橋田壽賀子脚本の人気長寿ドラマシリーズ『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)で10歳から12年間、“加津ちゃん”こと野々下加津役を演じていた宇野なおみさん(36歳)。かつて“天才子役”と呼ばれた宇野さんは現在、フリーライター、エッセイストとして活動中です。


 そんな宇野さんが30代女性として等身大の思い、ちょっとズッコケな日常をお届けするエッセイ連載。今回は自身の初舞台について綴ります(以下、宇野さんによる寄稿)。

新1年生を見かけて懐かしい思いに

「森光子さんの楽屋に遊びに…」30年前の自分に絶句。元“天才...の画像はこちら >>
 眩しくて、大人が盛大に嘘をつく舞台の上。

 暗くて、ちょっとほこりっぽくて、木の匂いがする舞台袖。

 どちらも大好きな場所でした。

 先日、ランドセルが歩いてるような、小さい1年生を見かけました。親御さんの心配はいかばかりか、と謎の感情移入をしてしまったアラフォー、宇野なおみです。皆様、ご機嫌よう。春ですねえ。

 私が初めて舞台に立ったのが小学1年生だったので、黄色いカバーがかかった小学生を見て、何やら懐かしくなり、今回はそのお話を。

 ちなみに渡鬼に出始めた当初は4年生。130センチ位しかなかったので、そのころまではランドセルを背負っていると小1に間違えられておりました。かなしい。


初舞台はオーチャードホールのオペラ公演

「森光子さんの楽屋に遊びに…」30年前の自分に絶句。元“天才子役”が明かす初舞台の裏側
児童劇団のアルバム。115せんち!
 児童劇団に6歳で入ったと話すと、「親御さんが入れたの?」とよく聞かれます。私も姉も、自分からやりたいと言い出しました。今思うと劇団ってお金かかるので、姉妹で通わせてもらってありがたかったです。

 初舞台は忘れもしない、小学校に入りたての5月18日。オペラ『マダム・バタフライ』蝶々夫人の息子役を演じました。なお、初舞台がオーチャードホール。我ながら意味不明です。

 1年生の時の学芸会は秋だったと記憶しているので、体育館の舞台に立つより、オーチャードホールや芸術座(有楽町、現シアタークリエ)に立つほうが早かったです。もう一度言いますけど、意味不明ですわね。

 オペラを歌ったわけではなく、セリフは「ママー!」の一言だけ。主役の蝶々さんが抱っこするシーンがあったので、女子じゃないと重すぎるとのこと。私含めて、劇団から二人の女子が参加しました。当時、きわめて小柄だったこと、セーラームーンの水野亜美ちゃんに憧れたショートカットだったのが幸いしたのでしょう。


 セリフがなくても、意外と舞台にいる役でした。お稽古に参加するうち、有名な『ある晴れた日に』のメロディと歌詞を覚えて歌い出したので、母はびっくりしたそうです。

6歳、初舞台、幕切れを担当する

 舞台は二階建てのセットが組まれていて、二階には角度がついていました。ラストは蝶々さんが二階の舞台最奥で自害するシーンです。

 この時一階にいた息子役の私は、船の中に隠されていた血のりを手にべったりつけてから、舞台端の階段を上がる段取りでした。

 そして、騒ぎを聞きつけ一階の舞台に出てきたピンカートン大佐(蝶々さんを現地妻にしたアメリカ人大佐)と“本妻”に向かって、正面切って手のひらをゆっくり開いて見せつける。つまり、高くなった舞台のど真ん中で、客席に向かって手を広げるわけです。

 なんと、そこで幕が下りてくる。いわゆる「幕切れ」を担当していたのでした。

 ……どうやってこの手順を覚えて、きっちりやりこなしていたのか、今となってはまったくわかりません。ちゃんと「ママが死んじゃったよ、どうするの?」と思いながら手のひらを見せていました。お芝居していたんですよね~。

 初舞台の6ちゃいでこんなことしてたの? 何? 天才じゃない? 他人事すぎますが、もう30年前の話ですからね。


 いくつかの記憶は未だに鮮明です。舞台からまっすぐ客席を見た時、ライトがいっぱいこっちを向いていて、三階までの客席が見えたことも覚えています。映画『国宝』見た方は、舞台から見た客席とライトのカット、わかりますか? まさにあんな感じです。

