やしきたかじんが亡くなって8ヶ月。大阪を中心に多くの人々から愛され、この数年は橋下徹大阪市長、安倍晋三首相などの政治家たちにも恩人と慕われていたたかじんだが、しかし一方で彼の死後、その周辺でトラブルも巻き起こっている。
食道がんが発覚する直前に入籍した3番目の妻と、たかじんの事務所関係者や長女など親族との確執だ。妻はたかじんの死を実母や兄弟にも知らせず、葬儀にも出席させなかったという。また、偲ぶ会にも実娘や長年支えてきたマネージャーを招いていなかった。こうしたことから、たかじんの親族がその怒りを週刊誌に告発。事務所や名前の使用権をめぐり、妻と関係者の間で骨肉の争いになっているのだ。
そんな中、たかじんの評伝が出版された。『ゆめいらんかね やしきたかじん伝』(角岡伸彦/小学館)だ。著者の角岡は自身が被差別部落出身であることを公表したジャーナリストで、同作は9月に小学館ノンフィクション優秀賞を受賞した。
しかし、そこに描かれるたかじんの実像は、テレビごしに見ていた姿とは少し違ったものだった。著者はたかじんと古いつきあいがあった人物を中心に、多くの関係者から話を聞き、丹念にその人生を追うのだが、そこから浮かび上がってくるのは、無頼、剛胆、面倒見の良さや包容力といった一般的な評価とはまったくちがう一面だった。ナイーブで小心、そして抱え続けたコンプレックス......。
たとえば、2番目の妻で9年間たかじんと身近に接していた智子氏はこう語っている。
「神経が細い人だったので、コンサートが近付いてくると、下痢でおなかをくだして、朝からトイレに何回も入ってましたね。精神的に追い込まれているのがわかりました」
また、弟子で付き人だった小丸は、普段、情に厚く優しい人柄だったたかじんが周囲に人がいるとなったとたん、自分を誇示するかのように威張り豹変したと証言する。車を運転している際もひとりのときはそんなことはないのに、同乗者がいると難癖をつけられ、自分の力を誇示するかのように後部座席から殴打される。
「酔っ払っているときは恐怖でしたね、人が怒られるのを見るのもつらかったですね。あまりに理不尽な怒り方をしはるんで。うわー、次は自分にくるんちゃうかって恐怖がありました」
これまで語られることのなかった、たかじんのもうひとつの顔。その背景にあったものは何か。本書ではもうひとつ、たかじんが決して語ろうとしなかった顔に切り込んでいる。それはたかじんのルーツ、父親が在日韓国人だったという事実だ。
「父親は一九二六年に朝鮮半島で生まれ、十四歳で弟とともに大阪に渡ってきた」
その後、日本でたかじんの母親と出会い、男ばかり4人の子どもをもうける。たかじんはその2番目の子どもだ。父親は水石鹸を作る工場を起こすなど事業を成功させたが、一方で何度か破産もしているという。
芸能界に入る前、たかじんは友人であり、後に彼の詞を書くことになる荒木十章に泣きながら「実は親父は韓国やねん」と語ったことがあった。荒木は本書の中でこんな推察をしている。
「親父が在日韓国人というのはコンプレックスになってたんでしょうね。当時のことやから、就職のことなんかを考えると、しんどいなというのはあったと思うんです」
しかも、当時の時代背景もあったのだろう、父親は息子たちの将来を案じ、日本人の母親とは籍をいれなかったのだという。
「つまりたかじんは、母親の私生児であり、日韓のハーフである」
本書が書いたこのことは彼の生まれ育った大阪西成の在日社会ではよく知られていたらしい。しかし、たかじんは芸能界に入ってから、そのことを周囲にも一切語ることはなかった。それどころか「たかじんにとっては最も触れられたくない事柄」であり、それはたかじんに大きな影を落としたことさえうかがえる。
生前、本人が決して明かそうとしなかった"出自"に踏み込んだことについて、著者の角岡氏は小学館ノンフィション優秀賞の贈呈式でこう述べている。
「たかじんさんが隠していたことを書くということは、すごいプレッシャーでした。僕自身は部落出身ですが、人のルーツを書く時はナーバスにならざるを得ない」
だが、角岡はそこにあえて踏み込んだ。おそらく、それこそが最近の政治へのコミットも含めたたかじんという男の生き方を解き明かす鍵だと考えたからだろう。本書でも指摘されているように、包茎手術の経験までテレビで語るなど私生活を全部晒し、『たかじんのそこまで言って委員会』(読売テレビ)というタブーなき番組の司会者もつとめて、過激な発言を連発していたたたかじんが、出自というタブーを抱え込んだままだったというのはあまりに意外に映る。
たかじんが亡くなってしまった今、その理由を明確に答えることが出来る人はいない。しかし『そこまで言って委員会』の常連出演者であり在日三世の朴一は角田の取材に対し、「一緒だった」と推測している。
「朝鮮半島出身の元力士でプロレスラーの力道山は、力士時代に出世の障害になるからという親方の判断で、通名を与えられ、出自も長崎出身に書き換えられた。プロレスラーとして成功しても、その嘘を貫き通そうとした。同胞には『隠していかないと生きていけなかったんだ。わしが朝鮮人だと言ってみろ、ファンがどれだけ落胆するか』」
「たかじんは力道山と同じように視聴者の反応を気にしていたのではないか」
だが、これもまた、完全な答えにはなっていないような気がする。そして答えを見つけようとしても、たかじんは自らのタブーを最後まで隠したまま逝ってしまった。
「在日」という言葉がとても簡単に、しかも戦時中の「非国民」と同じような意味で使われるようになってしまったこの時代、その言葉がいかにひとりの人間に深く重いものを与えているか、そのことを改めて認識させてくれる一冊だ。
(一場 等)