住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、子ども時代にゲラゲラ笑ったテレビ番組の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、’80年代を振り返ってみましょうーー。
「’68年生まれの私にとって、’80年代は中学、高校、短大を卒業し、芸能界に入るなど、イベント続き。しかもシメの’89年、21歳のときには夫(つまみ枝豆さん)と出会った。人生を方向づけた時代なんです」
こう語るのは、タレントの江口ともみさん(53)。現在、生放送の情報番組でコメンテーターも務める江口さんが、“生(なま)”に魅せられるようになったのは小6のころ、宝塚歌劇団の『ベルサイユのばら』を見たのがきっかけだ。
「お芝居好きの母と現代劇の舞台なども見に行っていたのですが、とくに宝塚は衣装がきらびやかで、オーケストラの生演奏も大迫力。異世界に連れて行ってくれました。“いつかこんな舞台に立ってみたい”と、夢のようなことを思うようになれたのです」
だからこそテレビ番組も当時、公開生放送をしていた『8時だョ!全員集合』(’69~’85年・TBS系)が、もっとも印象に残っているという。
「観客席の子どもたちの笑い声や『志村ー!』っていう掛け声がそのまま放送されるから、臨場感があって、私も会場で見ているような感覚になれました」
’80年代に入ると『オレたちひょうきん族』(’81~’89年・フジテレビ系)がスタート。学校のクラスでは“全員集合派”と“ひょうきん族派”に分かれたが。
「『タケちゃんマン』が気になってチラ見したものの、私はやっぱり“全員集合派”。芸能界に入ってからは、(ビート)たけしさんの番組に出演させていただくなど、『ひょうきん族』の人たちのお世話になる仕事が多いのですが、大人の笑いというか、シュールなところがあるから、当時、まだ子どもだった私には理解できなかったのかもしれません」
■コンプラも覆す台湾のドリフ人気
タライが落ちるなど“ベタな笑い”の『全員集合』のほうが、何も考えずにゲラゲラ笑えた。
「すいかをバーッと勢いよく食べるコントにあこがれて、『どうしてもやりたい!』って母に頼んだことがあるんです。
“プロの高い技術”が感じられる『ヒゲダンス』も大好きなコーナーだったと江口さん。たけし軍団に入る前のつまみ枝豆さんも大きな影響を受けていたと言う。
「夫はガダルカナル・タカさんとカージナルスというコンビを組んでいて、あるとき台湾へ営業に行くことになったそうなんです」
現地のプロモーターから「ニッポンで流行っているヒゲダンスはできるのか?」と聞かれた2人は、一生懸命練習して、いざ台湾へ。
「すると、『ドリフターズ、現る!』みたいな扱いになってしまって。『ボクたちはドリフじゃない』と否定したそうですが、プロモーターに『いいから、いいから』と説得されて、けっきょく“ニセドリフ”として、台北、台中、台南と台湾全土を回ったそうです。コンプライアンス的にありえない話ですが、驚くほどの人気だったって言ってましたよ(笑)」