武将ですが、彼が活躍したのは鎌倉時代中期。広く有名、とまでは言えないかもしれませんが、彼はとある歴史上の出来事のなかで大活躍しています。
今回は、そんな菊池武房についてご紹介します!
菊池 武房(きくち たけふさ)
■菊池武房とは、どんな人?
菊池武房(きくち たけふさ)は、鎌倉時代中期に活躍した武将です。菊池氏第9代当主である菊池隆泰の三男として、寛元3年(1245年)に生まれました。
2度の元寇(文永の役・弘安の役)で活躍しました。文永11年(1274年)の文永の役では、弟と共に赤坂まで進んできた元の群を破りました。また、弘安4年(1281年)の弘安の役でも活躍。
しかし、幕府から、彼の功績に対する賞がなかった(または、甲冑一式と小さな土地のみという説もありますが、これは幕府ではなく、朝廷からだったという説もあります)ことから、彼は反幕府に傾いていきました。
その後、弘安8年(1285年)、41歳でこの世を去りました。大正4年(1915年)に従三位を送られますが、彼が生きていた当時は無官でした。
■蒙古襲来絵詞と菊池武房
蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)とは、鎌倉時代後期に作られたとされる絵巻物です。肥後の御家人であった竹崎季長(たけさき/たけざき すえなが)が元寇での自らの戦いを描かせたものと言われています。
蒙古襲来絵詞
竹崎季長は、菊池武房が文永の役で敵の首を2つ、刀に刺して郎党に持たせ、去ろうとしたときに出会ったといわれています。そして、菊池武房の勇敢な姿に感銘を受けた竹崎季長は、戦における証人になってほしいと言い、駆けていったといわれています。
また、弘安の役においても、竹崎季長は、菊池武房に自分の手柄の承認になってほしいと頼んだそうです。
いかがでしたか?今回は、鎌倉時代に元の進軍から日本を守った名将・菊池武房(きくち たけふさ)についてご紹介しました。
幕府からの恩賞も少なく、やや不運な人生だったかもしれませんが、この記事が、みなさんが少しでも彼や彼が活躍した鎌倉時代に興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
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