「’68年生まれの私にとって、’80年代は中学、高校、短大を卒業し、芸能界に入るなど、イベント続き。しかもシメの’89年、21歳のときには夫(つまみ枝豆さん)と出会った。

人生を方向づけた時代なんです」

そう語るのは、タレントの江口ともみさん(53)。現在、生放送の情報番組でコメンテーターも務める江口さんが、“生(なま)”に魅せられるようになったのは小6のころ、宝塚歌劇団の『ベルサイユのばら』を見たのがきっかけだ。

「お芝居好きの母と現代劇の舞台なども見に行っていたのですが、とくに宝塚は衣装がきらびやかで、オーケストラの生演奏も大迫力。異世界に連れて行ってくれました。“いつかこんな舞台に立ってみたい”と、夢のようなことを思うようになれたのです」

だからこそテレビ番組も当時、公開生放送をしていた『8時だョ!全員集合』(’69~’85年・TBS系)が、もっとも印象に残っているという。

「観客席の子どもたちの笑い声や『志村ー!』っていう掛け声がそのまま放送されるから、臨場感があって、私も会場で見ているような感覚になれました」

宝塚とドリフによって舞台の魅力に心を奪われた江口さんは中学・高校時代、英語演劇部に所属。中3のときには、渋谷109の前でスカウトマンに声をかけられ、雑誌にも載った。

「厳しい学校だったので、バレて始末書を書かされました。母も芸能界なんてとんでもないと大反対。でも父は、親族に日本で初めてタップダンサーとしてブロードウェイ・ミュージカルに出演した中川三郎さんがいたこともあり、芸能界に興味を持っていて、篠山紀信さんが撮影する『週刊朝日』の表紙『女子大生シリーズ』に、私の写真を勝手に応募したこともありました。合格したんですが、このときも母の反対であきらめたんです」

■有名商社から内定をもらったが…

こうした経緯もあり、短大卒業時は現実路線の就職活動で、有名商社から内定を。

「バブル絶頂期で、一流企業に就職して、そこの会社員と婚すれば安泰と言われていた時代。

だから内定をもらったとき、先輩から『エグ、飲み会セッティングしてね』と言われたりしました」

内定先は誰もがうらやむ企業だったが“本当に自分の人生はそれでいいのか”と悩んだという。

「そんなとき、以前スカウトしてきた人から『芸能界を知らずにあきらめるより、知ってあきらめたほうがいい』と言われ、一度だけのつもりで朝ドラのオーディションを受けたんです」

結果は残念なものだったが、それでも会場で出会った、真剣なまなざしでオーディションに臨む参加者たちは輝いて見えた。

「個で勝負するのは恐怖でしたが、やっぱり芸能界は魅力的で……」

悩んだ末、勇気を出して、内定先の人事担当者に告白した。

「“内定を断ったら、お茶をかけられた”なんて話を聞いていたからビクビクだったんですが、逆に『江口さんのやりたいことをやってください』と背中を押してくれたんです。母からは後でコテンパンに言われましたが(笑)」

こうしてグラビアアイドルとして下積み時代をスタートさせた。

「15~16歳の若いコに交じって、短大まで出ている自分がサバを読み、セーラー服を着るのには、すごく抵抗がありました」

しかし’89年、テレビ番組で共演したつまみ枝豆さんとの交際が始まり、’96年に結婚。

「その縁でオフィス北野(現TAP)に所属することもでき、仕事の場を広げることができました。サバを読むこともやめ、めでたく“元の年齢”に戻ることができたんです(笑)」

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