1月1日に能登半島地震が発生。高齢化率の高い地域を直撃

被災自治体の約半数が高齢化率5割以上

お正月真っただ中の2024年1月1日午後4時10分に、マグニチュード7.6の地震が能登半島地方を震源として発生しました。

最大震度は志賀町の震度7で、七尾市、輪島市、珠洲市、穴水町が震度6強。

甚大な被害が出た地域は能登半島のある石川県をはじめ、富山県福井県新潟県に及びました。1月23日時点で、死者数は233人、重症316人、住宅被害は前回83棟、半壊1,249棟に上っています。

特に被害が大きかったのは、震源地に近い能登半島の先端周辺にある7市町です。この7市町には合計923町丁ありますが、そのうち451町丁が高齢化率5割を超える地域です。

令和6年能登半島地震で生じた福祉避難所不足の問題。全国的に対...の画像はこちら >>

高齢化率5割を超える地域は「限界集落」と呼ばれますが、今回の地震はまさにこうした地域に巨大な被害を与えました。巨大地震発生時における高齢者・要介護者の避難対策の必要性が、改めて浮き彫りになった地震とも言えます。

大変だった老人ホームにおける対応

能登半島地震は、現地にあった老人ホームにも深刻な被害が出ました。

NHKが1月5日から12日にかけて、能登半島にある9つの自治体にある60の施設に取材したところ、地震発生直後から10日以上断水が続き、入浴できない、トイレも使えない状況が継続したとのこと。おむつを使ったり、簡易型トイレで代用したりしていたと言います。

例えば穴水町にあった唯一の特別養護老人ホームでは10日以上断水・停電が続き、震災後4日間は連絡・支援すら一切ない孤立状態が続きました。暖房が使えない施設も多数発生し、介護職員がペットボトルにお湯を入れて作った即席の湯たんぽを入居者に配っていたそうです。

各施設の介護職員からは、入居者もさることながら、職員も体調を崩し始めている、支える側の体力がどれくらいもつのか不安との声上がっていました。職員自身も能登半島に住んでいるので自宅などで被災。

道路状況が厳しく、施設に出勤できない職員も多数発生しました。なんとか出勤できた職員が寝泊まりを続けて対応したとのことです。

厚生労働省は被災した地域の介護施設の入居者を、他施設に移送することを決定。移送先は石川県内の施設がメインですが、入居者の約2割は遠く県外の施設に移ることになるようです。

福祉避難所が足りない、機能しない問題が続出

小福祉避難所とは?

福祉避難所とは、高齢者、障がい者、乳幼児、医療的ケア児など、災害発生時に一般の避難所での生活が難しい人達が避難できる専用の避難所のことです。

指定されるのは地域にある高齢者施設、障がい者施設、特別支援学校など。災害が発生したら、在宅介護を受けている高齢者は、福祉避難所への避難が求められます。

しかし全国的に、計画通りには設置が進んでいないのが現状。福祉避難所の設置についてはかなり以前から議論が行われ、1995年の阪神淡路大震災で必要性への注目が高まりましたが、準備不十分な自治体が大半という状況が続きます。

令和6年能登半島地震で生じた福祉避難所不足の問題。全国的に対策が必要
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能登半島では2007年にも大地震が発生しましたが、その時に石川県輪島市に全国初となる福祉避難所が設置されました。

今回の大地震でも、能登半島各地の自治体で福祉避難所が開設されましたが、実際のところ多くの問題が発生し、十分に機能していない事態が生じています。

能登半島の各自治体で浮き彫りになった「福祉避難所問題」

日本で初めて福祉避難所を設置した実績を持つ輪島市では、2007年以降も地震が頻発してきたこともあり、福祉避難所の準備に対する意欲は高かったはずです。しかし今回の地震は想定以上の状況が生じたと言えます。

輪島市は福祉避難所として市内26カ所の福祉施設と協定を結んでいました。

ところが今回の大地震で、その避難所自体が被災して多大な被害を受け、稼働できない事態が発生。実際に稼働できたのは、地震が起こってから10日以上経過した1月12日時点で7カ所だけです。

こうした状況は能登半島各地において同様で、地震発生当初、能登半島にある7市町において、実際に開設されたのは指定された施設の2割程度でした。

何とか開設された福祉避難所では、人手不足が発生。職員自身が被災しているので、福祉避難所に出勤できないわけです。こうなると、本来の職員数よりも大幅に少ない人数で対応せざるを得ません。

能登町では5ヵ所が福祉避難所として指定されていましたが、稼働したのは2ヵ所。しかも開設した福祉避難所では働ける職員が通常の半数以下だったと言います。

また、自治体では開設しているつもりでも認知されていない、あることさえ知らなかったとの声もマスコミでは報じられています。周知度の点でも、不十分な部分もあったようです。

ほかの避難者との生活することが難しい場合も

市役所内のカフェが仮の「福祉避難所」に

福祉避難所の施設不足、あるいは周知不足により、本来福祉避難所に避難すべき人が、一般避難所に多数避難する事態も生じました。ケアを必要とする方が、一般の人と一緒に体育館などで共同生活を送ることになったわけです。

この場合、高齢者であれば要介護者の生活、認知症の高齢者の生活が特に大変になります。

認知症は症状によっては徘徊、妄想、暴言などの行動が見られる可能性があるので、ほかの一般の避難者と生活するのがどうしでも難しくなってくるケースも考えられます。

実際、今回の地震でも一般の避難所に避難した認知症高齢者が、避難所から出るように求められるケースも発生しています。

輪島市では開設した福祉避難所が2日間でいっぱいになりました。輪島市のグループホームでは、入居者が市役所のカフェに避難し、市の職員と相談してそこを「仮の福祉避難所」としたそうです。カフェ内や廊下にも大勢が避難し、当初は毛布さえなく、雑魚寝をしていたとのこと。カフェにあったカップ麺で食事をとったといいます。

能登半島地震から得られる教訓は多い

今回の地震発生直後、在宅介護をしている世帯も深刻な影響を受けました。

輪島市や珠洲市などの地域では、訪問介護やデイサービスも被災し、サービスを再開できない状況が続きました。地域にとどまる高齢者が、必要な介護保険サービスを受けられないわけです。

サービスを提供する場合でも、体制が整っていないため回数は激減。医療ケアを必要とする高齢者も、利用できる訪問看護がそれまでの半分になることもあったようです。

福祉避難所・在宅介護サービスについては、今回の地震から得られる教訓は多いと言えます。

自治体が福祉避難所を指定していても、地域全体が甚大な被害を受ける大地震の場合、今回の能登半島地震のように域内にある福祉避難所の大半が機能しなくなる可能性が高まります。その場合、避難先をどうすればよいのか、事前の周到な対策が必要です。

また、たとえ開設できても、そこで働く職員が被災して施設に勤務できないため、深刻な人手不足も生じます。

さらに在宅介護サービスが機能せず、自宅で介護を受けている人が必要なケアを受けられない事態も多発。十分なケアを受けられないまま、災害後に自宅で状態が悪化する、命に関わる容態になる、といったことも発生する恐れがあります。

もちろんすぐに解決策を出せるとも思えませんが、こうした事態は、近く発生が懸念される南海トラフ地震などへの教訓として生かす必要があるのは確かです。

今回は能登半島地震における福祉避難所問題について考えてきました。災害が多い日本ですが、発生した際にケアを必要とする人への支援をどのように行えばよいのかについては、まだまだ準備・検討すべき点が多いと言えます。