私は妻を介護中の62歳、男性です。在宅介護を始めて3年が過ぎました。

介護中は予想もしないことが起こりますが、その中でもピンチに陥った出来事が3つありました。

後悔を残さないためにも、同じような状況にある方はぜひ参考にしてみてください。

初めての誤嚥性肺炎を発症

ある日、妻は自宅で突然倒れ、意識を失いました。高血圧が続いたことによる脳幹出血です。

その後は急性期から慢性期、リハビリ回復期病院で約6ヵ月の治療を受けていましたが、その間、退院後の在宅介護を決断しました。

入院中は必死のリハビリを続けたにもかかわらず、要介護5(右片麻痺・構音、嚥下機能障がい)の全介助が必要な状態で退院に。そこから妻の在宅介護が始まりました。

妻の介護は24時間営業

介護を始めたばかりの私は、回復期病院で教えられた方法を確実に守り、実践していました。

朝4時半起床のおむつ交換に始まり、痰の吸引・食事の準備や介助・排便処置など目まぐるしく時間が過ぎていきます。

加えて、週2回のデイサービス利用や利用日以外の訪問看護、月2回の往診で介護に追われる毎日でした。

介護を始めて4ヵ月目のある日、食事後の妻の意識レベルが下がり、痰の吸引をしても血中酸素濃度(SpO2)が上がらない状態になりました。

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また、38度以上の高熱が続き、在宅酸素量を増やしても状況が変わらないため、訪問看護師に連絡し対応をお願いしました。

結果、鼻腔からの吸引不足による呼吸困難とわかり、「1時間おきに体温とSpO2を測り、記録しておくように」と指示を受けました。

1回目の誤嚥性肺炎発症

訪問診療医師の診察を受けた結果、「誤嚥性肺炎の可能性がある」と判断され、即入院との指示を受けました。

これには大きなショックを受けました。

痰の吸引は鼻腔からも必要で、食事姿勢や就寝中の体位変換の角度によっては唾液が気管に入って発症する可能性があるということを初めて知ったのです。

また、口腔ケアが未熟だったこともわかり、介護力不足を痛感しました。

すぐに緊急入院となりましたが、入院期間中は絶食で、栄養補給は24時間の静脈点滴。治療のおかげで体温は37度付近、SpO2も上がり安定したと聞き、オンライン面会をお願いしました。

