そして、本大会に向けてストイックに打ち込んだ反動から、「ちょっとチョコレートやカップラーメンを食べたり」と、気持ちを少しずつほぐしている様子を垣間見せ、その中で「ゲームをしたりゴロゴロしたりも、ちょっとだけできました」と補足。ですが、そこから名前が上がったゲームタイトルは、多くの方の予想を超えるものでした。
まず最初に羽生選手が答えたのは、ニンテンドースイッチで遊べる『あつまれ どうぶつの森』。同じ島に住む住民たちと過ごすスローライフな日々が楽しめるこのゲームは、全世界累計で3,700万本以上を売り上げた大人気作で、国内外で高い人気を博しています。
『あつまれ どうぶつの森』は人を選ばない間口の広さも持ち合わせており、「あの羽生選手も遊んでいるのか」といった小さな驚きこそあれ、こういったエピソードの際に『あつまれ どうぶつの森』の名前が出てくること自体は、あまり珍しくはありません。
ですが、本当の驚きはここから。「割とぼく、殺伐とした(ゲームも)やるんですけど」との前置きもそれなりに衝撃的ですが、最も好きなゲームとして名前を挙げたのが、『平成 新・鬼ヶ島』と『エストポリス伝記II』。この2作品は、羽生選手が「ぼくの原点」として触れた想い入れの深いタイトルで、この質問の締めくくりとして「ぜひ伝えたい」と笑顔を浮かべたほどです。
『平成 新・鬼ヶ島』と『エストポリス伝記II』は、長年ゲームを遊び続けたユーザーであっても知らない人の方が多い作品です。そのため、各作品を知っているゲームファンからも、「まさかあの羽生選手の口から、このタイトルが出るなんて!」と驚きが広がりました。
なぜ、羽生選手がこの2作品の名前を出すだけで、多くの人々が驚いたのか。今回は、その背景に迫りたいと思います。
■羽生選手が語ったのは、20年以上も前のゲームソフト
『あつまれ どうぶつの森』を羽生選手が遊んでいても、そこに大きな驚きまではありません。というのも、『あつまれ どうぶつの森』が発売されたのは昨年の3月。比較的新しい作品ですし、長いスパンで遊ぶユーザーも多いゲームなので、「今、スイッチで遊んでいるゲーム」という点ではむしろ大安定の1本です。
ですが、『平成 新・鬼ヶ島』と『エストポリス伝記II』は、いずれもスーパーファミコン向けのゲーム。スーパーファミコンが発売されたのは1990年なので、若いゲームファンは各タイトルの名前すら聞いたことがなくてもおかしくありません。
まず、『平成 新・鬼ヶ島』の前身にあたる『BS新・鬼ヶ島』が登場したのが1996年。その後、ゲームソフトを書き換えるサービス「ニンテンドウパワー」のラインナップとして、1997年に『平成 新・鬼ヶ島』がリリースされ、1998年にはロムカセット版が発売されました。
羽生選手が生まれたのは1994年12月なので、『平成 新・鬼ヶ島』は彼が小学校に入るより前に登場したゲーム。そんな幼い頃に遊んでいたのか、それとももう少し後になって触れたのかは不明ですが、現在27歳の彼が、約24年前に発売されたゲーム(ロムカセット版の場合)を「原点」と呼んだのは、なかなかの衝撃度と言えるしょう。
しかも、もう1本の『エストポリス伝記II』は、さらに遡る1995年2月に発売されました。羽生選手が生後3ヶ月ほどの時期なので、その歩みはほぼ同期と言ってもいいほど。流石にこのタイミングでプレイできるはずがなく、実際に遊んだのはもっと成長してからかと思われます。
ゲームの進化は日進月歩、常に最新のゲームソフトが席巻しています。仮に、羽生選手が6歳くらいの時期(2000年前後)に同ソフトを遊んだと仮定しても、当時は『ドラゴンクエストVII』や『星のカービィ64』といった大注目タイトルが発売されていた頃です。そうした中で、敢えて『エストポリス伝記II』といった過去の作品に触れたのは、環境のなせる技か、羽生選手のセンスゆえか。いずれにせよ、驚きに値するのは間違いありません。
■誰もが知る有名作ではなく、しかし名作と名高い『平成 新・鬼ヶ島』と『エストポリス伝記II』
その古さだけが驚きのポイントかと思われるかもしれませんが、それはあくまで理由のひとつに過ぎません。『平成 新・鬼ヶ島』と『エストポリス伝記II』は、当時の知名度という点から見ても、なかなか渋いチョイスと言えます。
まず『平成 新・鬼ヶ島』は、タイトル名からも分かる通り、童話「鬼ヶ島」がモチーフです。そこに大胆なアレンジとコミカルな演出を加え、プレイヤーに心地よいひとときを提供したアドベンチャーゲームとして好評を博しました。
ですが当時のゲームは、RPGやアクション、またゲーム機の描画性能が上がったことからレースやスポーツ、『バイオハザード』シリーズを始めとするホラーゲームなどが人気を集めます。一方で、選択肢を選んで物語を進めるアドベンチャーゲームは、人によって遊ぶ・遊ばないがはっきりと分かれるジャンルでした。
そうした事情のため、この『平成 新・鬼ヶ島』は、友達付き合いの中で必ず名前が挙がるという作品ではなく、羽生選手と同世代でも『平成 新・鬼ヶ島』の名前を知らないゲームファンの方が多いでしょう。むしろ世代的には、初代プレイステーションやPS2の方が近いのもその一因です。
一方、『エストポリス伝記II』はRPGなので、人気ジャンルにその名前を連ねていました。とはいえ、RPGと言えば『ドラクエ』や『FF』、そして『ポケモン』など有名すぎるシリーズが根強く、ジャンル自体の人気は高くとも、RPGファンの大半が『エストポリス伝記II』を遊んだ──とまではいきません。
両作品とも、当時のゲーム市場において一大ブームを築き上げるには至りませんでした。が、「有名なゲームと比べると、面白くなかったの?」と訊かれれば、その答えは明らかにNOです。切り口や方向性は全く違いますが、『平成 新・鬼ヶ島』と『エストポリス伝記II』はいずれも、実際に遊んだプレイヤーの満足度が高く、今も名作として語り継がれています。
最盛期を過ぎ、当時盛り上がっていたゲームハードを見守る立場に近かったスーパーファミコンソフトの中で、誰もが知っているような作品ではなく、しかしプレイ済のゲームファンからは「まさかこれを遊んでいたとは!」とそのセンスに一目置く……羽生選手による『平成 新・鬼ヶ島』と『エストポリス伝記II』のチョイスは、そんな驚きに満ちていたのです。
『あつまれ どうぶつの森』のような広く愛される作品を楽しむ一方で、決して有名ではなかったものの輝く魅力を見落とすことなく、「原点」と語るほど大事な作品として心に留め続けている羽生選手。今回のインタビューは、彼の意外な一面を知ることができる貴重な機会にもなりました。