シンガーソングライター、ジャズ・ピアニスト、モデル、俳優――様々な表現活動を行っている甲田まひる。そんな彼女が2024年1月にリリースした「らぶじゅてーむ」(TVアニメ『ぶっちぎり?!』エンディング・テーマ)で初めてアニソンを手がけた。
まったく新しいタイプのアニソンアーティストであり、「表現者」として貪欲に挑み続ける彼女の素顔に迫る。

INTERVIEW BY 冨田明宏
TEXT BY 金子光晴

ジャズとファッションに出会った幼少時代
――今回、リスアニ!には初登場ということで、まずは甲田さんのルーツについてお伺いしたいと思います。

甲田まひる 元々幼稚園のときから服がめちゃめちゃ好きだったんですよ。お洒落が大好きで、家に帰ると幼稚園の制服から着替えるのが好きで。それと絵を趣味で描いていたので、服のデザイン画を描くようになり、将来はファッションの仕事がしたいなとなんとなく思っていたんです。5歳の頃にピアノを始めて、ヤマハの音楽教室に通ってたんですけど、それも幼稚園でみんなが習い事を始めるタイミングだったので私もなんとなくピアノがやりたいなぁと思って始めたみたいな感じで。
でも、8歳のときにジャズと出会って、そこからはジャズ・ピアニストになりたいとずっと思っていました。

――なんとなくはじめると「もうピアノは辞めてもいいかな」と思うことってあると思うのですが、甲田さんはいかがでしたか?

甲田 うーん、最初はなかったですね。5歳で始めたときから楽しくて、左手と右手で違う動きをするのがまず楽しいので、あまり苦じゃなく続いたんですよ。でも、ヤマハって小4くらいから専門コースというのを選べるようになるんですね。将来、ピアノに携わりたい人とかは専門コースに行くんですけど、レッスンが週2になり年に3回くらいコンクールに出て、強制的にグレード試験を受けさせられるので、そこからは大変でした。常にピアノの行事に追われて、その頃から作曲の発表会に出ていたので、ヴァイオリンの人とデュオの曲を自分で書いたり、オーケストラと演奏したりとか。
賞争いをしていて、コンクールに燃えていた時期ですね。クラシック自体は10年近く続けていました。

――じゃあ、子どもの頃を振り返ると、ひたすらピアノに打ち込む音楽漬けだったわけですね。

甲田 そうですね。その間にファッションの仕事も始まるんですけど、とにかくジャズ・ピアニストになりたくて、中学くらいからもうアメリカに留学したかったんです。それくらい海外に興味がありましたし、英語も同じくらい好きでずっと勉強していたので、ニューヨークには何回も行きました。
高校は通信制の高校を選んで、その代わりに1人でカナダに行ったりと、できるだけ海外に行くようにしてました。

――子どもの頃の夢を実現するために、それ以外は全部置いて集中するというのはすごいことですね。

甲田 ピアノと出会ってからはピアノを仕事にしたかったんですけど、たまたま小6でインスタを始めたのがきっかけで、SNSとか何も知らないまま服とかメイクとかを上げ続けていたらそれがスナップサイトに見つけてもらい、「撮らせてほしい」と言われて撮影した写真が拡散されていって……そこからいきなりファッションショーに呼ばれて、それをブログに書いたりする仕事を始めたんです。もう何が起きているのかわからない状態で、ピアノとファッションを数年間並行していました。早くピアニストとして作品を残したいなという時期があり、16歳のときにピアノのアルバムを出すことができたんです。私の中ではずっとジャズがやりたかったけど、ファッションの仕事も好きだから、どっちも楽しい! という感じでしたね。


――色んな音楽があるなかで、そもそもジャズにのめり込んだきっかけはなんだったんですか?

甲田 ヤマハで最初についてくれた先生がジャズを好きな方だったんです。発表会に出るときは先生が曲を選んでくれるんですけど、ショパンの「革命」とかをジャズにアレンジして弾かせてくれたことがあって、「クラシックよりノリが良い、お洒落な音がする」というので気に入ったんですね。それで先生に「こういうのをやりたい」と言ったんですけど、「自由に聴こえても難しい音楽だからね」と言われて。そこからジャズのCDをお母さんと一緒に図書館で借りてきて、片っ端から聴いて好きになりました。その中にバド・パウエルとセロニアス・モンクという2人のアーティストがいたんです。

――すごい。
その2人ということは、ビバップの源流からジャズを聴き始めたんですね。


甲田 はい。完全にビバップのピアニストから入って、それを耳コピして譜面に全部書いて練習していました。

「正しいヒップホップのオタク」から音楽活動へ
――迷いなく自分の好きなものを突き詰めていくという楽しみ方がすごいですね。お母様といっしょにやっていたから楽しかったというのもありますか?

甲田 そうですね、お母さんがすごく協力的なので。お母さんは元々バックパッカーなんですよ。
21、2歳でインドとかをずっと放浪してて、頭にタトゥー入れたりしている人で、「これはダメ」というものがない育ち方だったんです。「別にどう生きても死ななきゃよくない?」という考え方の人なので、やりたいと思ったことをやる、みたいな感じでした。ジャズも私が聴き始めてからお母さんも初めて聴いたという感じで、一緒にライブハウスに通ってましたね。

――そういうお母様がいらっしゃったから、好きなことを伸び伸びとできたんでしょうね。今の音楽性もジャズがベースにありつつ、多彩な音楽性を志向されていますよね。ジャズ以外ではどういう要素が甲田さんを構成しているのでしょうか?

甲田 やっぱりヒップホップが一番濃いと思います。時期は遅いですけど、ヒップホップものめり込み方はジャズと同じくらいで、レコード集めまくったりしてますね。それと、あまりロックを聴くわけじゃないんですけど、THE BLUE HEARTSが好きで。甲本ヒロトさんが好きなのでああいうアーティスト像に憧れがあって、例えば自身で歌詞を書くときにもTHE BLUE HEARTSのストレートな歌詞や、反抗的な部分が自分の歌詞からも感じられると人に言われたことがあるんですよ。あとは洋楽、いわゆるポップスも、あとから聴き始めたんですけど、サウンド作りにおいては欠かせないものですね。

――そもそも性格的に深く掘っていくのが好きなんだろうなと思えるサウンドのデザインで、まだ20代前半とは思えないほど音楽の文脈を理解したうえで混ぜ合わせている感じがすごくするんですよ。かなりディグるタイプじゃないですか?

甲田 ディグりますね。元々新譜を追うのがあまり得意じゃないので、掘ってばっかり、昔のばっかりです。ヒップホップにハマったきっかけもア・トライブ・コールド・クエストを聴いて、あとから90年代の曲を聴き始めて、そこからブート・キャンプ・クリックとかにいったので。そう、ニューヨークにもスミフンウェッスンのライブを観に行ったんですよ。

――めちゃめちゃ正しい文脈でヒップホップを聴いてますね(笑)。

甲田 Mixの技術は絶対に昔のほうが乏しいはずなのに、すごいことをや