【前編】《実名証言集》佐々木朗希 ロッテ時代のトレーニングコーチに明かしていた「メジャーで一番のピッチャーになりたい」夢から続く
東日本を襲った大震災「3.11」から15年がたった。あの日、祖父母と父を同時に失った小学3年生は今年、ロサンゼルス・ドジャースで2年目を迎えた。
今季、オープン戦は絶不調。初戦は「正直僕がいちばん不安だったと思う」と言いながら5回途中1失点でまとめた。天国の父、そして育ててくれた母のため「世界一の投手」を目指す。
「世界一の投手」という希望に燃える佐々木朗希(24)は骨端線の消えたロッテ2年目の夏場からウエートトレーニングも開始した。ロッテで捕手としてボールを受けた吉田裕太さん(34)はトレーニング場での光景を鮮明に覚えている。
「朝早くから来て、黙々と励んでいました。(当時40歳の)鳥谷敬さんによく話を聞いていましたよ。20歳以上離れていると、普通は後輩からは行きづらい。高卒2年目で、すごいなと思いました」
類いまれな潜在能力に向上心が重なれば、鬼に金棒になる。3年目の’22年、朗希は4月10日のオリックス戦で完全試合を達成。プロ野球で28年ぶりの快挙だった。
「あの日は、6回くらいから疲れがたまっているように感じ、7回で降板させようと考えました。朗希は『8回は行きます。でも、9回は無理です』と。普通なら投げたいと言ってしまいそうですが、自己管理のできる選手だなと感心しましたね。その後、疲労から戦線離脱もしましたし、あれ以上投げなくてよかったと思います」
プロで結果を残した年末、朗希は大船渡高校の同級生に声を掛け、仙台市内のドーム型施設を貸し切って白球を追いかけた。大船渡高校で同級生だったオープンハウス・ディベロップメントに勤める柴田貴広さん(25)が振り返る。
「めちゃめちゃ楽しかったです。仙台駅に集合し、野球をした後はキャプテンの家に行ってゲームをして、朝まで飲みました。プロ野球選手になっても、朗希は高校時代と全く変わっていなかった。身につけているものは高級になっていましたけどね(笑)。
■「常にケガと隣り合わせで、いつ壊れるかわからない不安があると思います」
’24年オフ、朗希はポスティングシステムを利用し、ドジャースに入団。大谷翔平や山本由伸はタイトルを獲得し、チームを優勝させた後、メジャーに挑戦していた。朗希はロッテでの5年間、一度も規定投球回数に届かず、期待ほどの成績を挙げられなかった。そのため、評論家やファンから批判が噴出した。トレーニングコーチの菊地大祐さん(46)はこう考える。
「出力の高い朗希は常にケガと隣り合わせで、いつ壊れるかわからない不安を抱いていると思います。周りは『3年後でも大丈夫』と楽観視しても、その間にケガをしてメジャーに行けなくなるかもしれない。そんな懸念があったのでは」
広島、ヤクルト、ロッテで21年にわたって、数百人の選手の体を見てきた菊地さんは朗希の特異性をよく知っている。
「彼と同じく160キロを投げていた由規(元ヤクルト)も『目いっぱい投げると、体が壊れるかもしれない』と言っていました。あのくらい速い球を投げると、ケガのリスクはかなり高くなるんです」
由規は20歳の3年目、当時日本人最速の球速161キロをマークし、12勝を挙げた。このまま球界のエースに成長するかと思われたが、2年後に肩を痛め、通算32勝で現役を終えた。朗希がケガをしない保証は、どこにもない。
「いつ、何が起こるかわからない。当たり前の日常は続かない。彼はそういう経験をしているから、第三者が『3年後でいいだろう』と気軽には言えないんです」
朗希の心境や体の状態は、本人にしかわからない。だが、他人はそれを考慮せず、自分の経験や過去の慣習から物事を判断し、好き勝手な意見を述べてしまう。朗希自身はこう語っている。
《マリーンズファンの中には、僕のことをよく思わない人がいても当然だと思います。もっと長くマリーンズで活躍してからメジャーに行ってほしいというファンの方の思いを否定することはありません。ただ、今まで応援してくださった方々には本当に感謝していますし、今後メジャーで結果を出すことで答えるしかないと思っています》(前出『週刊文春』より)
■「一人では生きていけないと実感しているから感謝を欠かさない」
ドジャース入団直後の昨年2月21日には、自身のインスタグラムで一般女性との入籍を報告した。
「どんな人か知らないのですが、早いうちにすると思っていました。『結婚おめでとう。末永くお幸せに』とLINEを送ると、『ありがとう』と返ってきました。
メジャー1年目は故障もあって1勝にとどまったが、ポストシーズンでは9試合に登板して防御率0.84と大活躍し、「守護神」としてドジャースの世界一に貢献。その興奮冷めやらぬ昨年12月、朗希は能登半島で復興支援の野球教室を開催した。柴田さんが話す。
「朗希は家も小学校も津波で流されて大事なものも全部なくなってしまった。それでも、母をはじめとした大人の尽力や寄付のおかげで野球を楽しめた。僕もそうですけど、もしあのころ野球をできなかったら、精神的にもっとつらかったと思います。その経験があるから恩返しの意味を込めて、能登で野球教室をしたのだと思います」
一家と親交の深い元陸前高田市長の戸羽太さん(61)も、朗希の心には常に幼少期の体験があると考える。
「あの世代の東北の子どもは多感な時期に被災して、街が崩壊し、家族構成も大きく変わった。仮設住宅での生活を余儀なくされ、親の苦労も間近で見ている。だから、普通の子どもとは根本的な考え方が全然違うと思います。朗希くんも人は一人では生きていけないと実感している。だから母親や周りへの感謝を欠かさない。
菊地さんも朗希の地元愛を実感していた。
「大船渡での二軍の試合に帯同したとき、『すごくいいところでしょ?』とわざわざ電話をくれたんです。『あの辺りに行けば、おいしい店がたくさんありますよ』と教えてくれました」
今季、朗希は勝負の2年目を迎えている。オープン戦は防御率15点台と絶不調だったが、井口さんは期待をかける。
「状態が悪い分、課題が見つかり、自分のすべきことが明確になったと思います。朗希はいずれ(年間最優秀投手に贈られる)サイ・ヤング賞を取れる素質を持っていますし、常に目標を忘れず自分を律している。修正してくれるはずです」
予期せぬ震災、地方大会決勝での不登板やメジャー挑戦時のバッシング……佐々木朗希の人生は苦難とともにあった。だが、栄光の前に険しい道はつきものである。「今を全力投球」して、自分のために、岩手のために、そして家族のために─世界一の投手になるまで、朗希は希望を胸に腕を振り続ける。
(取材:長冨俊和、岡野誠/文:岡野誠)
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