首相官邸HPより


 ついに明日18日から通常国会が開かれるが、この感染拡大状況を招きながら、菅義偉首相はここにきてその本性をあらわにしてきた。申請期限を少し延ばしただけで「持続化給付金」や「家賃支援給付金」を打ち切り、追加の補償策や困窮者への支援策をほったらかしにしているというのに、特措法や感染症法の改正による「罰則」の強化を打ち出してきたからだ。

 菅首相といえば、官僚やメディアを恫喝によって従わせるという“強権性”によってここまでのし上がってきたが、ついに国民をも罰則で恫喝しようというのである。

 しかし、法改正によって目論む罰則の数々は、そのいずれもが政治の責任を放棄した、滅茶苦茶なものだ。

 たとえば、政府の特措法改正案では、緊急事態宣言の前段階で対策を講じるための「予防的措置」(仮称)を新設し、飲食店や施設などに対して営業時間の変更などを要請・命令できるようにするというが、これに応じない事業者には「予防的措置下では30万円以下、緊急事態宣言下では50万円以下」の行政罰を設けることが検討されているという。

 つい最近まで税金を使って「『GoToイート』で外食をしよう!」と大々的に展開していたというのに、急に手のひらを返して「飲食の感染リスクが高い」などと言い出し、夜8時までの時短営業を要請しながら「昼のランチも控えて」と支離滅裂なことばかりを言っている。普通に考えて、「夜だけではなく朝も昼も危ない」と言うのなら時短営業ではなく休業を要請し、それに見合った十分な補償をおこなうのが筋だ。

 ところが、特措法改正の政府案では、要請に応じた事業者への支援は「国・自治体の努力義務」にとどまっている。

ようするに、自分たちは支援するもしないも「努力」でよくて、事業者には過料の罰を与えるというのである。

 対策としてやるべきこともやらずに、一方的にムチだけは振るう──。この、政府としての責任を棚にあげた罰則は、これだけではない。

 感染症法の改正案では、保健所の調査を拒んだり虚偽の回答をした者や、入院勧告に従わない患者に対し、「1年以下の懲役または100万円以下の罰金」の刑事罰を設ける方針だというからだ。

 この罰則案に対しては、ネット上でも「検査したくてもできない人がこんなにいるのに?」「入院すべき人が入院できない状況なのに?」という指摘が巻き起こっているが、あまりも当然すぎる反論だろう。

 まず、「保健所の調査を拒んだり嘘をついたら刑事罰」というが、13日の会見で記者から「保健所の調査の回答拒否や虚偽回答が実際どれぐらいあるのか、また、どれほど深刻な問題かを裏付けるような具体的な数字を示してもらいたい」と追及された際、菅首相は「具体的には承知しておりません」と言い放った。

根拠もないのに刑事罰を設けるなどと述べているのである。

 だいたい、現状は市中感染が広がったために感染経路不明者が増加し、首都圏では保健所の調査が簡略化される方針だ。政府はクラスター追跡を「日本モデル」などと自画自賛してきたが、その「日本モデル」とやらに実効性を持たせたいのなら、まずは感染者に増加の傾向が出てきた初動でしっかり対策を打つこと、さらに保健所機能の強化のための支援に力を入れるのが先決だ。実際、第1波の際、アメリカのニューヨーク州では大規模な市民への無料検査と同時に、濃厚接触者の追跡(トレーシング)にも力を入れ、この追跡をおこなうための「トレーサー」を育成、新たな仕事を生み出した。こうした取り組みもなく罰則だけ設けても、うまくいくはずがない。むしろ「刑事罰を受けるかもしれない」という恐怖から、感染の疑いを感じても相談・受診しないという人を生み出し、さらに感染を拡大させる可能性すらある。

 いや、そもそも菅政権は「説明拒否や嘘をついたら刑事罰」などということを言える立場にない。15日放送『ひるおび!』(TBS)では、片山善博・前鳥取県知事が「国会で118回も嘘ついた人がいるじゃないですか。何のお咎めもないじゃないですか」「上の人がそんな自堕落なことをしていて、弱い庶民がちょっと嘘をついたら刑事罰なんていうのは、法治国家としてバランスを欠いていると私は思います」と安倍晋三前首相の問題を取り上げて一刀両断していたが、まさしくそのとおりだ。

 入院勧告に従わない患者に対する刑事罰も同じだ。この1年、さんざん医療提供体制の不備が指摘されながら強化してこなかった安倍・菅政権による失策のツケが回り、その結果、いまは入院するべき状態の患者が入院できず、入院待機中に死亡するという事例が相次いでおこっている。政府の怠慢の末に見殺しになったと言ってもいい状況だが、いまやるべきは「入院を拒否すれば刑事罰」などということではなく、必要な人が必要な医療を受けられる正常な状況をつくることなのは言うまでもない。

