「昔は、テレビも世の中全体も、もう少し寛容でした。女遊びは芸のうち、と。

現代には全く当てはまらない。いろんな問題を笑いで済ませるというのは難しくなったと思います」(芸能レポーター・平野早苗さん)

最近、昭和のおやじが令和を生きるドラマ『不適切にもほどがある!』が話題だ。コンプラ意識の低かった昭和が描かれ、放送ごとに議論が起こっている。

あのころ、特に芸能界には、今ではアウトな逸話が盛りだくさんだった。そこで、実話だけを集めた昭和芸能界の“不適切”(秘)番付を本誌が作成!(以下敬称略)

ドラマに登場する“ムッチ先輩”の憧れ、“マッチ”こと近藤真彦(59)は、前頭級の問題発言を。

「番組のリハーサルで、美空ひばりさんの歌声を聞いたマッチは一言、『おばさん、歌うまいね』。周囲の顔が真っ青になりました。のちに本人が、“誰が歌っているか知らずに言った”と報道陣に弁解していました。ひばりさんから呼び出されたが、むしろ楽しんでくれたそう」(スポーツ紙記者)

同じく一言で周囲を騒がせたのが三船敏郎(享年77)。ある番組で、梅沢富美男(73)がクラブでの出来事を明かした。

「バニーガールさんがいらっしゃって。いきなり三船先生が“う~ん、寝てみたい”って言ったんですよ。

みんな凍っちゃった」

“エースのジョー”こと宍戸錠(享年86)は、記者会見で暴露。

「女を抱いた数は世界で3番目、と豪語したのです。経験人数は1千331人だとか」(前出・スポーツ紙記者)

『仁義なき戦い』で彼と共演した松方弘樹(享年74)には、豪遊伝説が。ビートたけし(77)があるインタビューで語った。

「京都のステーキ屋に5人で食いに行って、その勘定が2千万円だぜ。それを松方さんがぽーんとひとりで払っちゃうんだからね。カードなんかじゃない、現金だぜ」

山城新伍は梅宮と“チョメチョメ”仲間

ここからは関脇級。まずは山城新伍(享年70)。盟友・梅宮辰夫(享年81)が著書『不良役者』に記したのは、もちろん“チョメチョメ”な話。

ある新人女優に芸名を付けたという梅宮。お礼に《1回だけ、ヤラせろよ》と迫り、《据え膳をしっかり食べさせていただいた》。

すると淋病に感染。

撮影中止になるほどじんましんが出た彼のもとに、山城が来たという。

《俺も辰ちゃんと同じ病気かもしれない。辰ちゃんが抱いたという話を耳にしたから、俺にもヤラせろって……》

なんと山城も同じ女優からうつったというのだ。ちなみに、口説き文句はこんな屁理屈だったそう。

「君の芸名はぼくと辰ちゃんが2人で考えたものなんだ。だから、ぼくも君と寝る権利がある」

小泉今日子(58)も散々な目に遭った。武道館で開催された「新宿音楽祭」で、客席から投げられた生卵が小泉の頭にヒット。あ然とする彼女に中森明菜(58)が駆け寄り、介抱した。

小泉は、本木雅弘(58)との対談で真相を明かしている。嫌がらせかと思いきや、実際は小泉ファンの仕業。真横のシブがき隊に嫉妬して投げた分の流れ弾だったらしい。

《なんで私が自分のファンに生卵を当てられなきゃならないんだよ、ふざけんな!って思った(笑)》(『波』’21年12月号)

勝新太郎(享年65)は大関級。

「パンツははかない」事件のほかにも、元付き人・アンディ松本さんが、こんな思い出を告白。

《オヤジ(勝)は水を運んできたボーイさんにも『ありがとうな』と言って、必ず1万円のチップを渡していたんです。ポケットにはいつも100万円ほどを無造作に入れていましたが、3~4日くらいでなくなっていました》(『週刊現代』’19年2月9日号)

チップには、実は深い意味が。

《オヤジはこう言うんです。『俺はいろんなところで、一生懸命生きている人たちを見学させてもらっている。チップは生の演技への授業料なんだよ』って》

格好よさなら、石原裕次郎(享年52)の武勇伝も負けていない。昨年、彼を慕う小林旭(85)が、飲酒運転を大胆に白状。

《ある日の夜中、銀座で2人で飲んでいた時のこと。互いに次の日が休みだと分かると、裕次郎が『いまから京都に行くか』と切り出すんだ。それぞれ自分の車に乗って、東海道をダーッと走ったよ。もう時効だから言ってしまうけど、ボトルの2本や3本は空けた後だった。

一睡もしないで走り続け、やっとのことで京都に着いたのが朝6時過ぎ。

先斗町にある行きつけの店に行ったはいいが、玄関の柱に車をぶつけてしまった(笑)》(『文藝春秋』’23年6月号)

“ショーケン”こと萩原健一(享年68)も破天荒だった。なんと自伝『ショーケン』で、暴力団拉致騒動を飄々と明かしている。

《ヤーさんたちに取り囲まれてさ。『坊や坊や、こっちに来な』沢田研二堺正章布施明と一緒に無理やり黒塗りのクルマに押し込まれてねえ。クラブに連れ込まれたと思ったら、いきなり、『歌え!』》

黙る人、泣きそうな人、歌おうとする人のなか、きっぱり断ったのが沢田研二(75)だったそう。

《ヤクザに、面と向かってこう言った。『歌えないよ』偉い。こいつ、度胸あるなあ、と思った》

そして、最も“不適切”な横綱は、『ザ・ベストテン』の名司会、久米宏(79)。

「それまでの歌番組と違うことをしなければ、と必死だった」という久米は、台本にない言動で出演者の素顔を引き出していた。ただ、行きすぎたこともありーー。

《今では考えられないようなおふざけもした。百恵さんの胸元をわざと覗き込み、お尻をむんずとつかんだ。

セクハラという言葉がまだ広まっていない時代。誰も百恵さんのお尻を触ったことがない。ならば僕がそのさきがけとならん。さっと触ってキャッと声を上げるだけなら、いかにも予定調和だ。僕は百恵さんのキャッではなく、ギャッがほしかった》(自叙伝『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』より)

昭和スターたちよ、告白するにもほどがある!

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