今年2月、病院を受診したのに自宅療養とされ、コロナで命を落とした2人。厚労省の作成したずさんな指針が、か弱い生命を脅かしている――。

「肺炎かも、と診断されたときに入院させてもらえていたら、娘は死なずに済んだかもしれない」

言葉を詰まらせながらそう話すのは、京都府在住の川谷茂樹さん(仮名・39)。妻と2歳・1歳・生後11カ月の彩香ちゃん(仮名)の5人家族だったが、今年2月26日、彩香ちゃんをコロナ感染で亡くした。

その1週間前の19日、臨月だった妻が出産前に受けたPCR検査で陽性と判明。その後、家族全員に感染がひろがった。

「みんな無症状でしたが、彩香だけ21日の夜に38.8度の熱が出て。翌朝は下がったので、それを保健所に伝えたら『自宅療養でいいですね』と言われて。

でも、私ひとりで3人の子を見ていたので、彩香だけでも妻と同じ病院に入院させてほしいと思っていたんです」

しかし、「無症状でも入院できますか」と尋ねた川谷さんへの返答は「無理ですね」のひと言だった。

「23日の夜になって、彩香がコンコンと咳をし始めたんです。翌朝になるとゼーゼーと苦しそうで」

川谷さんは、慌てて保健所に連絡し「受診できる病院を探してほしい」と依頼。ところが保健所からは、「今日受診できるところがありません」という返事が……。

「私は驚いて、『どこかないですか?』と食い下がったんですが『無理ですね』と。それで、仕方なく1日待ったんです」

翌25日、川谷さんは彩香ちゃんを連れて、紹介された舞鶴赤十字病院を受診。

しかし、「ここでの診察が不十分だった」と川谷さんは後悔をにじませる。

「聴診器をちょっと胸にあてて、喉を見ただけで1分もせずに終わったんです。『肺炎の疑いがあるけど、ゼーゼーは鼻が詰まっているだけ』と。コロナだから早く帰ってほしいのかなと感じたくらいです」

帰宅後、保健所から届いたパルスオキシメーターで測定するも、乳児の小さな指では正確な数値が測れない。処方された薬を飲ませても呼吸の改善は見られず、翌日、彩香ちゃんの容体が急変した。

「朝食後、彩香の顔色が急に悪くなって。

急いで再度、舞鶴赤十字病院に駆け込みました。でも、『今日は診られません』と断られて」

その後、受け入れ可能な病院が見つかったが、到着したとき、すでに彩香ちゃんの息は途絶えていた。

入院中だった妻が到着するまでの約4時間、医師は蘇生措置をしてくれたが、彩香ちゃんが息を吹き返すことはなかったという。

「彩香は、よく食べて、よく寝る、いい子でした。音楽に合わせて手をたたくくらい成長していたんです」

後日、京都新聞に掲載された府のコメントに川谷さんは愕然とした。「保護者が自宅療養を希望した」「府の対応に問題はなかった」と、書かれていたからだ。

「自宅療養を希望したわけではありません。保健所は、私たち家族を“最優先”で対応したと言いますが、それならなぜ肺炎疑いの乳児を入院させてくれなかったのか。二度と、彩香のような犠牲者を出さないために検証してほしい」

本誌の取材に対し、舞鶴赤十字病院は、「ご遺族にはお悔やみを申し上げる」としたうえで「医師は適切に診断したと考えている」と回答。京都府は、「お子様の感染時の課題について精査中で、改善が必要な課題が見つかり次第、解決策を検討する」と回答を寄せた。

■検査結果だけ伝えられ診察は一切ナシ

静岡市在住で重度知的障がいのある藤澤大眺(だいち)さん(24)は、2月12日にコロナを発症。診察や治療を受けられず、4日後の16日に死亡した。

彼の名前からとった「生活介護だいち」という、障がい者の通所事業所を営む弟の雄偉(ゆうい)さん(23)は、こう振り返る。

「兄は『アーアー、ウーウー』などという表現でしか気持ちを伝えられませんが、いつもニコニコして穏やかなんです。でも、その日は様子がおかしい。触れると熱いので体温を測ったら40.4度もあって」

雄偉さんは救急車を要請し、市立静岡病院に搬送された。PCR検査を受け「30分ほどで結果が出る」と言われ2人で陰圧室で待ったが、1時間たっても誰も来ない。

「兄は持参した水を飲み干していたのに、水ももらえなくて。

不安から自分の腕をかんだりする自傷行為をし始めていたんです」

雄偉さんは「誰か来て!」と2時間ドアをたたき続け、助けを求めた。医師や看護師と目が合ったが、みんな通り過ぎていった。ようやく医師が「陽性」と告げに来たが、診察は一切ナシ。「パルスオキシメーターの値が正常」だからと、解熱剤だけ渡され、帰宅を促された。

「パルスオキシメーターは、兄が1秒もたたずに外してしまったから測れていないはず」

後日、病院に数値を確認すると、「94%かな、95%かな」と曖昧な回答が返ってきたという。

■ずさん対応の元凶は厚労省のガイドライン

「だーだん(大眺さんの愛称)、早くよくなるといいね――」

自宅に戻って数日間、雄偉さんは、そんな声かけをしながら大眺さんのそばで看病を続けた。

「解熱剤を飲んでも39度前後の熱が続いていました。痰が絡んだような咳をして、喉も痛そうで……」

容態が急変したのは、発症から4日後の2月16日。

「朝食後、横になっている兄の顔を見ていたら急に青ざめていったんです。抱きかかえて、『だーだん!』と呼んでも反応がなくて」

その後、救急車で再び搬送された静岡病院で死亡が確認された。

「障がい者が重症化しやすいことは、海外では当たり前のこと。最初に救急搬送されたとき、適切な診察と治療を受けられていたら、兄は助かったかもしれません」

静岡病院にこの対応について問い合わせると「個別の事案にはお答えできない」と回答。静岡市は、「病院が適切に対処するはず」の一点張りだった。

3月30日には、都内でも10歳未満の男児がコロナで死亡。いまだ状況は改善されていないようだ。

『倉持仁の「コロナ戦記」』(泉町書房)の著書があるインターパーク倉持呼吸器内科院長の倉持仁さんは、医療放棄の原因を指摘する。

「いちばんの問題は、厚労省が酸素飽和度の値や基礎疾患の有無だけで、入院の可否を決めるようなガイドラインを作っていること。現場がそれに甘んじていることも問題です。コロナ診療においても、誰もが医療にアクセスでき、医師が患者を診て総合的に判断する本来の医療体制を構築しなければ、感染が拡大している子どもや弱者に、さらなる犠牲が出てしまう」

これ以上犠牲者を増やさないために、早急な検証が望まれる。