「えー! あははは。へえ~」。
日曜の午前中に響く明るい声。放送開始から20年を超える人気ラジオ番組『安住紳一郎の日曜天国』で、安住さんの“魔球”を受け止め、リスナーと共に頷き、笑うアシスタントの中澤有美子さん(50歳)の存在は、番組人気の大きな理由の一つです。

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 そんな中澤さんが自身の半生を振り返り、“聞く力”を伝授する書籍『口下手で、大丈夫~2.4秒に1回頷く、最強傾聴力~』を出版しました。「口下手“で”大丈夫」という彼女を形成した道のりや、「いる意味があるのか悩んだ」という知られざる葛藤について伺いました。

準備不足から始まった、アナウンサーへの道

――中澤さんがアナウンサーを目指したきっかけは、身近な人の存在だったそうですね。

中澤有美子さん(以下、中澤):高校の同級生が短大を卒業してアナウンサーになったんです。それを聞いて、純粋に「いいな」と感じている自分に気づきました。遠い存在だと思っていたアナウンサーという職業への、心の奥底にあった気持ちが表に出てきた感じでした。

――当時は就職氷河期が始まった頃です。さらに、中澤さんはアナウンサー試験に踏み出すタイミングも少し遅かったとか。

中澤:かなり遅かったです(笑)。マスコミ講座に通い始めたら、周りの皆さんはもうものすごく鍛えられていて。自分は全然ダメだという自覚がありました。
キー局にも応募しましたが、まったく受かる気がしませんでした。準備不足もいいところでしたね(苦笑)。

――その後、試験の開始が遅かった地方局を受け、結果的に長野県のテレビ信州に入社されました。振り返ると、地方局だったからこその経験もできたと感じますか。

中澤:はい。「何でもする」のが基本で、隙あらば取材をし、原稿も書きたいと思っていましたし、カメラの後ろでアシスタントを務めたりもしました。実際に撮った映像を覗かせてもらいながら「そうか」と覚えていく感じ。

 東京の局に入っていたら、なかなかやらせてもらえなかったと思います。地方局で1年目を過ごしたからこそ得られた経験でした。

「言い訳をしない。そうしていけば……」今も胸に置く恩師からの言葉

――本書にも「放送の神様」の章で登場しますが、テレビ信州への内定後、日本テレビアナウンス学院での研修で、山本園子先生から学んだことが今も指針になっているそうですね。

中澤:本当にありがたかったです。
山本先生は「自分の落ち度でないことを自分のせいにされることもある。でも、ぐっとこらえて言い訳をせず、工夫を重ねる、そういった態度を積み重ねれば、味方になってくれる人が必ず現れ、ふさわしい場所に引っ張り上げてくれる。それが“放送の神様に微笑んでもらう”ということ」とおっしゃっていました。

 大学生だった私は「…そういうこともあるんだ」と聞いていましたが、後になって何度も響いた言葉です。

――プライベートに向けた助言も印象的でした。時代的に意外な言葉だったのでは。

中澤:「結婚や子どもを持つチャンスがあったら逃さないで」と仰っていました。「でも子どもはね、ママの仕事が大変な時ほど熱を出してしまうのよ」とも(苦笑)。ともすれば「とにかく仕事を頑張りましょう」という建前がもてはやされていたような頃でしたから、研修でそんな話をしてくれる先生は貴重でした。

 山本先生ご自身がいろいろな思いをなさったのだろうなと。飾らない、心からの思いを伝えてくださっているのは当時から感じていたので、胸に刻まれました。

フリーとしてキー局へ。
順調なスタートにも「毎日がオーディション」

「いる意味があるのか…」悩んだアナウンサーが、“最強の傾聴力”で安住紳一郎の魔球を受け続ける存在になるまで
中澤アナ①
――その後、BSデジタル放送開始を機に新番組キャスターのオファーを受けてフリーとなり、報道番組『ニュースの森』などに携わりました。

中澤:以前は、自分で現場に足を運んだり撮影に携わった映像も届けていたけれど、キー局では本当にたくさんの人の手を経て出来上がった情報や映像がアナウンサーのもとに来ます。スタッフのお顔も全部はわからない。なおさら失敗できないという緊張感がありました。朝と夕方の番組を担当していたので、本当に忙しい時期でした。とにかく懸命にやるしかなかったですね。

――フリーならではのプレッシャーもありましたか?

