ドラマ内の時間は第1部完結までに、1911(明治44)年のストックホルムオリンピックの予選会から1923(大正12)年の関東大震災まで、結局干支が一回りしかせず、これから半年で果たして1964(昭和39)年の東京オリンピックまで41年間を描けるのかとちょっと心配だったのだが、第25話だけで一気に3年を描き、時代も大正から昭和をまたいだ。これもせっかちな田畑のおかげだろうか。とにかく彼の強烈な個性が印象に残った第2部のスタートだった。
田畑、入社面接で「で、君は何なの?」と問われる
第25話は、語り手の古今亭志ん生(ビートたけし)いわく「前回の残りもんがある」ということで、関東大震災の翌年、1924年のパリオリンピックに向けて開催された予選大会の場面から始まった(震災直後の風景写真にランナーたちの姿をコラージュしたようなカットが目を惹いた)。このとき、金栗四三は母校・東京高等師範学校チームの伴走者としてマラソンに参加したが、肝心の後輩たちは振るわず、結局自分が1位でゴールして代表に選ばれてしまう。ウソのようだが、これがほぼ事実という(背中でゴールテープを切ったのはさすがに創作ではないかと思うが)。このとき四三は34歳になっていた。
四三がオリンピックに向けて猛練習を始めたころ、田畑は東京帝国大学を卒業して、朝日新聞社の面接を受ける(このとき新聞社内で飛んでいた鳩は、連絡用の伝書鳩だろう)。そこで社長の村山龍平(山路和弘)と政治部長の緒方竹虎(リリー・フランキー)を相手に、日本泳法の松澤一鶴(第一高等学校)とクロールの高石勝男(茨木中学)の一騎打ちについて、身振り手振りを交えながら熱弁する。緒方はただ好きなスポーツは何か訊いただけなのだが……。
田畑が自分のことをちっとも語らなかったがための質問だが、ここでようやく彼は、少年時代に病気のため自分で泳ぐのは断念したことを打ち明け、それでも日本を世界一にするまでは水泳はやめないと宣言する。運動部ではなく政治部を選んだのも、どうやらそのあたりに理由がありそうだ。
緒方は田畑の採用を見送ろうとするも、村山社長の「顔もいいし」との一言で採用が決まる。全国中等学校優勝野球大会(現在の全国高等学校野球選手権大会、夏の甲子園)の創始者でもある村山には、何か感じるものがあったのだろうか。ともあれ、社長の温情で入社した田畑はさっそく、スポーツ面での陸上の扱いの大きさに文句をつけ、校閲部の若手記者で、四三の弟子でもある河野一郎(桐谷健太)と喧嘩になる。
田畑は陸上への対抗心を、パリオリンピックから帰国した四三たちによる報告会でも剥き出しにする。酷暑のためレース途中で棄権し、ついに引退を表明した四三に対し、彼は真っ向から非難したのだ。あげく、大日本体育協会(体協)の名誉会長である嘉納治五郎にも引責辞任を求める。その際、「老害め。何が『逆らわずして勝つ』だ。逆らってでも勝て。
田畑は独立を宣言するや、さっそく母校・東京帝大の水泳部のコーチ・松澤一鶴(皆川猿時)に頼んで、大学の一室に水上競技連盟(水連)を開設した。さらにその部屋の真下に、工学部の船舶実験用の水槽があることに気づくと、これを念願の温水プールにしてしまおうと画策する。それにしても、ここに出てくる水泳のオリンピック選手は、セーターを着こなした野田一雄(三浦貴大)といい、ペイズリー柄のシャツの高石勝男(斎藤工)といい、おしゃれで当世流行のモダンボーイといった趣きがある。これも陸上の選手と対比しての設定だろうか。折しも陸上も体協から独立して陸上競技連盟(陸連)を発足させる。各競技の統括団体となった体協のもと、水泳と陸上の争いは熾烈さを増していった。
30歳で死ぬと予言された田畑、なぜかテンションが上がる
水泳には熱心な田畑だが、本業の記者稼業はさっぱりだった。先輩が普通選挙法(1925年成立)の原文をいち早く入手してきたときには、記者たちで手分けして書き写すことになったものの、あまりの悪筆に、緒方に作業チームから外されてしまう。
