朝ドラ『カムカムエヴリバディ』第9週「1962」
第42回〈12月28日(火)放送 作:藤本有紀、演出:安達もじり〉

※本文にネタバレを含みます
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るいが片桐と映画館デート
「暗闇でしか見えぬものがある。暗闇でしか聴こえぬ歌がある」モモケンこと桃山剣之介(尾上菊之助)の映画がカラーになった。でもセリフは暗闇。
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菊之助は先ごろ惜しまれつつ亡くなった、大衆時代劇ドラマ『鬼平犯科帳』でも人気だった中村吉右衛門の娘婿である。菊之助自身は女形に定評があるが、歌舞伎の名門の生まれだけあって時代劇ヒーローの貫禄は十二分。腰をすっと落とし、すり足気味の静かで素早い足さばきは昔ながらの時代劇らしいし、なんといっても眼力がやはり凄い。
あと、モモケンに“斬られる侍”(クレジットより)は藤本有紀はじめての朝ドラ『ちりとてちん』のヒロインのお父さん役を演じた松重豊である。
菊之助がカッコいいのだが、和子(濱田マリ)や平助(村田雄浩)たちは『椿三十郎』のほうが面白いと言う。時代は新しい時代劇に代わりつつあった。
「暗闇でしか見えぬものがある。暗闇でしか聞こえぬ歌がある」というセリフはるい(深津絵里)の置かれた状況を物語っているのかもしれない。今、彼女はきっと「暗闇」の中にいる。でもそんな彼女に明るい兆しが。
クリーニングの客・片桐春彦(風間俊介)となんとなくお近づきになっていく。お互いオー・ヘンリーが好きだというところでウマがあった。るいの読んでいた『善女のパン』の内容を聞いて、「そんな皮肉な話をお気に入りやて言えるあなたが面白いと僕は思います」と好意的で。それを奥の居間で微笑ましく聞いている和子と平助と映画館のおじちゃん(笑福亭笑瓶)。
片桐は洗濯物のポケットに映画のチケット(メッセージ付き)を忍ばせる。これ、気づかなかったらどうするつもりなんだろう。でも丁寧な仕事をするるいを信頼して、絶対に気付いてくれると考えたのだろうか。実際、るいはチケットに気づき、映画を観に行く。るいの部屋での定位置・壁際が彼女のつつましい性格を表していて、胸がきゅうぅとなる。「キュン」でなく、「きゅうぅ」。
おしゃれして、アイロンをきれいにかけたハンカチを持たせてもらって、映画デート。「ミス・マーサのバターみたいに全部ぶち壊しにしてしもうたらどないしようかと思った」と『善女のパン』に掛けて冗談を言う片桐が好ましい。
ふたりはとてもうまくいってるように見えたが、額の傷が邪魔をして――。
何故るいはまず前髪を抑えなかったのか
片桐は『善女のパン』のミス・マーサが貧乏画家と思い込んだ人物のように言葉が暴力的な人物ではなかったが、傷を見たときの一瞬の表情が口ほどにものを言っているようにるいは感じたのであろう。るいはミス・マーサのように勝手に舞い上がっていたことを反省し、片桐と別れてひとりジャズバーに入る。そこでトランペットを吹いていたのが――見知らぬ客への妄想が裏切られる『善女のパン』のミス・マーサとるいを完全に重ねず、微妙にズラしてある。妄想が皮肉めいた結末をもたらす、その苦さだけは同じ。
しかもここでの皮肉が秀逸なのは、るいが恋をしたことで変わりかけることなのだ。風が吹いたとき、るいはまずスカートの裾を抑える。それによって前髪が風に吹かれて傷が露わになった。今までのるいだったら風が吹いたらまず髪を抑えていたのではないだろうか。ところが、片桐にるいが感じた女性としての恥じらいが、これまでまずひた隠しにしていた傷を隠すことを後回しにさせた。それこそが皮肉なのである。
そして、恋をしてこれまでの価値観が変わる成長の印となったのは母・安子(上白石萌音)と同じである。それもまた皮肉である。もしかしたら最大の皮肉。母恋しのあまり母憎しになってしまったるいが、母と同じように誰かを好きになって変わりかかっているのだから。これが作者のこめた100年3代の家族の物語なのではないだろうかとずしりと重いものを感じた瞬間であった。それはつまり人間は恋して(もっと広い目で見ると他者と出会って)成長していくということ。