児徳を演じる古舘寛治は、平田オリザ主宰の劇団「青年団」出身の俳優だ。実直だが地味な可児はこれまで嘉納に振り回されっぱなしで、東京高師の徒歩部(陸上部)の顧問としてもさほど目立った活躍はなかったが、第7話ではにわかにスポットが当たる。最初のシーンから自転車に乗って、トレーニング中の四三の伴走役を務めたかと思えば、借金の請求にたまりかねて「俺は10万の男だぞ」と逆ギレする嘉納に対しては、「10万持ってる男のことを『10万の男』と言うのであって、先生の10万は借金です」としっかりツッコミを入れた。


さらに同じく東京高師の教員で、大日本体育協会(体協)でも一緒の永井道明(杉本哲太)とは急速に距離が縮まった。きっかけは、ストックホルムへは嘉納のほか役員として2名ほど同行させると聞いたからだ。可児と永井は選ばれるのは自分たちだと勝手に思いこむ。そこで意気投合し、体協にあって四三のマナー講師役を務めるなど存在感を示す安仁子のことを「でしゃばり女」などと、つい陰口を叩いたりもした。もっとも、このときはついたての向こうに当人がおり、二人が気づくや、「何も聞こえなかった」と怖い顔で言われてしまう(それにしても、このとき彼女と一緒にいた兵蔵がやたらと咳き込んでいたのが気になった)。

オリンピックに同行するのも、結局、大森夫妻に決まる。というか嘉納は最初からそのつもりだったのだが。可児がそれを聞いて呆然としているところへ、永井は意気揚々と、ストックホルム行きのため奮発して買ったトンビのコートを着込んで校長室に現れたのがどうにもおかしかった。今話では、四三と弥彦のコンビに対し、可児と永井はさしづめ「裏・おかしな二人」の役割を担っていたといえる。

“表”のほうの「おかしな二人」は、三島が四三のマナー実習のため自邸を使わせてくれたおかげで、仲を深めていく。当初は弥彦に暑苦しさを覚えた四三だが(初対面時にいきなり相撲をとってこられたら誰だってそう思う)、三島邸での実習でろくに食事ができなかった彼のため、弥彦は女中のシマ(杉咲花)に言って帰りがけにおにぎりを持たせてやるなど、案外いいやつだということがわかってきた。

三島は、兄・弥太郎に対し土下座をするかと思いきや、見事なクラウチングスタートで全力疾走してみせ、強引に五輪参加を了承させていた。
これに対し、四三は2ヵ月近く待っても兄・実次からカネの工面がついたとの連絡が来ない。ついに待ちきれず、オリンピック予選会の優勝トロフィーを売ってカネをつくろうと決心したところで、「金1800円ば持ってきたばい!」と上京した実次と久々の対面を果たす。路上でしばしお互い涙を流しながら、しかと抱きしめあう二人。実次は、かかりつけの医者の娘スヤ(綾瀬はるか)の紹介で、隣村の庄屋からカネを用立ててもらったらしい。いずれにせよ、これで四三はやっとオリンピックに出られることに。きょう放送の第8話では、四三と弥彦はいよいよストックホルムへと出発する。

なお、今夜の総合テレビでの放送終了後、8時44分からは、ドラマ出演者のピエール瀧・満島真之介、チーフ演出の井上剛、フリーアナウンサーの赤江珠緒(瀧とはTBSラジオ「たまむすび」木曜日で共演中)の出演で、ネットで「楽屋トーク」が生配信されるというので(詳細)、こちらも楽しみだ。
「いだてん」一番おかしいのは日本のオリンピック参加を決めたあの人だ「おかしな二人」7話
イラスト/まつもとりえこ

乃木希典も一瞬、登場


第7話の劇中、テーブルマナー実習のため訪れた三島邸の便所で、四三は先に出た人がサーベルを忘れているのに気づき、呼び止める。よく見れば、その相手は陸軍大将の乃木希典(中村シユン)で、四三は驚愕する。乃木はこのとき弥太郎の客人として来宅していた。勝海舟といい、英雄があいついで登場した回であった(勝海舟は銅像での登場だったが)。

乃木はこの数ヵ月後、1912年7月に明治天皇が崩御すると、そのあとを追って妻とともに自決した。
弥彦の母・和歌子にとっても乃木はよく知る人物だったらしい。和歌子は天皇崩御を深く悲しみ、さんざん泣いたあとだったので、乃木の死にはもっと悲しむだろうと、家族はそれを知らせるべきか躊躇したという。しかし、次女の峰子が意を決して和歌子のもとへ行くと、「じつに立派な武士の死である」と伝えた。これを聞いた和歌子は急に厳然と座り直すと、涙一つ流さず、「そうや、それは立派なこつじゃ。私は泣かんから安心しやい」と薩摩弁で返したとか。このとき、峰子に付き添った弥太郎の息子・三島通陽は、《祖母上にはこの時、武士の血が、体内をかけめくったのであろう。実に厳然としてゐられたのを思ひ出す》とのちに記している(尚友倶楽部史料調査室・内藤一成編『三島和歌子覚書』芙蓉書房出版)。「女西郷」と呼ばれた女傑・和歌子ならではのエピソードだろう。

時代は明治から大正へ。日本初のオリンピック参加は、その代替わりの直前のできごとであった。
(近藤正高)

※「いだてん」はNHKオンデマンドで配信中
作:宮藤官九郎
音楽:大友良英
題字:横尾忠則
噺・古今亭志ん生:ビートたけし
タイトルバック画:山口晃
タイトルバック製作:上田大樹
制作統括:訓覇圭、清水拓哉
演出:一木正恵
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