コロナ禍だったのでオンライン面会となりましたが、妻の表情などを見て、二度目のショックを受けました。顔は痩せこけ、意識も薄いように感じたのです。

私は医師に他の治療法はないのか問い合わせましたが、誤嚥性肺炎は今以上の処置はないとのこと。それから妻が退院するまで、眠れぬ夜を過ごしたことを覚えています。

2回目の誤嚥性肺炎発症から胃ろうの決断

1ヵ月ぶりに退院した妻の顔を見た私はさらなるショックを受けました。

入院中は点滴による栄養補給しかできなかったため、介護当初は40キロあった体重が24キロまで激減していたのです。

また体力が低下しているため、妻の言葉もはっきり聞き取れず、在宅介護の不安がさらに増えました。

2回目の誤嚥性肺炎発症

退院後の介護は私にとってさらなる試練になりました。日中の介護に加え、夜間の痰吸引が加わったことで睡眠時間が減り、自分の体調も崩し始めたのです。

はじめは気力でカバーしていましたが、わずかの期間で体力もなくなり、妻の介護に支障が出始めました。

気力と体力がなくなると、介護は続きません。ほぼ24時間の介護は私の健康を阻害すると同時にストレスにもなり、妻との喧嘩も増えていきます。

「あと何年介護ができるか」そればかり考える日々を過ごしました。

突然始まった妻の介護で力不足を痛感… 実体験をもとに気づいたこと
画像提供:adobe stock

そのような介護状況で、2回目の誤嚥性肺炎を発症したのです。妻は、体力低下に伴い飲み込みも悪くなり、食事に2時間以上もかかっていました。

一口飲み込んでは次の一口を口にして飲み込む食事方法は時間がかかり、妻にとって苦痛しかありません。

1日6時間以上かかる食事は、リハビリのタイミングを削るだけではありません。食事後に安静にする時間を含めると、朝から夜までほぼ食べることに時間を使ってしまいます。

妻にとって食事を楽しむどころか、最後には食べるのが苦痛と拒否される始末です。

さらに追い打ちをかけたのが、痰の吸引を繰り返しても体温が38度付近まで上がり、SpO2も下がるという2回目の誤嚥性肺炎発症でした。

苦渋の胃ろう造設決断

医師からは今の状態では「口からの食事は無理」「胃ろうを考えてください」との打診がありました。

「胃ろう」とは、胃の内壁に穴を開け、食事用のチューブを接続するPEGを増設するというものです。

妻の栄養が確実に摂れ、私は食事準備や介助の負担が減るため、「安心して介護が続けられる」というのが医師の回答でした。

しかし、妻の反発は予想以上に強く、私もためらいが拭いきれません。「何か他にいい方法がないものか」と探している間も妻の体調は悪くなる一方です。

私は胃ろうという苦渋の決断をし、妻の説得を始めました。「このまま食べられないと命が危ない」「胃ろうをつけても口から食べる練習はできる」と毎日説得を続けたのです。

そして何とか妻に胃ろう造設を承諾させ、無事に手術は終わりました。この状態が続いていれば、胃壁が薄くなり胃ろう増設はできなかったでしょう。

胃ろうで栄養が摂れるようになった妻は、少しずつ体重が増えるとともに表情も明るくなり、リハビリも行える状態になりました。

私も妻の食事にかかる時間が減り、気力や体力も回復していきました。しかし、胃ろう増設から約6ヵ月後、妻と私にさらなる試練が待ち受けていたのです。

3回目の緊急入院

日々の介護も妻の体調も安定した頃のこと。おむつ交換というルーティンがあるので、いつも朝4時半には妻は目覚めていました。

しかしその日は、おむつ交換をしても妻はいびきをかいたままで目を覚ます気配がありません。

背中をさすっても、軽く背中を叩いても意識がないため、すぐSpO2を測りました。

すると酸素濃度は70%以下と危険な状態。

すぐに訪問看護師に連絡し、在宅酸素量を増やす指示に従うも、SpO2は回復しません。

看護師からは「入院の手配をするので救急車を呼んで病院に行ってください」との指示があったため、すぐに救急車を呼びました。

かかりつけの病院に3回目の緊急入院となったのです。

呼吸不全

病院では気管挿管による緊急処置が施されました。

医師からは危険な状態で意識が回復するかわからないとの返答。「介護にも慣れてきたところなのに」と気持ちが落ち込みました。

しかし私の願いが叶ったのか気管挿管の効果があり、奇跡的に妻の意識は回復し、約半月の入院ですみました。

後で聞いたところ、「嚥下機能障がいによる後遺症で就寝中に舌がのどを塞ぎ、呼吸不全状態」になっていたようです。

また、「悪くなることはあっても、良くなることはない」との医師の見解は、今でもはっきりと覚えています。

脳幹出血の後遺症をあらためて感じた出来事でした。

妻の介護で気づいたこと

私は3年間の介護中に起きた3回の出来事で、自分自身の力不足を痛感しました。今までは、ただノルマをこなすだけの介護だったかもしれません。

しかし、いくら全力で対応しても、妻が要求する100%の介護は不可能です。

>ただし、介護中に得た気づきもあるので紹介します。

パルスオキシメーター(SpO2計)は日本製が良い

SpO2計は日本製が良いと実感しました。

コロナ禍で需要が増えたSpO2計は、インターネットで探しても手に入らず、仕方なく他国社製の安価な商品を購入しました。

しかし、購入したSpO2計は指示値が安定せず、介護者の判断を迷わせます。

購入までに時間がかかりましたが、安定した値を示す日本製SpO2計は、価格も納得するほど信頼性の高さを感じました。

介護は実践で覚える

介護は実践で覚えるもので、自分で経験しないと身につかないものです。いくら看護師や介護士の指導を受けても、経験しないと介護力は上がりません。

インターネットや書籍でも情報はありますが、日々の蓄積はやがて応用となり、介護者の力になるのです。

昨日の介護が今日通用しないときもあるのです。被介護者が楽になる方法を常に考え、実践していくことの大切さを知りました。

迷ったときは看護師の指示を仰ぐ

被介護者の体調管理に努めることは頭でわかってはいても、判断に迷う場面は多々あります。体調変化の気づきは、介護者にゆだねられています。

「体調が変だな」「昨日より元気がないな」と少しでも違和感があれば、迷うことなく看護師に連絡し指示を仰ぐことが大切です。

介護者は介護士と看護助手の役割も必要です

介護初心者は、医者や看護師のような知識、経験がありません。しかし、初心者であっても介護士と看護助手の役割を果たすことも必要です。

介護中はさまざまな出来事がありますが、その都度、適切な対応をとることで、介護力はアップします。

日々の介護を通じて、介護士や看護助手に近づくほどの経験を積むことは可能なのです。「治る見込みはない」という医師の言葉は、病名で判断している結果だと思っています。

しかし、医師や看護師のおかげで妻は命を助けてもらったことも事実です。この経験から私は日々の体調変化に気づき、「医療従事者との架け橋になることが介護者の一番大切な務め」だと感じています。

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