 しかし、この医療体制の強化においても、それを放置してきた菅首相は強権性を剥き出しにしている。病床確保のために、医療機関への協力要請を現行の「要請」から「勧告」に強め、応じない医療機関名を厚労相や都道府県知事が公表できるようにするというのである。

 最近では「コロナ患者を受け入れない民間病院が悪い」「医療逼迫は民間病院のせい」と民間病院が攻撃に晒されているが、病床不足の現状は民間病院の責任ではまったくなく、すべて国の失策にほかならない。実際、田村憲久厚労相も「(病床の確保を)地域医療計画に盛り込み、準備、訓練も含めてしておくべきだった」と口にしている。

 しかも、民間病院がコロナ患者を受け入れるには、感染者用の病棟・病室の準備、一般診療・手術・入院患者数の縮小、医師や看護師の体制強化など、整備に時間も金もかかる上、ノウハウ不足から院内感染やクラスターが発生するリスクも高く、そうなると一般患者が減るなどの打撃も受ける。政府は現在、患者を受け入れた医療機関に対して1床あたりの補助金を打ち出しているが、それでは不十分であり、まずは減収補填を約束した上で補助をおこなうべきだ。

 だが、そうした補償策を置き去りにしたまま、「勧告を拒否したら名前を晒す」と恫喝するだけ。政府は時短営業に応じない飲食店についても店名を公表できるよう臨時閣議で特措法の政令を改正したばかりだが、ようするに、菅政権はいまだに必要な対策をとろうともせず、そればかりか名前を晒すことによって「協力しない“非国民”」認定をおこない、「自粛警察」のような攻撃をけしかけ、批判対象を政権から飲食店や医療機関にスライドさせようとしているのだ。

 第1波の際にも患者やその家族、医療従事者、自粛期間中に営業した店などへの攻撃が多発し、患者の自宅に石が投げ込まれる、クラスターが発生した大学に「火をつける」という脅迫電話やメールが殺到する、営業する店をネット上に晒し上げるなどの問題が起こった。このような分断・攻撃を生まない対策を打ち出すのは政府の責任だというのに、むしろ「私刑」を横行させようとしているとしか思えない。

 悪いのは政府ではなく協力しない市民のほうだと責任を転嫁する。これは、保健所への調査拒否・虚偽報告や入院拒否患者への罰則も同じだ。

 医学系136学会が加盟する学術団体である「日本医学会連合」は、これらの罰則を新たに設けようとする感染症法の改正に反対する声明を発表。かつて結核やハンセン病の患者・感染者の強制収容が法的になされ、重大な人権侵害が起こったことに言及し、〈現行の感染症法は、この歴史的反省のうえに成立した経緯があることを深く認識する必要があります〉と指摘。こうつづけている。

〈性感染症対策や後天性免疫不全症候群(AIDS)対策において強制的な措置を実施した多くの国が既に経験したことであり、公衆衛生の実践上もデメリットが大きいことが確認済みです。〉
〈入院措置を拒否する感染者には、措置により阻害される社会的役割(たとえば就労や家庭役割の喪失)、周囲からの偏見・差別などの理由があるかもしれません。現に新型コロナウイルス感染症の患者・感染者、あるいは治療にあたる医療従事者への偏見・差別があることが報道されています。これらの状況を抑止する対策を伴わずに、感染者個人に責任を負わせることは、倫理的に受け入れがたいと言わざるをえません。〉

 過去の結核、ハンセン病、エイズ患者・感染者に対して繰り広げられた差別事件への反省と教訓、そしてSNSの発達という時代状況を踏まえれば、権力側が対策をとるにあたって最重要視しなければならないのは、患者・感染者をあらゆる意味で守ることにほかならない。しかし、肝心の補償やプライバシー・人権の保護といった根本的な対策をとらず、逆に「公衆衛生の実践上もデメリットが大きい」と指摘されるような、個人に責任を負わせようという罰則を打ち出す──。「自助」どころか、ついには患者や協力に応じない側に失敗の原因があるのだと押し付けようというのである。

 十分な補償・支援策、人権侵害が起こらないようにする配慮、そして政府がおこなおうとする感染防止対策や医療提供体制の強化について情報の透明性を確保し、国民に向けてしっかりと説明をおこなう。これらがあってはじめて国民への協力を仰ぐべきだが、それをすっ飛ばし、罰則でどうにかしようとは、これでどうやって政府を信頼しろというのだろうか。

 当然、菅首相によるこの「罰則」という国民への責任転嫁策は、けっして許すわけにはいかない。だが、明日からの国会において野党が改正案に反対すれば、またぞろ「この緊急時に野党は足を引っ張る気か」などという声が必ずや出てくる。それを利用して、菅政権は押し通そうという算段なのだろう。だからこそ、必要なのは世論の反発だ。明日以降、本サイトでも責任放棄の改正案の審議を注視していくつもりだ。