『おちょやん』第11週「親は子の幸せを願うもんやろ?」
第53回〈2月17日 (水) 放送 作:八津弘幸、演出:大嶋慧介〉

篠原涼子 対 いしのようこ
「水と油が仲ようなんのはやっぱり無理なんやろか」(みつえ)【前話レビュー】心揺らす橋の上の恋 親が敵同士のみつえと福助が相思相愛に
みつえ(東野絢香)と福助(井上拓哉)のロミオとジュリエット的恋の話に、一平(成田凌)と千之助(星田英利)の芝居をめぐる確執を並行して描いて見どころは多い。恋も、仕事も、両方描いている。
でも、どちらも主人公・千代(杉咲花)の問題ではなく、千代はあくまで傍観者である。しかも、彼女がよかれと思って打った一芝居の失敗が元で、ことが大きくなってしまったのだから、いいのか悪いのか……。
「岡安を継ぐのもあかん、福助と一緒になるのもあかん、これ以上うちの夢とりあげとんていて」と母に猛反発するみつえ。みつえと福助の恋は、福助の母・菊(いしのようこ)にも伝わって、福助も菊からコテンパンに叱られてしまう。
もともと、芝居茶屋のライバルとして仲が悪かったふたりだが、時代が変わり、芝居茶屋が流行らなくなったとき、本家の福富が早々に商売替えして、岡安だけが残ったことが、シズ(篠原涼子)と菊の仲をますます悪くする。
だが、菊はこっそり福富の客を岡安に紹介していた。それを知ったシズが感謝して、手打ちとなるかと思ったら、プライドを傷つけられたシズは菊の店に怒鳴り込む。「ほんまに……大きなお世話だす!」とシズが口調をガラリと変えるところは面白かった。
簡単に手を握らないふたりには芝居茶屋の伝統と歴史を守ってきた者の意地が滲む。本家にもかかわらず商売替えせざるを得なくなった菊の無念。それに対して、競い合う相手がいなくなったシズの張り合いのなさや悔しさ。
篠原涼子 対 いしのようこ
じとっと湿り過ぎず、そこそこ乾いた女の対決、なかなか見応えがあった。それを呆然と見守る、千代とみつえと福助の表情も観察していると面白い。とくに福助の顔。
ふたりの喧嘩のあと、道頓堀の町並みが映る。軽快な音楽が鳴り、のぼりや旗が閃く通りをたくさんの人たちが歩いている。風景が夕焼け色に染まっていくノスタルジーではなく、太陽が落ちて夜が来る前の紫っぽい空に街の灯りがぽうぅぽうぅと点在する美しさは、現実が夢の世界に切り替わっていくひとときのようだ。
芝居茶屋というのは、芝居と現実の橋渡しをする場所である。それがあるからこそ、いっそう現実から離れ、夢の世界芝居を楽しめたわけだが、そういう中間地点の存在がなくなる時代は人間に余裕がなくなった現れであり、すこし寂しい。
シズはなんとかその場を守ろうとしていて、早くに手放した菊もそうせざるを得なかったことが悔しくてならない。薄暮の道頓堀の風景はシズや菊が守りたいものを象徴しているように見える。
菊とシズ、ふたりの対立の発端は、ハナ(宮田圭子)の代に遡る。福富のお茶子だったハナが暖簾分けされて岡安を作ったことで、福富と岡安が対立するようになって、その子どもの代もいがみ合い続けた。