さらに、1926年暮れの大正天皇崩御に際しての新元号のスクープにも失敗する。日本橋のバー「ローズ」で緒方から、かつてこの店で枢密院顧問官の三浦梧楼(小林勝也)と知り合ったのがきっかけで、明治天皇崩御時に新元号「大正」のスクープをものにしたと聞かされ、奮起した田畑は、三浦に会うべく毎日店に通い出すのだが、結局会えずじまい。それもそのはず、三浦はすでに鬼籍に入っていたのだから(亡くなったのは大正天皇崩御の11ヵ月前、1926年1月)。あいかわずのそそっかしさである。しかし、このときバーのママ・マリー(薬師丸ひろ子)に、ついさっき朝日のライバルである日日新報(史実では東京日日新聞=現・毎日新聞)の記者が店から電話で社に新元号を伝えていたと教えられ、そばにあったコースターを手掛かりに、新元号は「光文」と突き止める。ただ、直後に占いに凝っているマリーから30歳で死ぬと予言され、そのショックで肝心の新元号を失念してしまう。社に戻って思い出そうとしていたところ、河野が日日新報の号外を持って飛び込んできた。だが、緒方はうちは正確さで勝負すると決め、裏が取れるまで元号に関する記事は出さないと部下たちに厳命する。結局、「光文」は誤報だったとわかり、緒方の判断は功を奏することになった。
田畑もスクープを逃したおかげで記者としてさらに傷を負わずに済んだわけだが、30歳で死ぬと予言され、残り2年の人生で花を咲かそうと思ったのか、落ち込むどころかますますテンションが高くなる。昭和元年はわずか1週間で終わり、明けて昭和2(1927)年には、少年時代に郷里・浜松で知り合った孝蔵と寄席で偶然にも再会し(当時の孝蔵の高座名は志ん馬)、彼の演じていた落語「火焔太鼓」(志ん生が得意とした噺のひとつ)のサゲを先に言ってしまうわ、かつて浜松の弁天橋で孝蔵に財布を抜き取られたこと(当時都落ちしていた孝蔵は、その財布のカネで東京に戻った)を蒸し返すわ、そりゃもう大騒ぎ。そこへ来て、松澤一鶴の尽力により帝大構内の温水プールも完成して、田畑は上機嫌であった(しかし、松澤を演じる皆川猿時とプールという取り合わせからは、どうしても朝ドラ「あまちゃん」で彼が潜水土木科の教師を演じていたのを思い出してしまう)。
さらに、1年後に迫ったアムステルダムオリンピックに向けて体協に、より多くの選手が派遣できるよう申し出て、やはり選手の増員を求める陸連の河野一郎と衝突する。これに対し、資金難にあえぐ体協の会長の岸清一(岩松了)は、渡航費を国からぶんどってくれば、20人でも30人でも連れていくと苦しまぎれに約束した。これを真に受けた田畑、「上等じゃねえか」と言うと、どこかへ向かったのだが……。
後日、体協に現れた田畑は、どこで調達したのか6万円もの大金を、札束になった5000円ずつ取り出してみせ、岸や嘉納たちを驚かせる。劇中ではそのやりとりを、孝蔵の演じる「火焔太鼓」と重ね合わせていたのには笑ってしまった。「火焔太鼓」は、ある道具屋が安価で仕入れた太鼓を、妻にあきれられながらも叩いていたところ、そばを通りかかった殿様がその太鼓を見たいと言っていると家臣から伝えられ、恐る恐る太鼓を見せると、「これなるは火焔太鼓という名器である」と300両で買い上げられた……という噺だ。道具屋は持ち帰った300両を、50両ずつ取り出しながら妻に見せるのだが、田畑の行動はこれをそっくり踏襲していたというわけである。
それにしても、田畑はどうやってこんな大金を調達したのか。どうも立憲政友会の大物政治家・高橋是清(萩原健一)からせしめたらしいのだが、名大蔵大臣として名高い高橋を、一体どう言いくるめたのか? 正解はきょう放送の第26話で! 予告映像やツイッターの「いだてん」公式アカウントでアナウンスされているように、人見絹枝のアムステルダムオリンピックでの活躍も気になるところである。(近藤正高)
※「いだてん」第25回「時代は変る」
作:宮藤官九郎
音楽:大友良英
題字:横尾忠則
噺・古今亭志ん生:ビートたけし
タイトルバック画:山口晃
タイトルバック製作:上田大樹
制作統括:訓覇圭、清水拓哉
演出:井上剛
※放送は毎週日曜、総合テレビでは午後8時、BSプレミアムでは午後6時、BS4Kでは午前9時から。各話は総合テレビでの放送後、午後9時よりNHKオンデマンドで配信中(ただし現在、一部の回は配信停止中)