 一連の段取りは舞台上でやるので、当然母やスタッフさんもついていなかったわけで……本当にどうやっていたのかしらん。

森光子さんの楽屋に遊びに行く!? 後々謝って回る、天衣無縫子役の誕生

「森光子さんの楽屋に遊びに…」30年前の自分に絶句。元“天才子役”が明かす初舞台の裏側
芸術座に公演期間中飾られていたパネルの写真
 そして、同年9月には芸術座『放浪記』に出演。今では考えられない、9月から12月までのロングラン公演で、子役が4人、クアトロキャストで出演しておりました。

 姉妹で合格し、同じ役をやっていたので、母はなんと4か月間、芸術座に詰めっぱなし! 苦労をかけました。

 しかし、小学1年生なんて人間というより、赤ちゃんポメラニアンみたいなもんです。よくもまぁ3時間の舞台ですとか、外国語のオペラなんかを耐えてじっとしていられたもんだなぁと思います。

 ひとえに姉への負けん気、母のサポートのおかげです。父は? と思いますが、先日実家に帰った際に、当時の勤務先・ラジオたんぱ(現ラジオNikkei)から日比谷に移動して、出来る限り舞台を見てくれていたことが判明。初めて知りました。

 何より、演者さん、スタッフの皆さんの優しさのおかげだったと思います。


多めに大目に見てもらった日々

 今でも思い出して「ギャ――ッ!」となるのが、森光子さんの楽屋にしょっちゅう、お邪魔していたという……。今の私がそんな子役見かけたら首根っこつかんで楽屋に戻して、親の管理責任を問うと思います。

 ああ、なんという怖いもの知らずの伸びやかさ。天衣無縫も良いところでした。本当にすみません。わたくし、後に共演した方々に、大人になってから謝って回る羽目になるのですが、当時そんなこと知る由もない。

 大女優・森光子さんは、海よりも広いお心でお許しくださり、スタッフさん達もガキンチョ丸出しの私を温かく見守ってくださり、本当に感謝でいっぱいです。

 当時の私が皆様の支えにより何とかできていた事は疑いようもありません。と言っても今もまったくもって変わっておらず、情けない限りです。

あの頃の経験と、大人になった今と

「森光子さんの楽屋に遊びに…」30年前の自分に絶句。元“天才子役”が明かす初舞台の裏側
近影。友人のお土産がおいしかった時の私です
 のびのび自由に過ごさせていただいていたことは大前提として、自分なりに、一生懸命頑張っていたとも思います。空回りながら気を遣っていたし、何より、お芝居が大好きだった。

 芸術座という、今は亡き歴史ある舞台に立てたこと、歴史に残る名優の皆さんとご一緒できたこと、非常に幸運な仕事の始まりだったと思います。

 林芙美子の名前を小学校1年生で知れたこともラッキーでした。
当時林芙美子の真似っこをして、俳句だか川柳だかを作って、劇団の先生に披露したことがあります……。以降、20年ほどいじられることになります。クリエイティビティ溢れていた子だこと。

 オペラの時も、イタリアから来日していた演出家さんに、「ワットアニマルドゥーユーライク?」と電車で聞いていたらしく……。屈託のなさがとんでもない。

 英語に対する恐怖心のなさや海外への親しみはこの時に培われたような気がします。

 私ってなんでも糧にしながら生きていくタイプなのですが、このころから変わっていないですね。もうちょっと成長したい、アラフォー。

 久しぶりに思い出しましたけれども、重ね重ね、稽古から本番までついていてくれた、今の私とほぼ同じ年の母、家族、友人や皆様のあたたかな眼差しに感謝です。

 よくやっていたなあ……さぁて、生まれ変わってまたやれるかと聞かれたら……多分、無理です★

<文/宇野なおみ>

【宇野なおみ】
ライター・エッセイスト。TOEIC930点を活かして通訳・翻訳も手掛ける。元子役で、『渡る世間は鬼ばかり』『ホーホケキョ となりの山田くん』などに出演。
趣味は漫画含む読書、茶道と歌舞伎鑑賞。よく書き、よく喋る。YouTube「なおみのーと」/Instagram(naomi_1826)/X(@Naomi_Uno)をゆるゆる運営中
編集部おすすめ