【その他の写真:モリンガ麺】
アイディアの発案
2023年末、マクタン島内の経済特区にある日系企業が業績不振により閉鎖されることになりました。活動資金調達のため、その企業の社食を運営していた私たちは、余剰人員を抱えることになりました。解雇は正当な理由があるため簡単でしたが、雇用していたのは低学歴で貧困層出身の人々が多く、その後の仕事が見つかるかどうかも不明でした。そこで、雇用を続けるために何ができるかを解雇対象のスタッフと話し合った結果、店のガラクタ置き場になっている場所を改装してラーメン屋台を始めることに決まりました。
準備段階
もともと素人が飲食業に手を出すのは危険だと思っていました。コロナ禍で近所の和食店が閉鎖になり、そこで解雇された人たちに頼まれて小さな食堂を開店した経験もあり、飲食業の難しさは身にしみて感じていました。
そんな時、帰国した際に出席した同窓会で、幼馴染がラーメン店を数店舗展開する経験を持っていることがわかり、藁にもすがる思いで相談しました。彼は親切に数週間にわたり、自分の店の秘伝を惜しげもなく提供してくれました。それをセブに持ち帰り試しましたが、とんこつや鶏ガラの品質や価格が安定せず、なかなかうまくいきませんでした。また、宗教的に豚が食べられない、アレルギーで鶏が食べられない人たちがいることがわかり、彼に相談し、野菜たっぷりの魚介の出汁でスープを作ることに変更しました。麺に関しては、機械ではなく手揉み足踏みで作ってみたところ、その方がうまくいきました。タレも彼の秘伝のレシピを教えてもらいました。
また、かん水を使わずに他の物を使ったところ、偶然にも伸びないラーメンの麺ができました。さらに、普通の麺では競合他社との差別化が図れないと思い、セブウィッシュで石けんを作っていた時に好評だったモリンガと活性炭の麺を作ってみようと思い立ち、試してみたところこれが意外にもスタッフに好評だったので取り入れることにしました。
アイディアを思いついてから4ヶ月、毎日空いている時間を試作に費やしました。また、日本に数回にわたりフィリピン人スタッフを連れて行き、ラーメン屋を巡って食べまくりました。その結果、体重が10キロ近く増えてしまいましたが、得た知識と経験は貴重なものでした。
ラーメンのメニューは基本の塩、しょうゆ、味噌をスタッフに試してもらったところ、塩はあまり好評を得られなかったことと、透明なスープ(清湯)を作ることが難しかったので省き、白く濁ったスープ(白湯)で応用できるしょうゆ、味噌、そして辛いものが好きなフィリピン人の嗜好を取り入れて担々麺。一度スープを切らしてしまった時に担々麺のタレで麺を和えて出してみたところこれが意外に好評だったので、汁なし担々麺を加えた4種類をメニューにすることにしました。
しょうゆダレは前日から昆布やしいたけ、鰹節、煮干し、あご、かつお、貝など数種類の魚介から出汁をとり、濃い口と薄口の醤油をブレンドしたものを基本にしています。味噌ダレや担々麺のタレは様々な調味料やスパイスを加え、じっくり弱火で火を通したもの。いずれのタレもある程度寝かせてから使うと味がまろやかになるので、すでに仕込みを始めています。
サイドメニューとして、餃子、からあげ、手羽先などを予定しています。
日本で日本の材料を使えば味の再現はある程度までできますが、セブで手に入る材料でとなるとなかなかうまくいかず、現在も改善を続けているため、手羽先の提供は少し先になるかもしれません。
次回へ続く
次回は、店舗作りから開店までのエピソードをお届けします。
【編集:Y.K】