「10年前と比べものにならない」猛暑と断水が被災者を追い詰める

最大震度7を観測し、各地に甚大な被害をもたらした熊本地震。地震発生の翌日となる29日に熊本県八代市に入った記者が目撃したのは、「猛暑」と「断水」という二重苦を耐え忍ぶ、被災者たちの過酷な日常だった。

(MBS報道記者 井守裕太)

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ガレージの日陰でしのぐ猛暑「向かいの家はひどいことに」

震度7の被災地を襲う「猛暑」と「断水」…命の危険に晒された老人ホーム、干からびる田んぼで被災者が直面する緊迫の現実
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過酷な暑さが連日押し寄せる中、被災地が抱える深刻な課題は日を追うごとに浮き彫りになっていった。

八代市鏡町を歩くと、息苦しくなるような激しい暑さの中でじっと耐える人々の姿があった。

自宅のガレージの日陰に身を寄せ、扇風機に当たりながら涼んでいた70代から80代とみられる女性2人の目の前には、倒壊した向かいの家屋が見えていた。女性たちは恐怖の瞬間を思い返しながら言葉を絞り出した。

「今回の揺れはすごかった。10年前と比べものにならない。向かいのおうちはひどいことになった。危ないから引っ越させた」

発生から2日ほどたち、鏡町周辺でも徐々に電気が復旧し始めていた。しかし、復旧の兆しが見える一方で、住民たちを最も苦しめ、生活の基盤を根本から奪っていたのが「断水」という壁だった。

まちのあちこちで、住民たちは困惑と疲弊の表情を浮かべながら口々に訴えた。

「水が来ない」

母親が経営する美容室の片づけを行っていた白石真さん(45)のもとには、会社の仲間13人が駆けつけ、足の踏み場もなかった店内を必死に片づけてくれたという。温かい手助けによって作業は進んだものの、生活を支えるインフラの欠如が重くのしかかっていた。白石さんは次のように語り、現状の厳しさをにじませた。

「1週間たって、電気は来たが、とにかく水がない」

エアコンが止まった室内…老人ホームを襲う「命の危機」

震度7の被災地を襲う「猛暑」と「断水」…命の危険に晒された老人ホーム、干からびる田んぼで被災者が直面する緊迫の現実
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断水と猛暑による影響は、単に生活の不便さにとどまらず、命の危機に直面する極限の事態をも引き起こしていた。

入所者12人を抱える鏡町にある老人ホーム「せんり鏡」では、地震の影響によって敷地内の電柱が倒壊。

そのあおりを受けて施設全体が停電し、空調設備であるエアコンが一切使えなくなる事態に陥っていた。猛烈な日差しが照りつける中、施設内の温度はあっという間に上昇し、外と変わらない過酷な暑さとなっていた。国や県、そしてボランティアから送られてきた発電機や数台のスポットクーラーで、どうにか冷気を送っている状態だった。

12人の入所者のうち、一番若い2人が62歳で、残りのほとんどは80代から90代。平均年齢は86歳になる。体調管理が難しい高齢の入所者らは、手に持ったうちわや小型扇風機で暑さをしのぐしかなかった。入所者たちは無表情だった。暑さと疲労が、気力すらも奪っているようだった。

一刻を争う事態に、DMAT=災害派遣医療チームが現地へ駆けつけ、入所者一人ひとりの健康状態の確認にあたった。現場にいた太田昭二施設長の表情には、隠しきれない焦燥感と危機感がにじみ出ていた。太田施設長は詰まる思いを語った。

「氷が欲しい。

今、夏なので、やっぱりお水と氷で氷水を皆さんに。できるだけ脱水を起こさないようにということが一番。きのうは2人の入所者が軽度の熱中症で病院に運ばれた」

高齢者の体力を奪い去る容赦ない熱気。施設内には常に死と隣り合わせの緊迫感が漂っていた。

一筋の光…「電気が通ったから水が来た」安堵の瞬間

震度7の被災地を襲う「猛暑」と「断水」…命の危険に晒された老人ホーム、干からびる田んぼで被災者が直面する緊迫の現実
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絶望的な状況が続いていた老人ホーム「せんり鏡」だったが、午後になって事態は一転する。関係者の迅速な復旧作業により、別の電線から電気が引き込まれ、施設内に電力が供給されたのだ。そして、それと同時に、止まっていた給水設備が動き出し、ついに施設内で水が出始めた。

蛇口から勢いよく注ぎ出る水を目にした瞬間、ピンと張り詰めていた太田施設長の顔に、パッと安堵の表情が広がった。太田施設長は、極限状態を経験したからこそわかる重みのある言葉で、当たり前だったインフラのありがたみを噛み締めるように語った。

「電気が通ったから水が来た。生活用水は大事ですね」

危機的な局面をひとつ脱した瞬間だったが、地域全体を見渡せば、まだまだ苦境に立たされた人々が無数に取り残されていた。

干からびる田んぼ 農業へおよぶ深刻な打撃

震度7の被災地を襲う「猛暑」と「断水」…命の危険に晒された老人ホーム、干からびる田んぼで被災者が直面する緊迫の現実
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地震がもたらした猛威は、住民の命や住宅被害だけでなく、地域を支える農業へも深刻な爪痕を残していた。

鏡町の海側に位置する北新地方面へ向かうと、かつて平穏だった風景は一変していた。道路は激しい揺れによって大きく凹み、地面には無数のひび割れが走っていた。

その周囲には見渡す限りの田んぼが広がっている。電気は徐々に通り始めていたものの、上水道や農業用水の断水が長引いており、水を引き込めなくなった田んぼは地面が渇き、干からび始めていたのだ。

手立てを失いかけたある農家の男性は、窮地を脱しようと近くの排水路から必死に水を引こうと試みていた。男性は干上がる田んぼを前に、悲痛な胸の内を明かした。

「水がとにかく来ない。田んぼが干からびて、米が取れるかどうかも分からない」

丹精込めて育ててきた作物が、水不足によって日に日に衰えていく。農家の人々にとってもまた、死活問題となる切迫した事態が続いていた。

「困ったときはお互いさま」ギリギリの助け合いと限界への足音

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圧倒的な水不足が地域全体を覆う中、極限状態にある被災者たちを繋ぎ止めていたのは、住民同士の心温まる助け合いの精神だった。

鏡町内のある一般家庭の軒先には、手書きで「水 ご自由にお使い下さい」と書かれた1枚の貼り紙が出されていた。この家庭では、所有する地下水を活用し、困窮する地域住民のために24時間体制で水を提供し続けていたのだ。自発的に水を提供している女性は、自らも被災している身でありながら、柔らかな微笑みを浮かべてこう話す。

「上水道が断水しているから。

困ったときはお互いさま」

生活に必要な水を求めて訪れ、この水を受け取った高齢者は、「洗い水に使っている。本当に感謝しかない」と深々と頭を下げていた。

絶望的な被害と猛暑という過酷な環境下においても、被災者たちは温かい絆と譲り合いの精神でギリギリの生活を支え合っている。

しかし、個人の善意や助け合いだけでは乗り越えられない限界が、すぐそこまで迫っているのも事実だ。

被災した人々の心と体を繋ぎ止め、穏やかな日常を取り戻すためにも、生活基盤の迅速な立て直しに向けた、国や行政からの手厚く一刻も早い支援の拡充が強く求められている。

(MBS報道記者 井守裕太)

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