中澤:局のアナウンサーさんたちは “身内”ですが、私は違います。当時、局アナの方にこう言われた記憶があります。「上司が、“中澤さんは出勤の時からいつもちゃんとした格好で、ヒールを履いてお化粧もしてきている”って」「私はリラックスしすぎてるから見習うようにって、言われちゃった」と。

 その方はホームなのでそれでいいんです。でも私が同じように局入りするわけには…。少なくともまずは空気を少し明るく華やかにしたり、何かしらの存在意義を示さなければいけない気がして。
フリーにとっては日々がオーディション。そんな気持ちは、長い間持ち続けてきたように思います。

安住さんとの20年——笑い声という自分の武器

――長年愛され続ける『日曜天国』ですが、中澤さんの笑い声、“聞く力”も番組の魅力として、厚い支持を得ています。

中澤:最初のころは、自分が番組の役に立っているのか心もとなく、「いる意味があるのかな」と悩んだりしました。肩を落として帰ったことも数え切れないほどありますし、気持ちを切り替えられない時期も長かった。「もっと押し出しの強い自分であるべき」「はっきり主張しなきゃ」と思い込んでいたこともあって。

 でも、トライ&エラーを重ねるうちに、自分の笑い声で面白さを増幅できたり、とっさの一言が内容理解の助けになったり、誰かの言葉がこぼれ落ちないようにすることが自分に向いていると分かってきました。

――あの笑い声は意識的に出している面もあるのでしょうか。

中澤:出ちゃっている感じかな(笑)。でもそれを、敢えてどんどん出していこうと思うようになりました。少しうるさいかなと思っても、早め多めに出すことで、誘導される面白さがあるといいなと思っています。
悩み過ぎてしまう自分から徐々に変化していったのは、子どもができてから。いつまでもぐるぐる考えてもいられずに、強制的に現実に引っ張り出されることがよかったかもしれないです。


――私生活の忙しさが逆に仕事にプラスに働いたのでしょうか?

中澤:違うことをしているうちに、オンエアや自分の受け答えがどうだったか、客観的に見えたりするということはよくありますね。

あなたが最優先。親として徹底していた「聞く」姿勢

「いる意味があるのか…」悩んだアナウンサーが、“最強の傾聴力”で安住紳一郎の魔球を受け続ける存在になるまで
中澤アナ③
――番組内でも言及されていますが、中澤さんはご結婚され、娘さんもいます。家庭でも「聞く力」は発揮されていますか。

中澤:そうですね、親として一番気をつけていたのは「ちょっと待っててね」と言わないようにすることです。子どもが何か話しかけてきた時は、何はさておき「聞く」を徹底したくて。娘に「自分は最優先の存在じゃない」と思わせたくなかったので、小さい頃からそれだけ心がけていました。

――大切なことですね。

中澤:考え方はいろいろあります。「大人の話をしている時は待ちなさい」という教えももっともだと思うし、「今は包丁を使っているから待ってて」としないと家事が進まないのも事実。何が正解かは分かりません。うちは一人っ子だったからできた面もあると思います。
ささやかな挑戦として、「ちょっと待っててね」と言わずにやってみたいなと、頑張ってみた感じです。

――書籍には娘さんの言葉も載っていますが、中澤さんの気持ちはしっかり伝わっていると感じました。

中澤:そうなんですかね。子ども関連の話になると急に母親目線になってしまい、ラジオでも反応が強くなってしまって(笑)。今回の娘の言葉も客観的に見られないんです(苦笑)。でも、そうだったらうれしいです。

「これでいいんだ、私」——書籍が教えてくれたこと

――最後に、書籍の出版にあたりご自身を振り返る作業をされたと思いますが、何か変化はありましたか。

中澤:私は今まで反省や改善点ばかりに注目するタイプで、自分の過去を「恥ずかしいもの」と考えがちでした。だから、とりかかる前には、そんなものを世間に読んでいただくなんて……と思っていたのですが、形にしてみたら「ちゃんとやってきたこともあるし、積み上がってきているんだな」と。自分の仕事について、すっきり見えるようになりました。

――まさに『口下手で、大丈夫』ということですね。

中澤:「これでいいんだ、私」と思うことができましたし、踏ん張り直せたので、ここからまた力強く立っていける気がします。また、もし同じような悩みがある方がいたら、心から応援したいなとも思います。

「いる意味があるのか…」悩んだアナウンサーが、“最強の傾聴力”で安住紳一郎の魔球を受け続ける存在になるまで
中澤アナ④
<取材・文・写真/望月ふみ>

【望月ふみ】
70年代生まれのライター。ケーブルテレビガイド誌の編集を経てフリーランスに。映画系を軸にエンタメネタを執筆。現在はインタビューを中心に活動中。@mochi_fumi
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