シリーズ:父の日、黙って用意したプレゼント

【1978年式 ダットサン B210 ハッチバック GX Vol.1】多くの思い出を引き継いだ2台目のダットサンB2101960年代後半から、日産はダットサン510(ブルーバード)、240Zを北米市場に投入。ユーザーたちから価格、品質、デザインなどが支持されてヒット商品となった。
その後もB110、B210(サニー)を発売。日産ブランドを現地にしっかりと定着させたのだった。70年代後半から自宅にあったダットサンB210に親しみ、その後、縁が途絶えていたクルマ好きの親子が、ふとしたきっかけで改めてB210に乗りたいと思い立った。そして、探し始めたことで、新たなストーリーが始まったのだ。

黙って用意したプレゼント 2007年6月17日の父の日。一人息子のエイジェイ・アドラーさんの訪問を、朝から自宅で楽しみに待っていたボブ・アドラーさんは、夜まで待ちぼうけを食わされて、結局その日は自分の息子に会うことができなかった。


 翌朝になって目を覚ましたボブさんは、窓から外を見てたまげた。
「おい、エイジェイ。うちの前にダットサンが止まってるぞ。今すぐ見に来いよ!」

【父の日、黙って用意したプレゼント 1】2007年6月17日の父の日こと。|1978年式 ダットサン B210 ハッチバック GX Vol.1


 電話口で興奮してそう叫んだボブさん。家の前の通りに止まっていたそのクルマは、18年前に手放したダットサンB210と全くの同型だったのだ。
「そんな偶然、あるわけないじゃないですか。
ねえ」

 と、エイジェイさんは、そんな父の日のエピソードを笑いながら語った。

「赤いB210のエアコンはディーラーオプションだったのですが、これはメーカーオプションだから見栄えがいいです」。新しく手に入れGXグレードのみの装備となる5MT、そのドッグレッグパターンと呼ばれる2速と3速が直線になるシフトパターンなど【写真14枚

 話の発端は、今からさかのぼること35年、1978年のこと。44歳で家庭を持つ普通のアメ車乗りだったというボブさんは、「新車の赤いB210。一目見た瞬間からほれ込んでしまったんだ。ダットサンZみたいでかっこよくてね」と興奮気味に当時を思い出した。


 その時8歳だったエイジェイさんは、それからの多感な思春期を、家族とともにこのクルマの中で過ごしたことになる。16歳になった息子が免許を取ると、ボブさんは快くクルマを譲った。

 高校生になったエイジェイさんは、太いタイヤに変えたり、赤だったボディ色を黒に塗り替えたりして、そのダットサンを存分に楽しんだという。

「3年間乗って積算走行距離が20万マイルを超えると、目に見えてオイルを食うようになったんです。わざわざ直すほどでもないと思ったから、手放して新車のマツダに乗り換えました」
 とエイジェイさんは振り返った。

Vol.【2】、Vol.【3】、Vol.【4】に続く