大阪・関西万博の開催(2025年)を機に、再び注目を集めている国立民族学博物館。通称「みんぱく」と呼ばれ、1970年開催の大阪万博のレガシーを継承しようと万博記念公園に創設された。
その博物館で世界中の文化や民族の魅力を伝えようと活動するのは、自らも海外生活が長かった考古学の研究者。人類の残した「記憶」と「記録」を未来へ。その最前線で指揮を執る関雄二館長の素顔に迫った。
子どもの頃「母からは『気が多すぎる。一つの道を進め』と」
――――子どもの頃から好奇心旺盛でしたか?
そうですね。母からは「お前は気が多すぎる」「一つの道を進め」と言われて。ですが今思うといろいろなことに興味を持ったのが、今の私の研究にとっては良かった。中学2年生の時に、父が単身赴任で大阪におりましたので、夏休みを利用して一人旅で奈良や京都を巡り、どんどん歴史のほうに興味が湧きました。
考古学を志すきっかけは…
――――お話を聞いていると、日本の歴史や古代の研究をされるのかと思ったら…まさかのアンデスへ行くんですね?
自分でもびっくりでしたね。ちょうど大学院に進学する頃、迷ったんですよ、私はずっと体育会系だったのですが、当時は体育会系の人は比較的就職が容易だったため、大きな企業も入れそうな雰囲気ではあったんですね。でもそれが嫌だった。この先の人生まで見えたような気がしたんです。
――――それで南米へ?
大学院入学前の3月、うちの母から電話があって、「大学の寺田という人から電話があったよ」と。おそるおそる電話すると教授で「君は何か古いことが好きなんだってな。実はこの5月から南米・アンデスに調査団を派遣するから、興味があるなら来ないか?」と言われて。私は内心、雪山でスキーか何かできるんじゃないかと思って…。
現地の人と付き合いながら一緒に発掘を進めていく
――――アンデスへ行ってみてどう感じましたか?
自分の肌にあいましたね。フィールドに行って心が踊るのが「人との付き合い」で、現地の人と発掘などを進めていくのが楽しい。ペルーの北の高地、海抜約2800mのところにあるワカロマという遺跡を皆と一緒に発掘しました。
――――ペルーというとナスカの地上絵くらいしか知識がないのですが…。
私たちが取り組んだ遺跡はナスカよりも1000年以上前の遺跡、日本でいうと縄文時代後期くらいですが、いわゆる神殿、大きな公共建造物を造り、人々がそこでの活動を中心として社会が統合されていった時代です。
村の人たちも本当に心が清らかで、行くたびに自分の汚れを洗い流すかのような人との付き合いでした。これが最大の収穫といいますか、なぜ何度も通うのか、と言われたら「遺跡があるから」というよりも「人に会えるから」と答えるかもしれません。
コロナ禍に感じた…人同士が「接触」することの意味
――――コロナ禍で世界中を行き来できなくなったときは?
大変でしたね。われわれの存在基盤であるフィールドワークができなくなってしまった。
例えば、南米ではお酒を1つのグラスで飲み回すのが習慣なんですね。それを“やってはいけない”ということになるわけで。自分の世代でこんなことを経験するとは思いもしなかった。人間の接触をすることの意味を初めて感じるんです。
使命は「世界の多様な文化を理解してもらうこと」
――――去年、館長になられましたが指名があった時はどんな気持ちでしたか?
これはまずいなと思いました。4年前に定年を迎えて、しばらくは自由な年金生活ですから、海外の調査とか研究集会に呼ばれると、ほいほい出て行って1年の半分は海外生活でした。声をかけられたときは、もうそれが全部吹き飛んでしまうと。
――――毎日どのような仕事をしているのですか?
国立の機関は予算が限られている。国民の税金がもとなのでそう簡単に増えたりしないですが、物価はどんどん上昇しているので、人件費などが削られると事業に響く。34万点以上抱えている標本・資料の管理や、それらにカビや虫が発生しないようにするとか、様々なことに莫大な費用がかかってくるんです。
私たちの使命は、世界の多様な文化を一般の人々にも理解していただくこと。これはお金が足りなくなろうが何だろうが、やり続けていかないといけない。
10年かけた遺跡発掘…保存に失敗
――――今までの研究で心残りや失敗したと思うことは?
私が最初に手がけたワカロマという遺跡の保存に失敗したことが、私の人生にとっての心残り。1979年から1989年の10年間にわたって調査していたのですが、最終年にペルーに進出をしていた日系企業が寄付をしてくださることになり、その資金で遺跡公園にしたんです。
ところが除幕式の時、現地の文化庁の支局長が挨拶に立った時に地元の住民たちが横断幕を広げ「一歩たりとも私たちは土地を譲らない」と宣言して大騒ぎになった。これは当時の文化庁の担当者が、実際の遺跡の10倍の面積を遺跡として認定する書類を出して認められてしまったからです。遺跡として認定されると、家を建てたりすることができなくなり、当時は厳しくて『出ていけ』となった。
地元住民あるいは行政が何をしようとしているのかを、われわれが完全に把握できていなかったのが失敗の一番の原因。それを機に、研究のミッションを2つたてることにしました。アンデス文明を研究する学術的なことと同時に、どう保存し活用するか、しくみを調査した上で社会実装することをミッションとしてやっています。
――――これから考古学の道に進む人たちにメッセージがあればお願いします。
楽しいですよ~!調査をする過程というのは、現地の研究者や地域の人たちとの付き合いの中でやっていかないといけない。これが新しい自分の発見につながったり、あるいは自分の異文化理解につながったりします。こんなに楽しいことはない。
「多様な声に耳を傾けて、みんなの進む道を示す」
――――館長として成し遂げたい夢はありますか?
各研究者が自由な発想のもとで高水準の研究をどんどん推進していけるような研究環境を作ることですね。そしてその研究成果を発信する展示や博物館活動をきちんと確保して、レベルの高い研究と展示の維持、そしてそれを発展させていくこと。これが私の夢です。
――――最後に、関さんにとってリーダーとは?
自分が前にしゃしゃりでるのではなく、多様な声に耳を傾けて、みんなの進む道を示すことかなと思います。
■国立民族学博物館
1970年開催の大阪万博のレガシーを継承しようと1974年に創設。保存や研究の成果を一般に公開する場として1977年に開館。世界各地から収集した資料や文献は34万点にのぼる。
■関 雄二(せき ゆうじ)
1956年東京都生まれ。1979年東京大学教養学部を卒業し、大学院へ。恩師に誘われ訪れたアンデス地方・ペルーに魅了され考古学の道に進む。1年の半分を海外で過ごし研究に打ち込む。
※このインタビュー記事は、毎月第2日曜日のあさ5時30分から放送している『ザ・リーダー』をもとに再構成しました。『ザ・リーダー』は、毎回ひとりのリーダーに焦点をあて、その人間像をインタビューや映像で描きだすドキュメンタリー番組です。

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